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オデュッセウスは知識欲のあまり死者しか登ることのできない禁断の「煉獄の山」を探しに航海に出る。知識を求め徳に従うべく生まれた、と皆を諭したおかげで船は飛ぶように進み、そして進みすぎた。南へ向かう海峡とその渡し守という思想は、あたかも三途の川のよう。どちらも渡らなければならない。

死してなお真に死ぬには条件がある。渡し守を待ち、許可をもらい対価を支払ってでも向こう岸へと渡らなければならない。人は「ただ死ぬ」ということを受容せず、死後があり、そこには他者がいて、なお踏み絵がある。それらは死してなお幸福があるという救済、孤独ではないという希望なのかもしれない。