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自分への動画
山への興味を失った事実はどうしても認めたくなかった。
はじめて見つけた打ち込める対象だったから。
周りには趣味と軽く伝えていたけれども、趣味以上の熱量を感じていた。
始めは高尾山ばかり何ヶ月も登った。暑いときはamazonで買ったタウン用のリュックに水を4リットル、つまり500のペットボトルを8本持っていった。(amazonのリュックは登山用にと迷いに迷って買った自慢の一品だ!)
思い返すと笑える。
でも真剣だった。
ヘロヘロになりながら陣馬山に辿り着き、はじめのうちは陣馬高原下へ下り、そのうち、ピストンで高尾山口にまた戻ったり、明王峠から相模湖へ降りたりした。そのうち北高尾、南高尾とルートを増やし、装備もヘッドライト、レインウェア、リュックと増えていった。
最初のリュックはドイターだった。専門店へ行き、店員さんからのアドバイスをドキドキしながら聞いた。なんか知らないがド素人がこんなとこに来ていいのか!という気持ちだった。でも店員さんは優しかった。今度大岳山に行くんです、と高尾山しか行ってないのがバレないように見栄を張って伝えたら、季節の花を教えてくれた。そう、その時は大岳山だって遠い山だった。
今は日帰りは山と道のThree、泊はバルトロを使っています。けど、今でもドイターのリュックはお気に入りです。フートゥラ30。L2Lに連れて行ったのもドイター。命を救ってくれた頼もしいリュックです。
わたしは自分の限界はどこ?と山に聞いていたのかなと感じるときがあります。計画を立てるときも、あえてつらそうな行程を選んでいた。10km代、5時間?なんて計画は甘い!と考え立てなかった。鬼コーチが私の中にいた。
げど、、、思い・熱量と体力の衰えのバランスが取れなくなってきた。
例えばトレラン。再び走る自分の姿を想像できない。
このnoteを始める前、3泊の計画で甲武信ヶ岳から雲取山への縦走を計画した。2日目。なぜか転んでばかり。転んでは行けない場所で注意しなければならないのに転ぶ。軽いケガをする。軽くてよかった。でも何度も何度も転ぶ。これ以上の山行は命に関わると判断し雁坂峠から下山しました。
下ってから、本来なら天上にいたはずの時間に地上いる現実に打ちのめされた。死にたいほど、本当に死にたいほど辛かった。
死ぬなら山で死にたい。
下山したわたしの判断は正しかったと今でも思います。
けれど人生の上ではどうだったんだろう?
辛いなら、まだ昼過ぎだったけど停滞して、ビバークしてでも先へ進むべきではなかったのか? あきらめるのが早くないか?
勘弁してほしい。辛い。わたしの内の声は厳しい。
本当に山が好き?
この問がずっと響き続けています。鳴り止まない。
このnoteを始めてから高尾山にまた登り始めました。
そして、今も登っています。さらにそして山行を動画に取り始めました。
山に上らないときに山の動画をたくさん見ました。最初は登山家youtuberのものを見ていましたが、辿りついたのはただ山行を静かに流す動画です。でもあまりない。
だったらわたしが流そうかなと思いました。
わたしは猫動画も好きで時々ずっと見ちゃう。おんなじように登山の風景を流そう。
わたしもまだ回復してないから、撮りながら、見ながら、再び山を好きになりたい。好きで好きで好きでたまらなかったあのときに戻りたい。
同じように、ほかの誰かも、誰でも興味を持ってもらえたならうれしい。
山をあのときと同じくらい、いやあれ以上に好きになりたい。