自分で書いた小説の「シナリオ化」は、ほんと難しい。どのシーンも、どのセリフも、削りたくないし削れない。だけど〈映像〉として捉え直そうと頭(脳みその別の部分)をフル回転させることで、〈文章〉のときには出会えなかった新しいアイデアを得られたりもして……向き合うほどに、また愛が深まる。
今日も力尽きる。シナリオの不慣れさ・難しさに直面するたびに、「小説ってなんて自由なんだ!☆☺︎♡」と愛が広がる。小説愛。思い出すよー、思い知るよー。それでも、作品が届くなら……と続く挑戦。もうほんと、“こんなの無理じゃね? がんばったって無意味じゃね?”って何度も思いながら。
私の【note創作大賞2022】応募作品は、 これだった。 『小説→脚本へ。私はもう、ひとりでも叶えられる夢は、“自力で”、“ここから”、実現させていく。』 https://note.com/kanatacoomi/n/n53de08358879 「シナリオ」へのチャレンジは、たぶんこれが最後。でも私の「光」だ。
最初と最後が、特に難しいんだよね…。それをずっと追いかけてる。『物語』はすでにここにあるのに、読めば済むのに(笑)、それを“どう見せる&魅せるか”ってことを、つまり……すでに脳内でできていることを(読むことで)、わざわざ「見る」に変換する技術? 今の私にはまだまだ初体験の領域だ〜
さて、1月も最終日(なんか妙に長くなかった?)。とにかく……やれるだけのことはやる。あとになって「あのときもう少し、がんばっておけば…」とか思わないように。限りある時間の中で、その日の集中力を出しきって、それをじりじり積み重ねて。今のベストを尽くそうと、頭も心もフル回転で、挑む。
久々にシナリオ。noteの創作大賞用に手直ししようと思って。この場所から、ひとりでも、この作品のためにできることがまだあるなら……そして気が向く限りは、私は何度だって実験&挑戦できる。この「情熱」は、砕け散っても砕け散っても勝手に再生してくるし。届くなら、生きてるうちに味わいたい