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昨日の続きで 神の僕についてだけど特に鮮明に 言い当てているのは新約聖書の ピリピ書2章。そこに見るキリスト その姿は僕としての従順恭順だ。 そこから入ると必ず旧約聖書に 足を踏み入れる事になる…

わぁ〜!本流に戻るぞぉ〜 聖書に戻るのだぁ〜 仲保者キリストは御子であり 神の僕とか神に選ばれた方とか 呼ばれているね。それぞれに 仲保者としての役割が反映して いるわけだけどどんな具合かな

あーッ!過ぎてた!旧暦正月開始 ジャストで明けましておめでとうと 呟きたかったのにぃ〜50分遅れた。 ま、オッケーだ。何はともあれ イエス友なりインマヌエ〜ル。 明けましておんめでとぅおぉ〜♪ さて早速神の僕たる所以 真の僕こそは善なる主人の 善なる命令も業も全て果たす事(^^)

今日も楽しい一日を善く過ごせた。 だから今日は一言だけ!マタ12:18 「我が選びたる我が僕」これって僕 しもべ❣️と読むよ🐱❣️その僕こそ 神の子、御子キリストイエスだ。

御父の僕は御子イエス。 見ようでは親の子が僕って関係は 重圧感。親が苦手な人には理解が 難しかろうよ。だがそこは聖書の 文脈での特別な表現なんだよね。 線引きが必要。僕との表現理由は 務めや役割や働きを強調したいから そこが着目点になっている。 今日旧暦の大晦日。暮れて感謝。