何時間かかろうとも、しなければならぬことがあれば、我は、たったひとりであっても、いわゆる。孤軍奮闘。なのである。私のためである。子のある人ならば、それらのためであろうか。優しさとは、甘えさせることではなく、甘えさせられる自分を磨くことである。ひとりで生きると決めた日から、幾日か。
その結果かどうかは不明だけど合理主義者だった反面晩年 あたりは宗教・哲学じみた側面をみせたものもあったと いうものもあったのかというところだよな… あと辞世の言葉としても本来は馬をひけ、だったため そこは小説との乖離もあるわけで。
で、弟の秋山真之のほうは海軍の道へと進んだけどエル トゥールル号遭難に対する救援とも関わっていたものは あるわけだし本来の参謀としての役割としては日露戦争に おいてどう相手を迎え撃つか戦略を立てていただけでなく 正岡子規との交流もあったのだよな…
坂の上の雲絡みの内容にはなるけど秋山好古自身も師範から 士官への道を進んだというものも謎多くというものだとして 戦場でも飲む程のザルだったというのも何だかな…(汗 とはいえ師範学校に在籍していたものもあり教育者としての やり方も心得ていたためうまく取り計らったのかと云える。
道真公の物まねって…応天の門じゃないのだから、というのは おいといて検討しかしない岸田内閣こそ白紙に戻していいと 思えてならないくらいなんですがそこは。(苦笑) というのはおいといて本日は秋山兄弟ですか。