母が倒れた日のはなし
母が会社で具合が悪くなり、緊急入院することになった。
私はまだ大学生だった。
当時、香川の大学に通っていた私は父からの電話にひどく動揺した。
「お母さんが、入院することになったから。」
子宮筋腫だった。
割と進行していた為、全摘出以外に方法が見当たらなかったらしい。
母は、めったに病気になったことがなく、そんな母が入院というのは、すごく不思議な感じがした。胸がソワソワして、明日の朝イチの電車で帰ると父に伝えて、その夜は眠った。
ーーなのに、しっかり寝坊した。
目が覚めた時には、とっくにお昼が過ぎていた。
あわてて、父に電話する。
父は、「わかった。まあ、ええわ。もう手術終わるぞ。」と。
適当に服を着て、自転車に跨り駅へと向かう。
住んでいたマンションから駅までは10分。そこからマリンライナーに乗って、30分。4時間+40分遅れで、到着した。
病室につくと、母はベットに横たわっていて、
私を見つけると「遅っ!誰に似たのかこの子は。まったく・・」と呆れたように笑いながら言うと、続けて、「ご飯食べたん?お父さんに何か食べさせてもらいなさいよ。」私の心配をする。
「私のことは、いいけん。大丈夫なん?」と言うと、
「うん、大丈夫。大丈夫。」
母は、こんな時でも、”母”だった。
珍しく父から電話が入った。平日の昼間、こんな時間にかけてくるなんて、一体なんだろうと胸騒ぎがする。
「あのなあ、お母さんが会社で倒れたんじゃわ。
よくわからんけど、脳出血?脳梗塞?らしくて、容体はまだ分からんのんじゃけど。」
父の声がものすごく落ち着いていたので、取り乱すことなく私も話すことができた。
「じゃあ私、今から帰るよ。」
「うん、そうしてくれ。帰ってこれそうなら。」
会社に事情を連絡し、コートを羽織ってリュックひとつで駅へと向かう。今日がリモートワークの日でよかった。その時、一番早く乗れる新幹線に飛び乗った。座席についてコートを脱ぐと、焦っていたからなのか、もこもこのセーターにタイトなジャケットを着ていて、社内の窓に映る私はなんだかとっても滑稽だった。
きっと、母は大丈夫だ。
病室で、こんな私の姿を見てまた呆れた顔をして笑ってくれることだろう。
家族待合室に着いたのは、20時ごろだったと思う。
容体は思ったよりも、ずっとずっと悪かった。父、祖父母、母の妹と旦那さん、みんな俯いていて、どんよりとした空気が流れていたから、ああそういうことなんだな、と思った。
手術はそれから8時間近くかかった。
主治医の話によると、動脈瘤が破裂したことによるくも膜下出血とのことで、この2週間は再出血や脳梗塞を引き起こすなど、様々なリスクがあり予断を許さない状況らしい。説明を聞いても、どうしてもこれが現実だという実感がわかず、どこかで他人事のようなそんな気がして、これが全て夢の出来事だったらどんなにいいだろうと、思った。
その後、主治医に連れられ、少しだけ母の姿を見せてもらうことができた。
私は、母が”母”である瞬間しか知らない。
どんな時も周りを気を配り、自分のことは後回しで、時にお節介すぎる、そんな母の姿しか、私は見たことがなかった。
だから、顔は青白く浮腫んで、管だらけでの母の姿にひどく動揺した。
ICUのベットに横たわる母は、私の知る”母”ではなかった。
また、私は、”母”に会えるのだろうか。
1月17日の出来事だった。