お題

#部活の思い出

辛かった練習のエピソードや部活終わりに仲間と遊んだこと、卒業後も続く部活仲間との友情の話など、あなたの青春の思い出を教えてください!

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柔道沼にハマって投げ飛ばされた話 中学生編

お風呂をキャンセルしたところ 嫁さんから 「納豆くせぇ(笑)」 「おまけに洗ってねえ犬の匂いがする(笑)」 と言われちょっと凹んたと 以前の記事でカミングアウトした49歳です くやしいのう😭くやしいのう😭 (T ^ T) さて今回は 嫁さんの「納豆くせえ(笑)」 という一言から 同級生の納豆臭かった柔道着の記憶 それと共にが蘇った 柔道沼にハマって 投げ飛ばされた話 中学生編 を書かせていただこうと思います(笑) いつも嫁さんに 言葉でも行動でも コテンパンにヤラレ

- カナダの日常 vol.26- ダンシャリ!

衣類を捨てるのが下手 私、捨てられないオジサンです。衣類ですね、ほぼ。特に近年。擦り切れた靴下とか穴の開いたパンツを平気で履いていたり。あと、なんでか知らないけれど、高校時代の学校ジャージを愛用していたり。部活のハーフパンツとか。信じられませんね。だからと言って、ゴミ屋敷って話ではないんですけどね。着なくなった衣類を捨てないんですよ、着ないくせにね。 第三者委員会?による断捨離 ということなので、定期的に第三者委員会の監査が入ります。第二者か、家の人です。早い話、強制

スポ根はノンフィクション

#部活の思い出 こんにちは ミラクルパンダです。 皆さんは『スポ根』という言葉をご存知でしょうか。 今では失われつつある言葉ですが、スポーツと根性を掛け合わせた、造語です。 『スポ根』を知っている人は、有名なアニメが思い浮かぶと思います これから綴るのは、 今から20数年前に中学生だった、陸上部の実話です。 「水飲むな!」「体を冷やすな!」 夏休みの部活中、先輩から激が飛びます 注⚠️夏休みです 真夏にジャージ上下着たまま、アップでグラウンド周囲を5キロほど

10年、体育会系だったけど、ルールの曖昧な世界では「無理しないで」と思う。

 中学から大学までずっと体育会系。とくに最後の4年間は強烈な部活に在籍。あのしんどい時代に二度と戻りたくはないですが、あの頃の経験に支えられていることはたくさんあります。  ただ、社会にでて色々な出会いを重ねた今は、4番でピッチャーでキャプテンの高校球児に感動しつつも、どうか社会にでてからは無理しないで..と祈る気持ちが強くなりました(全くもって余計なお世話なので、現役選手にそんなこと口が裂けても言いませんが!)。 「できるまでやれ」「できるやつが一番やれ」 「できるまでや

【人生】切ない恋物語、青春の1ページ。

学生の頃って、きっと誰にでもこんな経験があるのだろうか?戻りたくはないけど、なんとも切ない恋物語、青春の1ページ。 今日は思い切り書いてみようと思う。 色々なところで語っているが、私には高校3年間付き合った彼氏がいた。 私は、高校をテニス推薦で入学している。 一般的な高校入試とは違い、中3の秋頃には、通っていたテニスのクラブチームと高校の顧問との間でほぼほぼ話が決まっていたという感じだった。 そんな訳で、私は中3の春休みから 進学先の高校テニス部の練習に参加していた。

¥333

宝物|練習より往復のジョギングのくだらない話が何よりも楽しい

最近お気に入りの公園をみつけた。こじんまりしているけどテニスもバドミントンもキャッチボールも楽しめるオールマイティな場所。 残念ながら駐車場がないから息子と走って向かう。 娘は公道を走ることができるので1人自転車。 母の自転車はカバーが割れて壊れていたから断捨離してしまった。 年末年始に駅伝をみた影響か、なぜか娘が白バイ役、息子と私は駅伝の選手という設定になっていて実況中継されながら走る。 背中には3人分のテニスラケット。 靴と地面が離れる度にラケットを入れた袋がリズム

肩に刻まれた青春の痛みと寄せ書きのTシャツが教えてくれた、仲間の絆と新たな夢への一歩

野球部の仲間達 高校3年生の夏、息子隆則が野球を辞める決断をした時のことを、 私は今でも鮮明に覚えています。 20年以上も前の話ですが、その時の彼の心情を思うと、 胸が締め付けられるような痛みが蘇ってくるのです。 隆則には兄がいます。兄は名門野球校でエースでキャプテン、そして 4番打者という輝かしい存在でした。ガタイもよく、誰からも一目置かれる存在であった兄の影響を受け、隆則も迷わず野球部に入部しました。 中学時代には高跳びで県一位という成績を残すほど運動神経に恵まれてい

25年ぶりに高校への通学路を走りながら思ったこと

三連休に、久しぶりに実家に帰りました。 私の生まれ育った愛知県岡崎市は、高校卒業まで過ごしていた場所。 最近では、祖母の介護などの影響もあり、家族が集まるときは母方の実家である「宮崎」になっていました。そのため、約3年ぶりの帰郷です。 そんな中で、ふと「25年ぶりに高校への通学路をランニングで通ってみた」のですが、なんだかエモい気持ちになるとともに、ずっと忘れていたことを思い出したり、不思議な気持ちになりました。 本日は、そんな個人的かつ、ゆるいお話ではありますが、感じ

初めての自覚から30年

阪神・淡路大震災から30年目と成る。 あの日、アタイは朝起きて部屋でストレッチをし、犬の散歩ついでの軽いランニングへ行こうとして居た。 母上は朝餉やお弁当を作り、父上はNHKを見つつ新聞を二冊読んで居た。 我家の何時もの朝の風景だったのだが、アタイが散歩前にはいつも通りが変化して居て、アタイは汚れてOKな服のままで父上に大声で呼ばれた。 「神戸が大変な事に成ってる、お前何処行く気だ」と、父上は顔色悪く怒り半分言って、また画面に目を向けていたかと思うと、素早く支度し、職場へ

美術部、頑張りました!

 11月15日(金)から19日(火)まで、トーサイクラシックホール岩手(岩手県民会館)展示室を会場に、第47回岩手県高等学校総合文化祭美術工芸展が開催されました。  この美術工芸展の絵画部門に、本校美術部の生徒も出品しました。  美術工芸展には61校が参加し、絵画部門には483点が出品されました。  美術工芸展の最終日である11月19日、トーサイクラシックホール岩手(岩手県民会館)中ホールで表彰式が行われました。  美術部の皆さん、おめでとうございます!

お前らはゴミ。土下座とベリーショート、白い陶器の中の水

お前らはゴミだ。 13歳の冬、 僕たちは ゴミだと言われた。 顧問の先生は40代で 小柄な男性だった。 僕たちより背の低い 顧問の先生は、 試合でミスをすると 土下座を強要した。 勝ちたいのなら 髪を切ってくるようにと言った。 チームメイトは泣いた。 よく泣いた。 のどの渇きに 土下座の恥ずかしさに 煙草の煙を顔にかけられた屈辱感に 正座を長時間強要された足の痛みに チームメイトが泣くと僕は 悲しい気持ちになった。 僕は髪の毛を切った。 ベリーショートだった髪を

無駄なことを頑張る人間は嫌いじゃない

自分は過去に、無駄なことを頑張る人間だった時期がありました。 甲子園を目指す高校球児だったあの時期。 平均より少しだけ設備が整っていて、 平均より少しだけ部員が多くて、 平均より少しだけ強い公立の学校で、 本気で甲子園に行けると信じて疑わず練習に明け暮れたあの時期。 練習が大変ではあったけど、仲間と成長を実感できることが楽しくて仕方がなくて、強豪とも競り合える試合を何度も繰り返して、もしかしたら、もしかしたら本当に甲子園に手が届くかもしれないと思えるようになって。 でも結果

とことん弱小校

中学1年の冬まで通った学校は 吹奏楽部の弱小校でした。 中学1年の冬から通い始めた新しい学校は 吹奏楽部の強豪校でした。 弱小校から強豪校に転校したすの少女にとって 当時はカルチャーショックの連続でしたが 新しい学校の先輩や同期たちも 私のあまりの無知さにドン引きでした。笑 今思えば最初の学校の弱小っぷりは もう笑っちゃうほど。 本日は 強豪校と弱小校 どちらも経験したすのだからこそ語れる 最初の学校がどれだけ弱小だったか というようなお話をしたいと思います。

〖日記〗「三送会。」

娘の吹奏楽部の「3年生を送る会✨」に行ってきました(*^^*)💓 通称「三送会✨」(笑) 泣かないと、決めていたのに…。 最初の後輩達からのメッセージ動画から、泣いちゃった…😢 写真の四文字熟語は1年毎のスローガンです! (1年生の時のが見つからなかった💦) 必ず読み方を「奏」の文字に変えるのがお決まりです。 そして、いつも部活の最後にスローガンを叫びます。 お弁当が出て、みんなで歓談したり、 クイズが有ったり、後輩たちの次の大会、「アンサンブルコンテスト🎺」の発表

⚽【1回戦・結果】サッカー・プリンスリーグ東北参入戦

 12月13日(金)、宮城県宮城郡松島町の松島フットボールセンターで、高円宮杯 JFA U-18 サッカー プリンスリーグ2024東北プレーオフ1回戦が行われました。  岩手県第1代表の本校は、福島県第2代表の福島ユナイテッドFC U-18と対戦しました。  ゲームは、前半7分、福島ユナイテッドFC U-18に1点先制されました。  追いかける本校は、前半14分、No15 MFの千葉睦選手が1点、同じく前半33分、No11 FWの細谷地亮介選手が1点と、合計2点を返して

明治安田生命様から、サッカーボールを寄贈していただきました

 12月17日(火)、明治安田生命保険相互会社盛岡支社遠野営業所様から本校サッカー部に対して、サッカーボールを寄贈していただきました。  現在、明治安田生命様では「未来世代応援アクション with カズ」の活動を行っているとのことでした。この活動は、三浦知良選手の協力の下、全国のこどもたちに三浦知良選手の背番号11にかけた1.1万個のオリジナルサッカーボールを寄贈するというもので、未来に向けて挑戦することの大切さを、三浦知良選手のメッセージと合わせ伝えることで、こどもたちの未

なぜ熱血指導は廃れたのか?

最近めっきり廃れたものがある。それがスポーツや企業における若者への熱血指導やシゴキである。 筆者が学生時代の頃には流石に「水を飲むな」といった非科学的な指導はすでになくなっていたが、顧問や先輩による厳しい指導はまだ行われていた。現在50代前半の氷河期世代前半組の頃は、部活によってはまだバチバチの指導が残っていた。企業による若手指導の場においても、氷河期世代が20代の頃はまだまだ現代の基準に照らし合わせるとパワハラに該当する指導も多々あった。 しかし氷河期世代の後半組からゆ

¥250

走ると思い出すこと

夜、こどもたちと近所を散歩した。 今日の福岡は台風一過できれいに晴れて、散歩しながら手元のスマホで気温を見ると26℃。Tシャツの隙間から入ってくる風がいつもよりさらっとしていて気持ちよかった。いつの間に真夏のピークは去ったんだなあと思う。 夏休みの間、日中が暑すぎて妻とこどもたちが家に籠っているのでこうしてちょくちょく夜の散歩に誘うようになった。妻からは「編みたいからいい」と今日も断られたけど。日中も編み物教室に行ってたのによく編むなあ。家が妻の編んだ毛糸で包まれていきそ

2/15引退後に監督と話す

 数年前のこと。    高校野球で求めていた結果を残せず引退、進学、就職をした後にふとしたことで監督と食事をする機会がありました。 甲子園に行けると思っていたか? 監督、僕の答えは一致していました。  答えは「NO 」です。  情けないといえばそうなのですが、指導者と選手の双方がその可能性は無いと考えていました。 駒が足りない 良い選手はいたと思っています。  ただ、どうしても選手層が薄くそれが高い壁となってしまっていたのです。東京や大阪、神奈川のような超が付くほど

日記#136中学部活の恩師に再会

急に恩師との再会が決まり実現。 中学時代の部活の先生。 1度は珈琲焙煎豆の店をオープンしたと聞いて、お店に主人と2人で伺いお会いした事がある。 それ以来。 どうやら約15年ぶりらしい。 今回は当時のチームメイトと2人で会いに行ってきた。 待ち合わせ場所に着くと、先に到着していた先生がキョロキョロされていた。すぐにこちらを見つけてくれたようだ。 ペコペコと3人同時に頭を下げ「今日は時間を作って下さってありがとうございます」と先ずは挨拶から。 3人皆で顔を合わせると真っ先

#2 私の野球のこと

 こんにちは。自己紹介に続けて私が15年続けていた野球について語りたいなと思いました!長くなりますが見ていただけたら幸いです。  私は小学1年生から大学4年の春季リーグまで約15年野球をしてきました。何度もくじけそうになったり、辞めたくなったり... それでもたくさんの人の支えで立ち上がることができ大学では神宮大会出場、ベストナイン、リーグ選抜まで経験することができました。 私にとって野球は青春そのもので、私の人生にとって大きな財産です。  私の野球人生でもターニングポイント

オタクの実像 ~2000年代後半のオタク達~

 今回の記事では2000年代後半のオタクについて、僕の実体験を書きます。2000年代後半はちょうど僕が大学生だった頃で、僕の周囲には何人もオタクの知人がいました。この記事では私やオタク友人の実体験に基づく歴史を書きます。なので普段の僕のブログの記事は"分析"や"紹介"ですが、今回の記事だけは"一人称の記録"、すなわち"一次資料"です。そういう物として読んでください。  僕が大学に進学して半年が過ぎた頃。それまで慣れない履修登録・第二外国語・TOEIC試験・レポート作成・運転

⚽《プリンスリーグ東北昇格‼》サッカー・プリンスリーグ東北参入戦3回戦

 12月16日(月)、宮城県宮城郡松島町の松島フットボールセンターで、高円宮杯 JFA U-18 サッカー プリンスリーグ2024東北プレーオフ3回戦(プリンスリーグ東北参入決定戦)が行われました。  岩手県第1代表の本校は、令和7(2025)年からのプリンスリーグ東北への昇格を掛けて、青森県第1代表の八戸学院野辺地西高等学校と対戦しました。  ゲームは、前半開始3分、No9 FWの照井颯人選手が、ペナルティ・キックにより先制の1点を奪取しました。  その後のゲーム展開

久しぶりのコングラボードありがとうございます🙌

ヒステリック女が部活を崩壊させかけている話し#1

今回はヒステリック女が僕の所属している部活である放送部を崩壊させかけている話しをしようと思う。 メイン登場人物紹介1、N子 このN子が部活を崩壊させかけている張本人。鬼ヒステリック女である。 2、赤松(僕) N子と結構親密(過去) みんなで仲良くしたいと思ってる。 3、T子 T子は一番放送部の人間として仕事ができる。商業研究部も掛け持ちしている N子をヒステリック女として大爆発させた人間 4、Hちゃん 可愛い。放送部にいるとは思えないかわいさしてる。 N子とは小学校か

⚽【2回戦・結果】サッカー・プリンスリーグ東北参入戦

 12月14日(土)、宮城県石巻市のセイホクパーク石巻(石巻市総合運動公園)石巻フットボール場で、高円宮杯 JFA U-18 サッカー プリンスリーグ2024東北プレーオフ2回戦が行われました。  岩手県第1代表の本校は、山形県第1代表の東海大学山形高等学校と対戦しました。  ゲームは、前半16分、東海大山形に1点を先制されました。  0対1で突入した後半30分、追いかける本校は、No4 DFの谷地稜生選手が1点、41分に同じく谷地選手が1点、合計2点を返して逆転し、そ

⚽新人サッカー大会準決勝の結果(岩手県大会)

 11月17日(日)、準々決勝が行われた約3時間後、大船渡市の赤崎グラウンドで、第59回岩手県高等学校新人サッカー大会男子の部準決勝が行われ、 本校は盛岡誠桜高校と対戦しました。  本校は、前半に1点を先制しましたが、後半、盛岡誠桜に同点に追いつかれました。  延長戦前半、両校とも1点ずつを得点し、延長戦後半、盛岡誠桜が1点を追加しました。  この結果、本校は、2対3で惜敗し、第3位となりました。  なお、本校に勝利した盛岡誠桜高校は、翌18日(月)に行われた決勝戦で、

わたしがホルンになったワケ

「吹奏楽部のこと」 というマガジンを作っておきながら それに関する記事を全然書けていません。 中学高校の6年間 吹奏楽部で過ごした時間は 強烈で濃密なかけがえのない時間だったので 書きたいことが沢山あります。 私はホルンという楽器を吹いていたんだけど そもそも何故私がホルンパートに決まったのか 今日は 中学1年生の春まで遡って話してみたいと思います。 もともと吹奏楽部に入ることを決めた動機は 負からの回避でした。 (↓過去に少しお話ししました) 心理学の動機づけ

1.俺のプロローグ 〜迷惑をかけない〜 

 エッセイ   不定期で更新します。   順番どおりに読んで頂けると嬉しいです。 〈概要〉 “迷惑をかけない”それを意識しすぎるあまり自分が分からなくなることがある。 「もっと自分を出したい」って思うけど、迷惑かけないように、不快にさせないように、顔色を伺い同調しながら、その場その場で自分を変えながら関わってしまうため、結局自分を出せない。 本当の自分って何なんだろう。 もっと自分の考えや思い、いろいろな発想や想像を表に出したい。どうしたらもっと自分を出せるだろう……そ

〖作詞〗「奏と響」

【コメント】 【胡瓜撲滅】2024年11月【歌詞募集】に応募させて頂きました。     作詞:HANA。 作曲:胡瓜撲滅様  イラスト:いにみい様 で作成した作品になります。 歌は初音ミクさんの声を使用しているそうです。 タイトルは、「奏と響」←かなで と ひびき と読みます。 私事ですが、娘が中学の吹奏楽部に所属していましたが、なにかのご縁でしょうか…🌸 この楽曲が出来上がりました2024年11月9日に行われました、最後の大会を持ちまして完全に卒部となります。 そ

怒っていたアイツが正しかったのかもしれない

2024年12月10日(火)朝の6:00になりました。 10冊だけの古本屋さん、本日6冊発送します。補充は週末に。 どうも、高倉大希です。 小学生のころ、ドッジボールが大嫌いでした。 なぜなら、怒りはじめるヤツが必ずひとりはいるからです。 誰かが怒りはじめたせいで、ほかの誰かが萎縮して。 ほかの誰かが萎縮したせいで、またほかの誰かが怒りはじめて。 一体全体、これは誰のための何の時間なんだ? ずっと、そう思っていました。 6年ほど続けていたサッカーを、高校では

⚽【速報】サッカー競技決勝の結果(全国高校サッカー選手権岩手県大会)

 11月3日(日)、盛岡南公園球技場(いわぎんスタジアム)で、第103回全国高等学校サッカー選手権岩手県大会決勝が行われ、本校は専修大学北上高校高校と対戦しました。  現在のチームとして、本校と専大北上との決勝戦での対戦は、令和5年度の新人大会県大会、令和6年度の高総体県大会、東北選手権大会と今大会の4回目の激突でした。  なお、令和4年度以降での決勝戦での対戦は、これに令和4年度の新人大会岩手県大会、令和5年度の高総体県大会、全国選手権県大会が加わり、7回連続の激突とな

若手二人が熱弁!フォトグラファーと描くサービスの今と未来|フォトクリエイト「教えて!フォトクリエイトの撮影」

「偉大なことを成し遂げる人は、常に大胆な冒険者である」とはフランスの思想家モンテスキューの言葉ですが、若い時には多くの人が何かを成し遂げたくて冒険しようと思ったことがあるでしょう。 今回はそんな大胆な冒険心あふれる若手のお二人、池田凌さんと増田瞳さんに、写真とフォトグラファーの今と未来について語ってもらいました。 ── まずは、お二人のフォトクリエイトで働くきっかけをお聞きしたいと思います。池田さんはどんなきっかけだったのですか? 池田さん ぼくは転職でフォトクリエイト

息子の剣道部

中学になった時、何か部に入りたいと息子が言い始め、化学部に入ると言いました でも、化学部は週に一回しかなくて、親としては、何かスポーツをと打診しました。 息子は学校のスポーツ部を色々考えていましたが、どれも、小学校の頃からしている子には叶いそうにありませんでした。 そこに、春休みに訪れていた、私の実家で、父が 「剣道がいいぞ!剣道しろ」とプレゼンしまくったのが効いたのか、剣道部に入る事になりました。 丁度、私の防具が実家に残っていたので良かったようでした。 学校で、「剣道部

過ぎてから、思い出のクリスマス。偶然か必然か。

クリスマスといえば、ケンタッキー。 子どもの頃から好きだった。 好きがこうじて(たまたま近くにあって)、大学時代にはケンタッキーでバイトもした。 ランチの30分くらいを乗り切れば、のんびりゆったりなお店だったが、さすがはクリスマス。 自動ドアが閉まらないくらい混み合った。 混雑対応に慣れてなかったので、かなりハードだったと思う。記憶が飛んでいる。 ある日「ケンタでバイトを始めた」と、サークルの先輩に言ったら、爆笑された。 なんで笑われるの!?と最初は謎だったが、理

⚽新人サッカー大会準々決勝の結果(岩手県大会)

 11月17日(日)、大船渡市の赤崎グラウンドで、第59回岩手県高等学校新人サッカー大会男子の部準々決勝が行われ、本校は水沢高校と対戦しました。  新チームが臨む今大会で第2シードだった本校は、2回戦から参加しました。  本校は、前半に6点、後半に5点を得点し、11対0で勝利しました。

光る水面が美しいから

 高校生の頃、所属していたオーケストラ部が大変実力社会で、1年生の頃にたまたまコンクールメンバーのオーディションを勝ち抜いた私は、それからずっとその部活動の中で暗闇に浸っていた。  一番苦しかったのは、小さなレッスン室で、7人の同学年のフルートパートのメンバーと円を作り、話し合いという名の元私のメンタルを滅多刺しにする会が行われたことだ。同じパートには唯一心を許せる友がいたが、その会には偶然にも彼女はいなかった。私の嫌いなところを一人一人が連ねていく。私は全ての言葉を受け止め

人生において中学・高校の部活は人生に大きな影響を与える

中学3年の春、僕たちは放課後、音楽室に集まり、自宅から持ち寄ったレコードをみんなで聴きました。音楽の先生は1年間ずっと合唱ばかりやる先生でしたが、音楽室を使わせてくれたのです。 僕が最初に買ったのはビートルズのレコードでした。音楽室で友達の持ってきたELPの『展覧会の絵』に衝撃を受けました。それから、僕はビートルズやELPのレコードを集めます。当時レコードは子どもの小遣いではなかなか買えず、お年玉をもらうとレコード店に行きました。 友達の誕生日にはみんなでお金を出しあって

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京都ジャーナル📓

中1娘、思い出のNコン。

先日書いた、こちらの記事の続き。 最近、中1娘が所属するコーラス部が出場した、Nコン(NHK全国学校音楽コンクール)の県予選が行われた。 観覧自由(無料)とのこと。その日用事があったのだが、運良く娘達の出番は見に行くことができた。 会場に着き、2つ前の学校からホールで観覧する。 課題曲「僕らはいきものだから」と自由曲の2曲を披露。 課題曲は何度も繰り返し聴いていたこともあるが、歌詞が心に刺さりすぎて、娘の出番じゃないのにうるうる。 そして、子ども達の真っ直ぐな歌声

趣味×物販=最強!? ‘学生時代の熱中’を稼ぎに繋げる副業術

いま副業を考えていて「自分なんかに物販はできるのかな…」と不安を抱えていたりしませんか。私も副業と呼ばれるものを一通り試して、なかなか稼げなかった一人です。ブログやSNS運用、アフィリエイト、投資など、ネットでよく話題になるものは一度は触れましたが、まったく成果が出ない時期もありました。 しかし、私が唯一しっくりきて、結果に繋がったのが物販ビジネスでした。その理由を振り返ってみると、「自分の経験や興味のあるモノを扱ったからにほかならない」と気づいたんです。実は、物販ほど「学

厳しい指導の功罪:一人ひとりに合った成長のサポートとは

こんにちは、らるです。 今日は「厳しい指導」と 「成長」について話を していきたいと思います。 先日、私が昔所属していた 野球部のOB会に参加しました。 そこでは、十数年ぶりに会う 同期や先輩たちと、 懐かしい思い出話で盛り上がり、 当時の指導の話も出ました。 私が野球部だった頃は 指導の中で、 厳しい言葉が浴びせられることも多かったのですが OB会に集まっていた人たちは、 そうした厳しい環境を乗り越えた人たちです。 話を聞いていると、 「厳しい指導のおかげで、 自

北朝鮮の工作員に間違えられて、海上保安庁に謝った話

こんばんは。 ふるさと納税が届き、12キロの鶏肉によって冷凍庫が占拠され、何も入らなくなりました。 どうしようこれ。。 今回は、投稿コンテスト応募作品です。 #想像していなかった未来 12年ほど前、私が17歳だった時の話。 当時私は、ヨット部というかなり珍しい部活に所属していて、夏休みの始めと終わりに1週間ずつ、泊まり込みの練習合宿をしていた。 夏、海、合宿。 青春エグゾディアは揃っているはずなのに。 この合宿は、青と夏とは程遠い、まさしく懲役1週間だった。 朝は

131.「感性は力なり」中学校の先生の教え

中学生の時は吹奏楽部に所属していました。 「感性は力なり」 吹奏楽部の顧問の先生の教えです。部活の部訓でした。 白い大きな布に、大きな文字で「感性は力なり」と描き部員の手形をぺたぺた。 それを部室に貼りいつも見えるところへ。大会の時には、いつも持っていきます。マーチングの大会の会場では保護者の方が掲げて応援してくれていました。 当時は言葉の意味も理解できず「感性」ってなんだろう? 辞書で調べたりブレストしたり。 調べてみるとこんな言葉が出てきます。 それでもしっ

中1娘、Nコンに出場する。

この春中学生になった娘。部活は文化系と決めていた。 本当は吹奏楽部でフルートをやってみたかったらしいのだけれど、受験した学校には吹奏楽部がなかった。 茶道部と迷っていたが、入学してすぐの部活動紹介で、コーラス部の先輩方の面白さに惹き付けられたらしい。さらに、バス通学で話しかけてくれる素敵な先輩(2年生の女の子)もコーラス部。お誘いトークにこれまた魅了され、見学に行って決めた様子。 実は、以前からコーラス部は有名らしくて、去年も県のコンクールから九州大会に出場したそう。小

【体験記】初心者が大学2年生から野球部に 

大学に入ってから漠然と、新しいことにチャレンジしたいと思っていた。 しかし、大学1年生の時は、コロナ禍だったからサークルそのものはあるけど活動はしていなかった。 だから、状況が少し落ち着いた大学2年生から野球部に入部することになった。 外に出れないのは単純に辛かったし、1日あたりの人との会話量も減ったから、普通に引っ込み思案になったと思う。 部屋で何もせずに悶々と過ごして、寝て、気づいたら日が暮れるなんてこともあった。 そんな中、なぜ唐突に初心者で野球を始めた?

〖つぶやき〗「最後の闘い🎷」

いよいよ、娘が最後の闘いへ出掛けていきました🚌✨さいたまスーパーアリーナにて、第59回マーチングバンド関東大会 です。 「一音心奏~想像以上の音楽を~」 県大会以降も、工夫や新たな動きなどを加え、精一杯練習してきました。 人数も少ないので、最初違う楽器のソロだった部分を、急遽、先生からの指示で娘のアルトサックス🎷✨が加わりソリ(ソロの複数形)になり、2人で吹く場面もあるそうです。 ですが、もともと違う楽器のパートなので、その楽譜どうりには吹けないらしく、サックスの楽譜

わたしは大学で合唱部だったので いろんな舞台に立たせてもらった。 だけどもう合唱をすることって もうないなーと思ってミセスの 1日祭を切ない気持ちでみている。 18歳のときとかめっちゃ歌の練習してたし、本格的にやってたなあ。 今は夢というか何気に茶道をやる事に なった。ご縁だなあ

部活別 1クラブあたりメンバー数(2013→2023年)

今回は、「地域移行」に関する話題が注目を集めている部活動にまつわる統計です。1部活あたりの加入人数がどのくらいいいるのか、文科省がまとめた調査結果より算出しています。 10年前と比べてクラブそのものの数は減っていない一方で生徒数は減り続け、1部活の構成メンバーが少なくなっている状況がうかがえます。特に、15人1チームであるラグビーは平均がギリギリ15人である状況など、少子化が相当に深刻なスピードで進んでいることが浮かび上がってきます。

19.部活の話 〜悪い魔法使い〜

 俺は人生で一度だけ、怒りのままに人を殴ったことがある。  これまでのエッセイを読んで頂いた方々のイメージにもないと思う。俺が人を殴るなんて。おそらく、親しい友人ですらイメージないと思う。俺が人を殴るなんて。  それも遊びや、笑いノリではなく、怒りのままに俺は殴った……。  それは高校1年のとき。  俺は野球部だった。  俺の高校は田舎の公立校で、年々人口の減少が相次いでいる。野球部の同期は5人、ひとつ上の先輩は7人だった。3年生が引退後の新チーム、ひとつ上の先輩が全員ス