過去の思い出 マーベラスサンデー
(この記事は「羽柴の隠れ家」内の競馬コラムで2020年8月に掲載したものです)
夏競馬真っ盛り…というかもう終盤に入ってしまっている。個人的感覚から言えば夏競馬に良い思い出は少なく、どちらかと言えば苦手にしているシーズン。近年はソコソコの有力馬が夏競馬にも出走してくる傾向(秋競馬に向けて始動が早くなったとも言える)があり、ひと昔前に比べるとレースレベルも上がっていると言えるし、何よりも注目度や盛り上がり度というのも向上しているとは思う。予想や馬券を買う側としては年々面白くなっているとは思うのだが…。
ただ夏競馬の成績がそのまま秋競馬に通用するかと言えばそうでもないのが現実。個人的感想としての話だが、ひと昔前の夏競馬で好成績を上げて注目されても秋競馬の開始と同時に叩き潰されると言うか、自然と淘汰されてしまう印象がある。それは単純に夏競馬と秋競馬のレースレベルの問題であったり、暑い時期の激走で秋には体力的にお釣りが無い状態になっているのだろう。2歳戦でも早熟、晩成などの成長度合いの兼ね合いもあって、この夏の時期に期待の馬を見出してもクラシック戦線の頃にはもうすでに…というタイプの馬も多いように思える。単純に日々の馬券を楽しむならまだしも、後々に繋がる予想や馬券を…と考えるとそこまで真剣に夏競馬をやろうと思わなくなる要因はコレだと思っている。
ただ中には夏競馬で実績を残し、そのまま秋競馬でも有力馬相手に善戦。いや善戦どころかそのまま一流有力馬と呼ばれる存在にまでなっていくような例外的な馬も存在する。
そういうタイプの馬の一頭に1996年のマーベラスサンデーがいる。
マーベラスサンデーは1995年にデビュー2連勝を飾ったがその後に数度の骨折があってクラシック戦線で走れず。しかし明け4歳(当時は5歳表記)の1996年の春から夏にかけて1000万条件(当時は900万条件戦)から3連勝でエプソムカップを制覇。その後も札幌記念、朝日チャレンジC、京都大賞典と重賞を連勝し続けて6連勝。ついにはその年の天皇賞秋にまで出走することになる。天皇賞秋では重賞連勝中の勢いを買われて2人気に支持されたものの、結果は0.2秒差の4着に終わる。
私自身が初めてマーベラスサンデーを認識したのは1996年5月の鴨川特別(当時は900万条件戦)。場外馬券売り場で見たのか、TVで見たのかは忘れてしまったのだけど、とにかく後続を結構千切っての圧勝(実際は5馬身ほどの差)。
「これは強い…」
展開や内容というよりも5馬身差の圧勝という見た目の印象度だけで記憶された馬だった。こういう感じで印象に残った馬というはこの後も延々と追い続けてしまうもの。次戦の桶狭間Sは買う機会を得られなかったものの、その次のエプソムCでは当然のようにマーベラスサンデーからの流し馬券を買ったのを覚えている。ただ20年以上経っても同じことを繰り返しているが、当時から流す相手の馬が間違っているというケースが多く、この後この馬からの流し馬券で勝負し続けるも相手悉くは外すという失態を続ける。この馬自身は京都大賞典まで連勝を続けるというのに、この馬からの流し馬券で一行に当たらない…という状況だった。
馬の話に戻るが、マーベラスサンデー自身は確かに脚元の関連で何度か戦列を離れているが、内臓や中身は結構タフな方だったのかもしれない。この1996年は4月に復帰してから10月下旬の天皇賞秋まで長期に休みを入れずに走り続けている。当時のエプソムカップと札幌記念が6月開催なのでこれを夏競馬とみるかどうかは判断に迷う所はあるのだが、春から秋にかけて大きな休みを入れずに走り続けたという意味ではタフな馬だったと言えるのではないだろうか。しかも条件戦を勝ちあがってそのまま重賞勝利、その後も重賞を勝ち続けてあの京都大賞典まで制するのだから相当能力も高かったことを示している。
ただこの馬の場合特筆すべき内容が2点ある。1点は夏競馬から秋競馬に向けて勝ち上がったレースの内、斤量面で恵まれた…という感じのレースが一つもない事。ハンデ戦は桶狭間Sと札幌記念(当時はハンデ戦だったんだな…)があるが、桶狭間Sは56.5キロ、札幌記念は58キロと共にトップハンデを背負っている。後は全て別定戦で重賞ではすべて57キロを背負っており、夏に勝ち上がってくる馬にしては比較的珍しいタイプあったと言える。
もう一点は殆どのレースで着差が0.1秒以内という事。前述の鴨川特別で5馬身の圧勝を見せた以外はすべて0.1秒差以内の僅差での勝利。戦績を見れば確実に勝つ印象だが、実際のレース内容はそこまで楽観できるような差で勝っている訳では無かったという事。実際に見た事がある人にはわかるのだろうけど、この馬の場合はまさしく勝負根性がウリでもあり、とにかく抜かれない、抜き返されないという印象のレースが多かった馬。翌年の宝塚記念でG1初制覇となる時もクビ差、有馬記念でシルクジャスティスの2着の時もアタマ差という内容だった。後になって思えばこのマーベラスサンデーを5馬身の圧勝で私の中に印象に残したものの、あの鴨川特別以外でこの馬を見ていたらそこまで印象に残る馬ではなく、ここまで執拗に追い続けることは無かったのかもしれない。
その後のマーベラスサンデーは1996年の有馬記念でサクラローレルに屈して2着となるが、もう完全に古馬有力馬の一角をしめるようになっており、翌年の天皇賞春でも3人気、続く宝塚記念では1人気の支持に応えてG1初制覇を飾る。骨折の影響もあってぶっつけ本番となった有馬記念でもエアグルーヴを抑えて1人気になるも、結果はシルクジャスティスに足元を掬われるような形で2着敗退。翌年屈腱炎を発症している事が分かりそのまま引退となった。
戦績を見てもこれほど安定している馬はいないというのに、悉く馬券を外し続けた結果のは前述のとおり。結局この馬で馬券を取れたのは最後の最後の1997年の有馬記念の馬連のみ。外したレースの殆どが1着3着という結果であり、あの当時の3連複があれば…という思いははある。それでもこの馬を追い続けたのは、この馬にあの天才武豊が乗り続けた事が大きかった。これは後になって判明する事だが、マーベラスサンデーはデビューから引退まですべてのレースを武豊が手綱を取っている。私の記憶の中ではG1馬で武豊だけがデビューから引退まで手綱を取り続けた馬は、このマーベラスサンデーとディープインパクトのみである。