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過去の思い出 1993年 第38回 有馬記念
過去のレースの思い出や、馬券自慢を勝手に語ってみる企画。
時期的にもそろそろ有馬記念が近いという事で、1993年の有馬記念を振り返ってみる。
今から31年も前の事だが、1993年の有馬記念は今でも鮮明に覚えている。
ちなみに私の競馬歴は1993年から。
競馬デビュー年の有馬記念だからよく覚えているのかもしれない。
とは言え、1993年の有馬記念は結構印象的な出来事があったのも事実。
過去の有馬記念特集とかでも紹介されやすいレースでもあり、意外と皆も知っている有馬記念のレースになるかもしれない。
この年は有力古馬のメジロマックイーンが天皇賞秋を前にして故障(繋靭帯炎を発症)して引退。
それでもジャパンカップの覇者レガシーワールド(2人気)が古馬の中心的存在となり、それに加えて4歳馬(現3歳馬)からはダービー馬ウイニングチケット(3人気)、菊花賞馬ビワハヤヒデ(1人気)が参戦。
その他の古馬勢は前年の有馬記念以来の出走となるトウカイテイオー(4人気)、メジロマックイーンを破って天皇賞春を制したライスシャワー(5人気)、天皇賞秋で2着のセキテイリューオー(7人気)らも参戦。4歳勢(現3歳馬)からは牝馬二冠のベガ、前年度(1992年)の3歳王者(現2歳王者)エルウェーウィン(12人気)などの参戦もあった。
当時の情勢としては古馬勢の代表格はレガシーワールドではあるものの、新鋭の4歳勢の方が有力視されていたような気がする。現に菊花賞馬のビワハヤヒデが1人気に推されていたし、ダービー馬のウイニングチケットも3人気。当時も牝馬には厳しいレースという認識が強かったものの、桜花賞とオークスの牝馬二冠を制したベガですら6人気の支持があった。
ちなみに当時の私は競馬デビュー年。
予想や馬券に確固たる信念や理論がある訳でもない。
信じたものは「武豊」という天才騎手の存在で、当然の如く彼が騎乗するベガを中心とした馬券を買っていた。
また当時はトニービン旋風というものが巻き起こっており、トニービン産駒のベガとウイニングチケットのワン・ツーを期待しての馬券がメインだったのを覚えている。
レースは大方の予想通りメジロパーマーが引っ張る流れ。
有力馬が中団からやや前目で運んで、ペースが上がった3角過ぎから各馬一斉に動き出す展開。
後にレースラップを分析するようになって気付いたが、この1993年の有馬記念も中盤で13秒台のラップがあるように中弛みがあっての後半SP持続力勝負の展開に。その中でも4角からの2Fで11秒台を連発する決め手勝負になっていた。
この展開の中、4角から勢いよく抜け出したのは1人気のビワハヤヒデ。
道中常に絶好の手応えのままレースを進めて、3角過ぎからも余裕綽々で押し上げて行く形。
4角で外目から馬なり押し上げると、直線入口ではや先頭。直線序盤でスッと抜け出すと、半ば以降で伸びを見せて後続勢を引き離しにかかる。
横綱相撲を見せて、完全に押し切りパターンに入ったビワハヤヒデに対して、ただ1頭食い下がったのが4人気のトウカイテイオー。
トウカイテイオーは4角で馬群に居た為に、ワンテンポ仕掛けが遅れるような感じ。その為に脚が貯まっていたのか、直線半ばから最後1Fにかけて先に抜け出したビワハヤヒデを直線で猛追。
最後1Fでビワハヤヒデと馬体を並べての追い比べに発展。しかしゴール前数十メートルでグイっと前に出ると、ビワハヤヒデに対して半馬身の差をつけて先頭でゴール。
当時のTVの実況アナウンサーが「奇跡の復活!」と叫んだのを覚えている。今となってはこのワードの強さが際立っていますねぇ。
何度も言うけど、当時の私は競馬デビュー年で、実質的には1993年の桜花賞が競馬デビュー。なので前年度のトウカイテイオーがどういう感じになっていたのかはよく知らなかったのだ。その前後の事情をよく知らないままにトウカイテイオーの奇跡の復活を見届けた。
後に知ったがトウカイテイオーは前年度(1992年)の有馬記念で1人気に推されながら惨敗しており、そのレース以来の1年振りの出走での劇的な勝利だった。
ただトウカイテイオーという馬名は知っていたものの、昨年の有馬記念以来という事で、実際に走っている姿を見たのはこの1993年の有馬記念が最初という事になる。
初めて見たトウカイテイオー。
この有馬記念での走りは本当に輝いて見えた。
だが残念な事にこの1993年有馬記念のトウカイテイオーが現役最後のレースになった。トウカイテイオーはその後も怪我に泣かされ続け、翌年は大阪杯を回避すると後に骨折が判明。その後に秋の復活を目指すも、夏場に突如引退が発表される。
翌年に種牡馬入り。
当初は種牡馬としての成績が目立たなかったものの、産駒は2002年にトウカイポイントがマイルCSを、2003年にはヤマニンシュクルが阪神JFを制覇している。
この有馬記念で半馬身差の2着に敗れたのは1人気だったビワハヤヒデ。
ビワハヤヒデはこの後に古馬の王道路線を歩み、天皇賞春、宝塚記念を制して古馬の代表格へ。しかも連対率100%をキープし続けるなど、絶対的な安定感が魅力の馬でもあった。
ただ天皇賞秋で5着に敗れた直後に屈腱炎を発症し、そのまま引退となった。
3着だったのは10人気のナイスネイチャ。
当時すでに「勝てないけど3着には来る」という神話があったナイスネイチャ。このレースも上位馬には3馬身以上も離された形だが3着を確保している。
当時の私は知る由もなかったが、1991年、1992年と有馬記念で共に3着に来ており、今回の1993年の有馬記念も3着となった事で「3年連続で有馬記念3着」という偉業(?)を達成。
当時はワイド馬券すらない時代でもあり、今のように3連単や3連複の馬券が導入されていれば、馬券的には非常に頼りになる馬だったかもしれない。
ちなみに翌年の1994年も有馬記念に参戦したが、この時は5着(11人気)に敗れている。
このレースで古馬の代表格として挑んで2人気だったレガシーワールドは5着敗退。その後は屈腱炎を発症した事、騙馬という事で出走レースが限られていた事などもあって、成績は下降線の一途を辿る。結局1996年まで現役で走り続けたが、目立った成績を残せないまま引退している。
ちょっとここからは余談を…。
当時の私の馬券は前述しているように、ベガ-ウイニングチケットの馬券を買っていた。当然、馬券はハズレたのだが、実はトウカイテイオーの単勝馬券も持っていたのである。
今の私なら当然ベガを中心とした馬券で終わっているのだろうが、競馬デビュー年であった当時の私には確固たる馬券理論などなは無く、見境なく馬券を買っていたのだろう。
しかもその馬券は単勝だから、あのトウカイテイオーの馬名入りのもの。
今なら記念に携帯で写真を撮っただろうし、馬券コピーのサービスも受けたかもしれない。
ただ当時(1993年)に個人の携帯は持ってないし、適当なカメラもなかった。今になってよくよく考えれば、他に記念に保存できる手法はあったのかもしれない。けどそこまで頭が回らなかったのだろうね。
忙しい年末の時期だったし、馬券の換金の期限(当時は30日だったような気がする)もあったしね。
僅か1000円的中馬券だが、当時の私は○○の身分。
この単勝馬券(約9000円)で得られるお金は大きい。
結局のところ泣く泣く換金したのを覚えている。
あれから31年。
でも競馬デビュー年だった事もあって、いろいろと明確に覚えているなぁ…。競馬に限らずに色んなことをね。
まだ若かったからいろんな事も吸収力や、記憶力が良かったんだろうね。
今は昨日の晩御飯の献立すら忘れるのにな…(笑)