(続き)私は、東大大学院人文・社会系研究科のユダヤ教の先生に会った時、「人間は、修行をすれば、神にはなれないものの、人間と神の世界の間の特定の人しか入れない空間があり、その空間に入りたい」と言ったところ、先生は、「それは、京都学派、西田哲学の世界」と言われ、自己の哲学を再認識。