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「旅は出たとこ勝負でうまくいく」を出版しました

1年振りの投稿となりますが、ご報告があります。
以前からいくつかの旅行について掲載してきました。この度、そのうち4編をブラッシュアップして青春出版社さんから書籍「旅は出たとこ勝負でうまくいく マリ共和国、イエメン…辺境旅行記」として出版(+電子書籍)いたしました。

1.こんな旅行記です

もし書店の店頭になかった場合には取寄せ注文いただけますと幸いです。また、同時に電子版も作成しましたのでキンドルでも読めるようになっております。宜しくお願い致します。

※Amazonサイトのリンク(単行本+電子書籍Kindle)

旅は出たとこ勝負でうまくいくマリ共和国、イエメン…辺境旅行記 | 柳沢英貴 |本 | 通販 | Amazon

カバーデザイン
オレンジ色の帯(表)
オレンジ色の帯(裏)

全232ページ(カラー写真8ページ)で4章構成です。新興国が3編(うち1編は登山)で、ニュージーランド編もあまり観光客が訪れる事が少ないワンガヌイ川のカヌー旅にまつわる文章です。
・アフリカン・システムに笑う ~マリ共和国編~
・アラビア半島の先端に飛ぶ ~イエメン編~
・ネバーエンディング ピース&ラブ ~ネパール編~
・サバイバルカヌー ~ニュージーランド編~

このうちネパール編とニュージーランド編は、以前にnoteに投稿した記事を見直した上で校正・校閲を経て改訂したものです。

2.写真の補足説明

冒頭のカラーページと文中に挿入した写真にキャプションを付けています。それに対して、カバーや章扉の写真には何の場面か分かりにくいものもありますので、この場を借りて簡単に補足します。写真が複数並んでいる場合は、右上から時計回りにひと言ずつ書いていきます。

●カバーと帯
・マリ共和国:モプティで出会った少年たち
・イエメン:ソコトラ島のドラゴンブラッドツリー
・マリ共和国:バンディアガラの断崖に向けて2泊3日のトレッキングを開始

●カバー(折り返し部)
・ネパール:8000m峰を振り返って
・ニュージーランド:オハクニ郊外のトレイルで見つけた鉄橋跡
・マリ共和国:川向こうに小さくモプティの泥モスクが見える
・イエメン:セイユーン市内の3~4階建て住宅

●カバー(裏面)
・イエメン:セイユーン郊外の泥マンションの廃墟
・イエメン:セイユーンのモスク(入場できるのはムスリムのみ)
・マリ共和国:ドゴン村トレッキングのラスト、ベニマト村にて
・ネパール:登山道ですれ違った荷役の馬たち

●カバーを外すと
表: 西アフリカで使われているCFA札の裏面がなかなか個性的
裏: マリ共和国の査証、出入国スタンプ、ポリスチェック

●目次あとの見開き
・イエメン:サナア旧市街のマファラージから旧市街を見渡す

ソコトラ島のドラゴンブラッドツリー

●各章の扉
<マリ共和国編>
・アニミズムのドゴン村で見つけたミニサイズのモスク
・テリー村でオゴンに会った崖の上から村を見下ろす
<イエメン編>
・ソコトラ島のドラゴンブラッドツリー
・シバームの泥のマンハッタン
<ネパール編>
・トレッキングの最終日に見つけた村のゲート(GHANDRUKは村の名前)
・雪を戴く8000m峰の山並み
<ニュージーランド編>
・ワンガヌイ川で乗ったカヌーの先頭部
・ワンガヌイ川の両岸はこんな渓谷と深い森

3.ホントのあとがき

さて、自分が書いた本を発売してほぼ半月。友人に直接会って手渡したり少しずつ郵送し始めたり、なんだか落ち着かない日々です。
原稿を出版社に渡すタイミングで、まえがきとあとがきを一緒に作成しました。この時点ではどんな修正が入るのか、校閲ってどれほど厳しいものか何も分かっていません。なので、その当時の思いで短い文章を書きました。ただ、これが短いとはいえ長い旅行記を仕上げるよりも難物でした。
それはそれとして、ここでは編集・校正プロセスを経た現時点におけるホントのあとがきを綴っておこうと思います。

(1)原稿を仕上げること

ある人から、本を作るのに10万文字の原稿が必要だと聞いた事があります。そんなボリュームをどうやって作り出すんだろう、そもそも書けるレベルのか、それが最初の疑問でした。海外旅行を続けていても常に数日~2週間の短期滞在ばかり。話をどう膨らませればいいのか、1冊の本はインパクトのある国4ヶ国くらいに絞りたかったので、必然的に10万文字が強烈なプレッシャーになっていました。
他にムチャ振りされて覚えているのは「司馬遼太郎の『アメリカ素描』が旅行記だ」ってひと言。同書を読んでみたものの、あんな深い考察は何度生まれ変わっても自分に書けるとは思えない。「他人の旅行記を真似して書く」のも優れた書き手の特徴を上手く捉えられる素養がないと自分には不向きだと思えました。
そのため、サブテーマを考えて深掘りしていく事をやってみたのです。ゼロから1を生み出す事はできないけど、興味ありそうなテーマについて本を読んだり考えたり、それは新鮮な作業でした。私にとってのキーワードは2つでした。
1つはプリミティブ(原始的)と言う言葉であり、これまでの旅では西アフリカやイエメンなど敢えてプリミティブな国々を選んできたからです。もう1つが数学でした。特に難しい概念に触れているわけではありません。アラブ諸国を旅していれば代数学を英語でAlgebraと記すことが改めて気になりますし、ホテルの部屋番号600も私には新鮮な語感でした。ニュージーランドのトレイルを歩いていれば、フラクタル構造を持つシダの葉っぱがどこでも目に入ります。そんな部分に着目してみました。

(2)写真の訴求力

私がデジカメを買ってズーム機能を使い始めたのは2002年頃でした。ズームして撮るとやっぱり迫力が違います。それを思い知らされたのが旅の写真を選んでいる時でした。
イエメンやネパールなどそれ以降に旅した国々は写真が簡単に決まっていきます。それは自分の記憶と写真に映っている画像がピタリと一致するからです。
それに対して、1999年に旅したマリ共和国の写真はどれを見てもなんだかモヤがかかっているようでインパクトがありません。画素数の差もあるだろうし、何よりズームが効いていないので一歩引いたボヤけた印象なのです。なので、イスラム教の泥モスクをこの目で見ているのに、ドヨンとした印象しか得られない。アフリカで珍しいモノを食べている筈なのに、どこにも写真が残っていない。
そう、あの頃はまだ36枚撮りフィルムを2~3本くらいザックに詰めただけで、写真1枚を撮るのにもフィルムが貴重だったので躊躇していたのです。今でこそ1週間ほど旅すればデジカメのシャッターを500回くらい押しているのに、あまりの落差です。そんな訳で、なかなか本に載せる写真を選べませんでした。

(3)装丁を決めていくこと

カバーや帯のデザインについては複数案が提示されても、センスがない弊方ではなんとも自信がありません。困惑しました。ここは客観的な眼が最も冷静で正しいと考えて、友人・知人に緊急アンケートして決めた、その結果がオレンジ色の帯です。
カラー写真が8ページ分あります。いざ写真を選ぼうとするといくらでも候補が出てきて決まりません。特に砂漠好きとしては地味な色合いの純白の砂丘の写真に参りました。旅した私の想いと読者目線で選び方が変わるため、一部をこちらで、残りを出版社の方に選んでいただくことにしました。
カバーをめくった表紙のデザインにもひと手間加えて頂きしました。写真ではイエメンのインパクトに負けていましたが、CFA札とかパスポートの査証欄ではマリ共和国の方が個性的だったからです。

ドラスチックなCFA札をカバー裏に全面プリント

私が旅した42ヶ国の世界地図はイイ感じで仕上がりました。こちらは見返しをご参照下さい。各章の地図は手書きと地図ソフトの混在形となりましたが、ここでは要件の伝え方が大事なんだなと思い知りました。IT企業に勤めている時にはSEとして顧客のリクエストを伺って形にする立場でしたが、今回は要件提示サイドです。どう伝えるとスムーズに進むものか考えさせられました。

こちらで作成したNZ全土のラフな地図

図版はこちらがEXCELで作成したものもあれば、日干しレンガからアラベスクのデザインに繋げていく図などは編集者と話す中でこちらの文書の加筆に繋がった箇所もあります。手書き地図と地図屋さんにお願いする地図、これを決めるプロセスにおいても発見がありました。

ネパール登山のポンチ絵はこちらで作成

(4)ジリジリと校正していく

校正・校閲では二重表現(ex.満天の星空)や漢字誤りを徹底的に指摘されて参りました。自分がいかにいい加減に日本語を使っていたのか……。
・ズボンは穿くし、靴は履く
・ネクタイを締めると首が絞まる
・直感は感性で、直観は本質を理解できること
こうした曖昧な記述にボロボロと突っ込みが入ったゲラが送られてきました。200ページ超の原稿だとそれなりの重量と重圧があって恐ろしいものです。校閲では論拠となる資料が逐一添付されてきたのにも焦ります。確かな証拠まで突き付けられたら、如何に自分の文章がアバウトだったのか白日の下に晒されてしまいます。
以前、日テレで放送していたドラマに「地味にスゴイ! 校閲ガール・河野悦子」(2016年)があります。石原さとみが校閲者としての主張をバンバン言い放っていくストーリーでした。今回の本づくりにおいて、直接に校閲の方と接点があったわけではありませんが、指摘する方も修正するこちらも確かに「地味に」大変なプロセスです。と同時に、小学生の頃に壁新聞やガリ版刷りの学級新聞を作ったこと、高校時代に新聞部に在籍していたとか遠い記憶が甦ってきて楽しかったのもホントです。そう言えば大学生の頃に友人数名と同人誌を創ったこともありました。もう微かな記憶ですが、創刊前号を発刊したのに創刊号を出すことは叶わなかった、そんな事も思い出した。
校閲指摘の中で修正すべきなのか悩んだモノもありました。ネパール編で私が
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因みに1人はちょっと太っていたので登山道でへばっていた姿をよく覚えている。
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と書いた箇所があります。ここに「太っている事とへばっている事に直接的な関係はない」と指摘が入りました。勿論、太っているからバテていると結び付けたのは私の主観です。でも、令和の時代に差別や多様性に対して世の中は敏感です。息苦しいなと思いつつも、時代の空気を踏まえるとここは観念して主観に基づく記述を削ることにしました。
文章に関しては正確性の担保が要求されました。当然と言えば当然のことです。
旅日記にはネパールの村の名前がヤナプル、ナヤプルとどちらも書かれていたり、マリ共和国のドゴン村トレッキングでもヤタバル村と覚えていたのが、いざ英字で再確認してみると明らかにヤバタル村としか読めないものもあり、恥かしい限りでした。
ただ、西アフリカの食器(ポトリとカリバス)の名前、ビールの銘柄名、ソコトラ島の地名(ex.ディクサム)など耳で聞いたモノを100%ウラ取りしていくのは如何せん至難の業でした。Ceazerはシーザーともカエサルとも読みます。Charlesだって英語ならチャールズでフランス語読みならシャルルです。Violinもバイオリンとヴァイオリンはどちらも正解でいいでしょう。
そのために慌ててネットで見つけた情報を手掛かりに関係者に電話やメールをしました。いずれも面識のない方々ばかりです。特にイエメン大使館に電話で質問したのは、後で振り返ってみるとこんな個人的な質問で図々しかったのではないかと少し反省したものです。それでも、そのいずれも快く教えて頂けたことに感謝しております。

(5)漢字は変化していくもの

こうした作業を続けていると、言い訳がましいコトも思い浮かんできました。改めて考えると漢字は意味ありきの言葉と後付けで嵌め込んだだろうモノがあって、後者は音ありき(発音あってのもの)なのかと思ったものです。
富士山は不二山でもあり、JR湖西線に乗っていると滋賀県とJR志賀駅もどっちが先に書かれた漢字なんだろう考えてしまいます。2023年の大河ドラマ「どうする家康」の瀬名(築山殿)の由来である瀬名川も元々は瀬無川と記述していたとか。瀬名川については以下の弊ブログを参照。
東京の多摩川と玉川も根っこは同じで好事二字令が関係しているかも知れません。でも、玉川上水の起点(羽村市)に立つ玉川兄弟の像を見るとやっぱり別の由来があるのか、気になる謎がいろいろあります。
2024年はちょうどダイダラボッチに興味が向いた年でもありました。三遠地方(三河国と遠江国)の田舎を歩いていると所々に出てくるのがダイダラボッチの痕跡ですが、それは武蔵国(東京と埼玉)でも見つけられます。洗足池は駅名も洗足と書かれているのに、その周辺の地名は同じ音の千束。これもどちらが先なのか不明です。埼玉の大霧山を登って知った地名がカユニタ峠でした。漢字で書くと粥煮田峠/粥仁田峠/粥新田峠などいろいろあります。ここはダイダラボッチが粥を煮た場所だと言うのでその謂われに忠実なのは粥煮田峠なんでしょう。それが時代と共に変わってきたのか、地域による違いなのか、気になる事がいろいろ出てきます。
今回の本は海外旅の旅行記でしたが、国内にもいろんなテーマが潜んでいるのだと思った次第です。

(6)出版できたこと

これまで、HPに旅行記をアップする事は1つのゴールでした。それに加えて第三者の眼を介して形に残る書籍化できたことで、拙いながらも旅行記がワンランク磨かれたのではないか。その1つ1つの出版に至るプロセスが楽しく、書籍化に至れたことが幸甚と考えています。
電子書籍を読むのはまだまだ苦手です。ただ、見返しに印刷した「私が旅した42ヶ国」の世界地図を大きなモニターに映してみるとなかなかインパクトがあると感じました。同様に、目次のあとに見開きで掲げたイエメンのサナア旧市街のマファラージから撮ったモノクロ写真も、大きく入れ込んだのは正解で、これらは電子書籍ならではの感想でした。
そして、「願わくば紀伊國屋本店に自分の本が並んだらいいな」と朧げながらに念じた事が現実になりました。

余談①: 10月の裏磐梯にて

校了した後にリフレッシュしたくなって裏磐梯に向かった。西大転から下山してバスを待っていると、バス停にアジア系の女性が1人やってきた。話してみると裏磐梯で働いているスリランカ人だと言う。最初は簡単な挨拶を交わした程度だった。ほどなくして猪苗代駅行きのバスが来たのだが立錐の余地もない満席。しかも運転手さんが「五色沼で降りる人が大勢いるからちょっと待っていて」とまさかのピストン運転になると伝えてくれた。いつもは閑散としている裏磐梯も紅葉の季節になるとこうも賑わうものか。
五色沼からようやく戻って来たと思ったらバスは私達をスルーして始発の裏磐梯高原バス停まで走っていく。そんな訳で、バスが戻ってくるまでの間いろいろ話してみた。スマホに保存してあった写真を見ながらホッパーやハラペーなどスリランカの食べ物について教えてもらう。この近くで暮らしていると朝晩に普通に熊を見掛けると笑っているが、こちらとしては北アルプスで2回も遭遇しているのでクマは一大事なんだけどな。
折角なので、ネパール編で触れた「Never Ending Peace And Love」と「I Never Do It Again」と描かれた落書きのことを振ってみたらゲラゲラ笑い出す。きっと思い当たることがあるんだろう。スリランカにもこうした国民性を表すフレーズがあるのか訊いてみると「スリランカ人はインド人と同じ」と笑っている。これは私がスリランカを旅した時の記憶とも合っている。インド人ほど素直にアピールしてこないけど明らかに似たキャラなのだ。
※拙著170ページ参照

ネパールとインドは対照的

余談②: 原宿のCookie Time

先日、用事があってJR原宿駅で下車した。全く縁がない賑やかな町だ。代々木方面に歩いていくとクッキータイム(Cookie Time)の店舗を見つけた。これにはビックリ。クッキータイムはニュージーランドで有名なお菓子。ニュージーランド航空の機内でもおやつとして提供しているし、どこの街でも売っている。そんなクッキータイムの店が原宿にオープンしていたとは。
※拙著215ページ参照
つい懐かしくなって店内をウロウロ。焼きたてのクッキーを食べてみた。アイスクリームもあったのでホーキーポーキー味を置いているのか聞いてみた。残念ながらこの日はなかったので、またいつか行ってみよう。店舗情報は以下リンクを参照。
https://www.cookietime.co.jp/

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