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資本主義とは岩倉玲音である
初めに
昨日書いた記事で、同調圧力とは英利政美である。みたいな内容を書いた。
同調圧力は岩倉玲音ってよりも英利 政美に近いのだろう。英利政美はプロトコル、つまり機械言語をつかった連絡手順の中に自分の人格(データ)を埋め込みワイヤードの世界で永遠の命を手にれた。そして、通信されるデータを改変しワイヤードの世界で神となり、その力を通信される情報の中で具現化させたのだ。
これも同じで、同調圧力と言うものは我々の認識と記憶の中に存在し、生活規範として具体化するものではないのだろうか。
これはある意味すごいもので、成文化の工程を挟まずに人々の中で共有されていることになる。
今日の環境学の授業で、ふとこれを思い出した。
この手の話ってフロムの深層心理に近いのかな。今回のことでものすごく興味が出てきた。わかりやすい本でもあれば買ってみる。
環境学の教授が話していた内容
まとめると
「歴史的、時間的に進んでいくことが進歩である」この考えは近代西欧社会でのみ考えられるものえある。
つまり、現在でも未来でもなく、過去にこそ楽園があるという考えが近代ヨーロッパ社会以前は普遍的に広がっていたのだ。
例を挙げると、中世ヨーロッパでの西ローマ帝国、古代中国のおける専王の時代、キリスト教、ユダヤ教におけるエデンの園などはこれらの時代の時、ユートピアのように語られた場所である。
つまり、長い人類の歴史において、楽園が未来にありそれに向けて努力するのはごく最近の近代になってからであり、それまでの人間は今の生活環境を良くしようとするのではなくキリスト教における来世や仏教における天国などを目指していたのだ。
行動規範と楽園の記憶場所
楽園がある場所の認識とそれによって作られる行動規範はどこに記憶されるのだろうか。
成文化されるからだろうか?
であるなら、識字率の低い中世、古代ヨーロッパでどうやってこの行動規範が伝わっていったのだろうか。
それは、人々の個人的深層意識を超えた人間としての深層意識に記憶されているからに違いないのではないか。
それはある種、作中の岩倉玲音、もしくは英利政美に近いのだろう。
また、この資本主義、漸進主義のような考えが人類が生まれた瞬間からあるのかどうかも難しい。
もし、そういった意識が猿から進化してきた人類の基本プログラムに存在していたならなぜ近代になるまで発芽しなかったのか?
個人的には、人工的にある種の進化のようなものを行ったため、と捉える。
何かのインパクトともに人類は深層意識にある行動規範の元となるような要素を塗り替えることができるのではないか。
それこそが、革命であり、洗脳であるのではないだろうか。
この行動規範の分裂が細かい範囲で起こることが「自由洗脳社会」なのかもしれない。
初音ミクとは岩倉玲音である
まぁこういう長ったらしい文を書いた結果として
「資本主義とは岩倉玲音である」
とういう結論になったわけだ。
ただ、ふと感じるが、岩倉玲音と初音ミクはかなり近しいものを感じある。
「なんの曲歌ってほしい?」って聞いたときに初音ミクがする返事は人によって違うだろう。
ただ、好きなものは?って聞いたらたぶん誰の脳内にいる初音ミクも「ネギ」って答えるだろう。
これは、ある種深層意識に近いところで共有されている初音ミク像と個人的無意識領域に記憶されている初音ミクに違いがあるからだろう。
つまり「初音ミクも岩倉玲音なのだ」
岩倉玲音の飼い犬
前回のNOTOで同調圧力の話を書いたが、これはある種、無意識領域にある「行動規範に影響を与える何か」の存在感が強くなっているからではないのか、とも感じる。
つまり、岩倉玲音の指示に忠実になっている、とも取れるだろう。これだと何かキモいからまじめで硬い言い方をするならば「深層心理の要素が具体化した行動規範に忠実になっている」ということになるだろう。
この深層心理の要素がどうやって構築されたのかは自分にはわからない。多分、誰かが意図的に作った物ではないだろう。気づいたらそこにあったもの、だ。
いつの間にか、そいつが具体化した行動規範に縛られ始めているのだ。
恐ろしい。。
これを岡田斗司夫は「若者がより社会的な生物になっている」と表現したのだろう。
岩倉玲音というわかりやすい形にするのは素晴らしいと感じる。
やっぱり僕は天才だし、キモいしバカだ。
でも、楽しい。
そんなつまらないNOTOでした。