1日200文字という上限
新たに取り組む習慣のひとつとして、noteを定期的に更新しようと思い、どうすれば継続できそうか考えてみた。
まずは、更新頻度を決めた。
1週間に1回、日曜日に投稿する。
次に、ひとつの記事の文字数を決めた。
1記事につき、約1400文字。
この数字は何に基づいて決めたかというと、X(旧ツイッター)の文字数制限である140文字を10倍したものだ。
現在、Xでは1日1ポストすることを習慣としている。
毎回140文字ギリギリ使うようなことはないけど、それくらいの量を書き出すことにそこまでストレスを感じない。
1400文字をまとめて一気に書こうとすると気後れするけど、140文字×10回と考えれば随分とハードルが下がった気分になる。
これを週1の投稿用に調整し、1400文字を7日間で割ると1日あたりのノルマは約200文字となる。これくらいならそんなに負担なく出来そうだ。
というわけで、日曜日の投稿へ向けて、毎日約200文字を書き出してみることにした。
Xの場合、日によっては3つも4つもポストしてしまうこともある。
なにか感情が動いたことや、関心ごとが複数あるようなときには書き出すことに対するストレスは殆ど感じない。
むしろ、書きたいことが次から次へと浮かんできて、時間を忘れて没頭してしまう感覚がある。
ただし、これには落とし穴がある。
上限を決めずに思っていた以上にやってしまった場合、その瞬間は高揚感が得られるのだけど、あとになってからその反動が必ずくる。
昨日は沢山やって満足してから今日はやらなくてもいい、という気持ちが湧き、その日以降なんとなく手を付けなくなってしまい、気づけば長い月日が経っていたという事を、今までに何度繰り返したことだろう。
また、並行して進めている他のタスクへの影響もでる。
時間や労力などの限られた「予算」をそれぞれのタスクに割り振った状態で、1つのタスクに対して予算を余分に割いてしまった場合、他のタスクへ使える予算は相対的に減ることになる。
持ち時間である24時間は変わらないのだから、当然と言えば当然だ。
言葉にすると当たり前のことだけど、改めて考えてみると随分と認識も変わってくる。
まだやめたくない。
このままもっと続けたい。
最初は重い腰を上げて渋々取り掛かかったはずだったなのに、いつの間にか中断することの方がストレスになっている。
こんな状態になったら、一旦冷静になる必要がある。
キリの良い状態まで持っていきたいところを、あえて中途半端な状態でその時は強制的に終わらせる。
こうすることで、翌日の作業はこの中途半端で気持ちの悪い状態を解消するところから始めることが出来る。
宙ぶらりんな状態からなるべく早く着地したいという、人間の持つ本能的な性質を利用して、作業開始のきっかけを予め用意しておく。
先日、1日の上限である200文字以上を越えて書きたくなり、そのまま一気に1400文字書き上げてしまったら、その後の他のタスクに取り掛かるのに普段以上に強いストレスを感じた。
定期的にnoteを更新しようと思った理由は、実は毎日手を動かして文字を書き続けるための手段だったりする。
毎日、色々なことが頭の中をぐるぐると巡っているけど、そんな反芻思考を書き出すことで抑制するという目的がひとつ。
それと、単純にタイピング練習という目的がある。
意志の力は思っている以上に脆いので、書いた文章を公開するというちょっとした外圧を加えることで強制力を働かせる。
というわけで、ここに投稿すること自体はあくまでも手段であり、真の目的は「毎日手を動かして文章を書き続ける」ことだ。
気を抜くと、つい本来の目的を忘れてしまいがちなので、自分自身を操縦するような感覚で、この新たな習慣化に取り組んで行こうと考えている。