心が震えます
最後の男体山登山が89歳。
亡くなる直前まで体を鍛え、その当日でさえ腕立て伏せをしていたそうです。
わたしは89歳から96歳までの7年ほどの時間の長さに唖然となりました。
そんなにも長い間、山に上らず、しかし心を山へ向けていた。けれども7年近く上れない。
鼓動が速くなります。
田名網さんのことは知りませんでした。
男体山は一度だけ登ったことがあります。
そのときは、男体山から志津避難小屋に泊まり、大真名、小真名山、女峰山から唐沢避難小屋に泊まり、帰りは霜降高原に降りました。
そのとき、上り一辺倒の鬼ルートに、男体山まではバテバテ。男体山山頂に、マジにビバークしようとしたくらい。
懐かしい。
険しく奥深い森の中や山々にたくさんの石像がありました。ここにこんな大きく重いものをどうやって持ってきたのだろう。
石像に出会う度に心が何度も震えました。
神々の山なんだ。
田名網さんがどのような気持ちを抱き上っていたのか正確なところはわかりません。
ただ、男体山に登り続けた事実は明らかです。わたしにはその事実だけで十分です。
上り続けるに足る山だった、ということ。
わたしは高尾山も、雲取山も大好きです。大岳山も、三頭山も、川苔山も、棒ノ嶺も、甲武信岳も、笠取山も大好きです。こうやって名前も記すだけでなんか切ないような、ドキドキするような気持ちになります。
でも田名網さんには届かないような気がします。
わたしにはたぶん田名網さんにとっての男体山に当たる山は現れないかもしれない。わたしにとっての男体山は、奥多摩、奥秩父の山域全体だから。
それはそれでいい。
ただ、田名網さんのような山に対する思いに憧れます。
わたしにもそのような強い思いがあると思っていた。
でもそれが突然途切れた、いや、薄く、淡くなってしまった。
辛い。
でも、まだ、思いが消滅したわけではありません。
だから、わたしはまた山に足を向けようとしています。