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音楽のルーツと指標のはなし

どうも。ニコォ。
自分語りというジャンルの執筆は苦手な性分ですが、自分への再確認という建前をもって、ボソボソと話します。

中学生だった頃の僕は、熱烈なSFオタクだった。
作家である父親からSF小説を借りては、読み漁ることで青春時代の概ねを消費していた。
当然ハードSFというコアなジャンルになっていくと外国の暗号を羅列したような難解な著作が多くなってくるが、僕が小学生だったときの夏休み、父親がちゃぶ台にどっさりとSF名作集なるものを積み上げ「一日一冊読み終わるまで外出れま10」を意気揚々と宣言したおかげで、徐々にニッチな文学オタクに洗n…染められていったわけだ。
中学三年生に上がると、誤ってSF映画の沼に片足を突っ込んでしまい、僕は沼底に引きずり込まれるようにSF映画オタクへと転生していった。
そこでなにより衝撃を受けたのは、往年のSF映画の劇中で流れる劇伴だ。音楽を聴いて、知らない異界に踏み込んだような畏怖や〝ゾワる〟という体験をしたのはこれが初めてだった。
今思うと、僕の音楽のルーツはこれらのSF映画の劇伴にあったのだろう。

まず最初に受けた衝撃は、クリストファー・ノーラン監督作品を手がけるHans Zimmer氏の劇伴。壮大な世界観を構築する抑えのムードと後半のカタルシスが特徴。ちなみに2020年に公開された「dune 砂の惑星」という映画の劇伴を手がけるにあたってHansは「異なる惑星の音楽を作るんだから、地球上の楽器使っちゃダメやろ。世界中回って新しい楽器作るとこから始めるべ!」って言ってマジで誰も聞いたことない音を作っちゃうんだからかなり頭のネジがぶっ飛んでる人物である。行動力のある天才こわい。
それから、キューブリック作品、アバター、近年だとドゥニヴィルヌーブ作品に楽曲提供をしたJohann Johansson氏、Max Richitar氏などのポストクラシックにも強烈な影響を受ける。そこからビョーク、シガーロス、ヨンシーなどのポストロック大国であるアイスランドの音楽にどハマりするがこの話をし始めるとややこしい瑣末ごとを並べたてかねないのでここら辺で割愛(
SF映画の劇伴はとにかくムードの演出が凄い。音数を減らし、物哀しいピアノや荘厳なオルガンで世界観を構築し、後半にかけて嵐の渦に飲まれたような絶望感や高揚を生むカタルシスがやってくる。
低音域に強いイヤフォンをつけて爆音で再生すれば、そこには見たこともない生物や植物の風景、時代に翻弄される人々の虚無や孤独、人生の謳歌が広がるのである。
音楽家の目標とルーツの間に密接な相互作用があるとするなら、僕の最終目標は、〝自分の音楽の力を借りてここへ到達すること〟になるかもしれない。
それは宇宙かもしれないし、カムチャッカかどこかの少年が落書きノートに描いたような未来かもしれないし、たった一人の母親の人生にスポットを当てたちっぽけな物語ということかもしれない。
そのために必要な材料は言ってしまえば歌唱力やテクニックの披露ではなく、ムード、抑え、違和感と共感のバランス、カタルシスとなってくるのである。
なんにせよ、運悪く聴いてしまった者を知らない世界に誘拐して閉じ込めてしまうような凶悪な芸術。そんな犯行声明をここに残して締めようと思う。


nightmare or adventure.

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