過去の思い出 1994年、1995年天皇賞春
(この記事は「羽柴の隠れ家」内の競馬コラムで2019年4月に掲載したものです)
過去のレースの思い出、馬券自慢を勝手に語ってみる企画。
第2弾は1994年年の第109回、1995年の第111回天皇賞春。
まずは1994年は京都競馬場改装の為に阪神競馬場での天皇賞春。そのの天皇賞春を制したのはビワハヤヒデだった。
前年の菊花賞を制したビワハヤヒデは有馬記念を惜敗したものの、この年は京都記念を圧勝してここに参戦し断然の1人気。前週の皐月賞では弟のナリタブライアンが圧勝して三冠馬への道を踏み出しており、それが影響しての断然人気だったのかもしれない。
2人気は前年の皐月賞馬のナリタタイシン。前年の菊花賞では直前運動誘発性肺出血が影響して17着大敗。巻き返しを図るこの年は目黒記念を58.5キロのハンデを背負って鮮やかに差し切り勝ちを収めてここに参戦していた。3人気はアルゼンチン共和国杯→日経新春杯→阪神大賞典と重賞を3連勝してきたムッシュシェクル。勢いは買われていたものの、G1での実績が無くてこの人気。ただG1でも好走歴のあるマチカネタンホイザ、ナイスネイチャを押えての3人気だからかなり支持されていた方だとは思う。
レースの方は直線で楽々と抜け出したビワハヤヒデに、後方待機から4角で一気に外を回って上がってきたナリタタイシンが襲い掛かる展開。ただビワハヤヒデは余裕の抜け出しで脚が残っており、ナリタタイシンもそこまで長く脚は使えずに逆に突き放される展開で2着。3着はムッシュシェクルが好位から粘っており、結果的に人気通りの決着となる。
ここからが個人的な馬券の思いでの話。
実はこの年の天皇賞春に参戦予定だった有力馬にライスシャワーがいた。ライスシャワーは前年の天皇賞春の勝ち馬で、その前の年の菊花賞馬。ただ前年秋から成績が不振でこの年も京都記念でビワハヤヒデに完敗、続く日経賞もステージチャンプにハナ差で敗れるなど本調子にはほど遠い印象だった。それでも3000mを超える距離で変わり身が望める事、そして何よりも長距離が得意なリアルシャダイ産駒として注目されていた時期でもあり、このライスシャワーを含めて他のリアルシャダイ産駒(ステージチャンプ、ムッシュシェクル)の3頭の勝負に出ることを決めていた。
しかし…である。レースの前の週に故障が判明。勝手にリアルシャダイ三本の矢と称した一角が出走できずで、残りの二本であるステージチャンプ、ムッシュシェクルを軸に勝負に出るも、ステージは5着同着、ムッシュは3着に終わってしまう。結果論かもしれないがビワとナリタの強さが際立った内容であり、ライスが出てきて勝負になったか?と言われると厳しかった可能性は高い。
ただし翌年の1995年の天皇賞春でライスシャワーが劇的な復活勝利を挙げる。しかも2着にリアルシャダイ産駒のステージチャンプ、3着にも同じ産駒のハギノリアルキングを従えての復活勝利。この年も前年の考えを貫いてリアルシャダイ産駒で勝負に出ていれば当然の如く的中したであろうが、この年は1人気のエアダブリン(当時は血統面での注目よりも長距離のスペシャリストとしての評価が高かったはず)に目を奪われてしまい、前年までの考えや信念は微塵もなかったように思える。
実はこの当時はまだ競馬を始めて1年ちょっと。競馬のいろんなことを学習、吸収している時期でもあり、リアルシャダイ産駒は長距離得意だから…みたいな話も当時の競馬の師匠(学生時代の友人)からのほぼ受け売りだったと記憶している。その知識も翌年までしっかりと保っていれば馬券は獲れたのではないだろうかと考えてしまい、未だに思い出に残っている(ほぼ後悔の念だが)レースの一つである。
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