横断歩道
今日はこんなお題で始めてみようと思います。
まあこのお題からなんの話をしていくのか想像できなくて当たり前です。私自身の頭の中の話です。
横断歩道と聞いて自分とよく関わっている友人達はもしかすると少し心当たりがあるかもしれないです。
私は横断歩道という単語を出すときは知らない人にとっては想像もできない会話の中に入っています。
その会話のテーマとは好きなタイプを話すとき。みなさんも人生で1回は必ず聞かれますよね?好きなタイプはどんな子なん?って。
先に言っておくと横断歩道が好きなわけではないです笑
私は好きなタイプはどんな子?って聞かれた時に、冗談半分本気半分くらいで「横断歩道を走って渡れる子」と答える時があります。毎回このように答えているわけじゃないですけどTPOを考えて大丈夫そうだったらそうやって答えることがあります。
正直この文章だけを見てもなんの事か分からないと思います。この言葉に含まれている意味を説明していこうと思います。
もしいま、車や原付に乗っている人達には少し共感してもらえるかなとは思います。例えば自分が車に乗っていて横断歩道に差し掛かった時に歩行者がいたら止まりますよね?
まあこれは当たり前のことです。
歩行者側からしても当たり前のことです。なぜなら法律で定められているからです。
この時に、車側の私たちが止まって歩行者を待っている時、歩行者が急ぐ素振りも見せず、携帯を見ながらとか喋りながらゆっくり歩いていたら少なくとも良い気持ちはしないのじゃないかなと思います。もちろん歩行者側のその行動は不正解ではないです。けど、車や原付が待っていてくれていることを考えると急いで走って渡れば両者良い気分で過ごせるんじゃないかなと思います。
そんなこといちいち考えんなよって言われるかもしれないです。そうです確かに自分は細かいことが急に気になってしまう性格なんで仕方ないです。
でも、客観的に考えると横断歩道を渡る人達が車に乗っている人のことを考えれば少しは急ぐんじゃないかなって思います。
つまりは何が言いたいのか要約すると、「横断歩道を走って渡れる人」=「相手の気持ちを考えられる人」だと私は思います。ちょっと考え方がひねくれているかもしれないですけど、自分としては間違ってないと思います。
よって私が好きなタイプを聞かれた時に、「横断歩道を走って渡れる子」という言葉の意味は「相手の気持ちを考えられる人」という意味です。なら最初からそう言えばいいやんって思うかもしれませんが、自分なりの謎のこだわりなんで許してやって下さい。
人の性格というのは、見ようとして見るものではなく、ふとした瞬間に見えたものがその人の本質だと思います。
この歳になればみんな外ヅラは良くしようと思えばいくらでもよく出来ます。
しかし、習慣というものはなかなか変えられません。
つまり、性格は日々の習慣の積み重ねによって創り出されるものだと思います。
私自身も気をつけて日々を過ごさないと、知らない間に自分自身の評価を自分の振る舞いで落としているかもしれないので丁寧にこれから生きていきたいとおもいます。
皆さんも日々の習慣にはお気をつけて。