過去の思い出 クロフネ
「クロフネ」という馬は比較的有名な馬。現役時代はNHKマイルCとジャパンカップダートと芝とダートの両方でG1を制したことで有名。その他にも3歳時(現2歳時)にはラジオたんぱ賞3歳ステークスでアグネスタキオン、ジャングルポケットとの対戦や、武蔵野Sで9馬身圧勝などのレースがよく取り上げられていると思う。
あくまでも個人的な印象としての話であるが、私自身は毎日杯と日本ダービーの2レースが思い出としては残っている。
毎日杯は当時新鋭の関東馬(コイントス、ルゼル)を完膚なきまで粉砕した結果で、内容も5F目からのロングスパート戦の内容で圧勝。走破時計も1.58.6と圧巻の時計であり、インパクトとしてはこのレースが一番だと思っている。相手も前述のコイントス、ルゼルのほかにダイタクバートラムもいたメンバー構成。着差も2着コイントスには5馬身、3着ダイタクバートラム以下には何と10馬身(1.8秒差)も千切った内容だった。この後NHKマイルCを制する事になるが、その前触れとでもいうレースだろうか。
そして2つ目が日本ダービー。
個人的にはこの日本ダービー直前の事が一番思い出に残っている。
一番強烈に覚えているのがレースの内容では無くて、そのレース1週間前の出来事。あのダービーの週に突然のようにクロフネバッシングとも言える報道内容が連続してあった事。その内容はクロフネの距離適性の問題(2400mは長い)、ローテの問題(NHKマイルCからの間隔が短い)、調整方法(調教の内容が軽い)など様々なネガティブ報道が一斉に行われる。実は今振り返ってみてもダービーの敗因はこれらの報道内容と一致するところも多いと思われるのだが、その前の週まで散々クロフネを散々持ち上げておきながら、直前の週になって一斉に叩き始める姿勢に変わったのは少し腹立たしい感覚になったのをを覚えている(ちなみにこの時の私はクロフネ擁護派)。
この時のクロフネ陣営が目指したのはNHKマイルC→日本ダービーのいわゆる「変則二冠」の達成と、初の外国産馬のダービー制覇(この年からダービーも外国馬に解放された)という肩書。変則二冠はともかくとして「初の外国産馬ダービー馬」これがクロフネバッシングの最大の理由だったと個人的には思う。
馬名の「クロフネ」とは日本の幕末期(1853年)に開国を迫るために浦賀沖にやってきた「黒船」に由来した名前。その由来となった「黒船」は友好的な態度を装いつつも半ば脅しのように大砲(空砲)をぶっぱなし、その轟音で江戸の町を騒然とさせて徳川幕府に圧力をかけ、結果的にこの脅しに屈する形で翌年に幕府は開国することになる日本史の中でも重大な局面を迎える。今現在の感覚を以てしても当時の「黒船」は人の家の前で大きな声で喚きたて、ドアを蹴破ってこようかという勢いをもった来客という感じだろうか。いや来客というよりかは押し込み強盗に近い雰囲気は当時もあったと思う。
歴史解説はここで終わって、馬主サイドも外国産馬にダービーが開放されるのを見越しての馬名の命名であり、クロフネの名前が意味することを百も承知だったとは思う。だが当時の競馬社会では徳川幕府と同じように閉鎖的な社会であったのも事実だろう。しかも毎日杯、NHKマイルCと圧倒的な強さを見せてダービーに挑んできた「クロフネ」は奇しくも1853年に浦賀沖にやってきた「黒船」と同じだったのかもしれない。
報道各紙が一斉にネガティブ報道に切り替えたのはおそらくこれらの事情があっての事ではないのか…と推察する。その日本ダービーではクロフネに対抗する馬の筆頭格である皐月賞馬のアグネスタキオンが離脱(後に引退)しており、クロフネが勢いそのままにダービーを制するシナリオは普通にあり得る流れになっていた。この状況が当時の競馬社会に相当の危機感が急速に高めた原因かもしれない。NHKマイルC終了後には1人気が確実にすら思えたが(あくまでも個人的感覚だけど)、結果的にレース当日にはクロフネは2人気。当時の日本ダービー1人気は皐月賞で3着だったジャングルポケットだった。
レースの結果はクロフネは5着敗退。内容は直線序盤までいい手応えで上がってきたものの、直線半ばからは伸びあぐねる…という形で5着だが、勝ち馬とは0.9秒も差がついてしまい完敗の内容だった。結果的にネガティブ報道で挙げられたローテの問題(NHKマイルCからの間隔が短い)、調整方法(調教の内容が軽い)は当てはまるところが多いので、このクロフネバッシングだったと語る私の論調は間違っているのかもしれない。ただその前の週まで「初の外国産馬のダービー制覇へ!」という論調だった報道各紙が、ダービー週になって突然手のひらを返したのが未だに不可解でモヤモヤが残ったままなのだ。
ちなみにこの後クロフネは天皇賞秋を目指すが、ここでもひと悶着が。天皇賞秋の外国産馬出走枠は2頭。そこには先輩外国産馬のメイショウドトウ、アグネスデジタルが出走を決めた為に、クロフネは天皇賞秋に出られなかった経緯がある。しかしこの時メイショウドトウは早くから天皇賞秋参戦を表明していたものの、アグネスデジタル側が急遽参戦を表明する形に。当然獲得賞金の関連でクロフネは出走枠からはじき出される形になり、これによって急遽参戦を決めたアグネスタキオン側を攻撃する論調が出てくるという始末。ダービー週にあれだけクロフネを扱き下ろしておいて、天皇賞秋に出走できないとなると今度は擁護に回る…という報道そのものは不可解で仕方ない。
ただ天皇賞秋に出られず…という事態が武蔵野S出走へと繋がるから面白い。その武蔵野Sでは初ダート、初の古馬相手の対戦などの要素がありながらも結果は9馬身差の圧勝、そして大幅なレコードタイムの更新。そしてジャパンカップダートも前年度の優勝馬ウイングアローを7馬身の差をつける圧勝ぶりを見せる。
このクロフネの最大のハイライトはやはり後半のダートでの2戦の印象が強いらしく、殆どの方々がクロフネを語るについてこのダートでのレースを取り上げられる。確かに圧勝している内容だしインパクトの強さという意味では当然だとは思う。しかし根性と精神が捻くれた私(特に当時は)にとってはダービー前の一連のクロフネバッシングのインパクトが強すぎ、未だにそれに納得させる術を持っていないのでそれについて少し書いてみました。私は一連の報道をバッシングと形容しているものの、報道各紙としてはただ不安要素を事実として伝えただけと言うでしょうがね…。