どんぐりframework

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むーん。。。 更新についての考え方を見直して、やり方をちょっとづつ変えているところなのですが、手応えがないというか、いまいちピンと来てない感じがするのは私だけでしょうかw。(おいっ) もうちょっと何かを変えた方がいいのかな~? それとも、全然関係ないことをやるか。。。

有料noteについての取扱いについて。有料の位置付けはスキやコメントと同じ価値観上にある『好意』と考える。現在やっている有料マガジンは引き続き更新。買っている人が良かったと思える状態をキープ出来れば嬉しい。 前提として誰かに見て貰える事が大事だと思う。それは有料、無料に関わらず。

という訳で、長らくやってきた『どんぐりframework』ですが、これにて終了~。新たな指針の元であらためて更新していきたいと思います。一人脳内ブツブツ会議にお付き合い下さいまして、ありがとうございました~w。(と言いつつ、明日以降の更新記事を全然準備出来てない訳ですが~w)

そして『誰のためにしているのか?』ということ。 企画や作品、コメント等のやりとり、それらは『誰か』の為ではなく『自分が』楽しめる為にしているという事をいつでも再確認する必要がある。 コミュニティはいつでも脆くて流動的だ。誰かに寄りかかるのではなく、フラットな状態でいることが理想。

最後の再確認。『何のために、更新をするのか?』 自分にとって大事なことだと思うから /何が大事? 楽しくなれたり、有意義な事が出来る気がする /有意義な事って? 自分にとって価値があると思えること /それは何? ↓ さて【私】は、何を有意義に感じ、何に価値を見出すのだろう?

全体の割合としては『練習』6割、『要素』3割、『作品』1割の構成、それぞれを文章、イラストで更新するイメージ。『練習/文章』は例えばつぶやきだが、その場合イラストは固定の一枚か、徐々に完成していくメイキングの2種類。逆にイラストの文章は絵に関する内容に絞る事で差別化を図る。

人前に出せる『武器』は少なければ少ないほど、良い。選択肢が無くなるから。多彩な武器を持っていると、一つに絞りきれないから習熟の難易度が格段に上がる。 『武器』が少ない事は欠点でもある。壊れるかもしれないし、相性が悪いかもしれない。その中で覚悟と工夫が求められる。年齢と同じように。

通常更新をしたい気持ちは山々だけど(更新の仕方を考えるにしては長すぎるw)、肝心のピースが埋まっていない感覚が次へのステップを鈍らせる。 自分にとっての肝心のピースとはなんだろうか?何度もスタート地点に戻される感覚を憶えながら、もうしばらく考える。せめて身のある何かであるように。

最初からそれを目的とした訳ではなかったけども、イベント等で人と会うことは良い経験となった事が多かったように思う。全ての人と仲良くはなれないのはどこでも同じだが『自分の属さない世界』の人と話せる機会は貴重だし、刺激を受ける事も多い。そういう部分も意識してやっていければいいなと思う。

言葉を連ね、絵を重ねていけば、『層』になる。地層は層の厚みを増すごとに意味性が増すが、ある程度の密度と厚みが無いと、ただの土と変わらない。そこに必要なのは十分な土量(情熱)と効果的に層にするための方向性だ。場所はより自分と近い方がいい。遠ければ遠いほど重ねたい土は薄く散らばる。

『つぶやき』で書きたいこと(=書けてないこと)の一つに『インプット』がある。何を見て、何を知って、何を思ったか。特に『知ったこと』をもっと掘り下げていきたい。言葉、豆知識、レビューなど。どういう感じにすれば『自分』との橋渡しが出来るのだろうか。 それは日記と同じではない。

『足』は人との縁。それはSNSというものの本質ではないだろうか。 だけど油断するとすぐに『誰かが助けてくれる(繋がってくれる)』と甘えたくなってしまう。でもそれは縁ではなく依存。それを目的にするときっと取り残される。 出会うための縁ではなく、集うことへの縁を感じる自分でありたい。

『足』は人との縁。今までやってきたような紹介する記事をリツイートのようにもっと気楽に出していけたらいいなと思う。イベントなどもタイミングが合えばなるべく出かけたい。特に新しく何かをするというよりかは、今までと同じ方向性で考えていく。それを自分の経験値として取り入れていければ理想。

『3つの法則(技術)』『3つのテーマ(指針)』『哲学(道徳)』の3つを更新をする時の方針にする。それがあったからといって何かが劇的に変わるわけではないけども(例えば以後、すごい面白くなるわけではないけどw)同じ出来事を綴るとしてもそれを『日記』としない為の個人的な方法論として。

誰もが出来る最初の、そして最大の”売り”は『哲学』だと思う。特別な専門知識はいらないし経験が無くても語ることができ、ジャンルも(恋愛、SF、エッセイ等)不問だ。 一方で、誰でも語ることだけにハードルも高い。見識、そして道徳が問われる。 目指すべきはTVのコメンテーターではない。

さて、そろそろまとめよう。まずは『頭(文章)』と『手(イラスト)』を意識的に分ける。イラストは『練習、要素、作品』という3つのスロットを意識しながら更新していく。 ある程度時間の掛かるものや、時間が取れない練習絵などは完成するまで分割型で更新していく。練習としての模写も載せよう。

数少ない私の特性の一つに『映画』がある。それをもっと活かしていきたいと思うのだけど、その方向性についてはなかなか答えが出ない。レビューも良いのだけど、もっと違う形で自分の中に取り込みたい。キャラクター、要素、美術など、どういう形が最も効果的に自分の中に取り込めるのかを考え中。

当初、考えていた区分けを修正。『頭(思考)、体(技術)、足(経験)』ではなくて、『頭(思考)、手(技術)、足(縁)』にする。『手』は技術を磨く為に、『足』はコラボやイベントなど、人との『縁』を中心に考えていく。 作品を作り、モチベーションを維持する為に。その土台は変わらずに。

『作品』『要素』『練習』を、またそれぞれ3つのスロットに分けて、やるべき事を振分けていく。こうすることで重要度、優先度が一目で分かるようになる。3つのパーツに3つのカテゴリーに3つのスロット。手順は増えてうんざりもするけども、効率よくやるために今の自分には必要。続ける事が大事。

(TL上で)消え去るものと、残るものの選別。作って楽しいのは前者、作らなくて後悔するのは後者。いつかはここもアカウントも無くなるか、意味を成さなくなる。その時に両手に何が残るのかを考える。何かを求めるのではなく、何かを残す作業。それがこの場にいる意味なのではないだろうか。

自分にとって続ける理由と、他人が求めるものは根本的に違くて、その価値が無ければ人から見られる事はない。たとえ見られなかったとしても、続ける為には『続けるための意味』が必要。 それが評価であることも多いが、土台を人に預けるというのは不確定な要素。 続ける意味が無ければ続けられない。

文章について。具体的な事柄(明確にイメージしやすい)と、抽象的(論点を出しやすい)な概念を意識することで自分への応用の範囲を広げる。ただ、自分にはいささかハードルが高すぎるな。 自分にとって意味のある文章と人が読む価値のある文章が、重なりあう部分を見つけられるといいのだけど。

これからしばらくの間は、『どのように更新していくか』という内容を中心に投稿していきたいと思います。(誰の得にもならないやーつw) 話があっちゃこっちゃ行ったり、矛盾してたり、意味が分からなかったりするかもしれませんが、どうか『あぁ・・・』って感じでスルーして下さいw。

だれかの創作の裏話は、基本的に人は興味を持ってくれない(偏見)。興味を持つ場合、そこに『得・欲・楽』という要素があるから。それを日常的に組み込むのは難しい。 やり続ける事を課す時に、必ずしも人の反応は必要としないけども、かといってそれを最初から手放しているとろくな事にはならない。

自分にとっての面白さとは『3つの法則、3つの視点、3つのテーマ』に集約される。つぶやきから作品まで、全てがそこに繋がらなければいけないし、そうあるべきだと考える。これを3つの視点で語るなら『自分が楽しくて友達も面白がってくれ、他人も興味を持ってくれるもの、ならば面白いはず』だ。

『頭(文章)』は、やはりトークが中心(全部に時間を掛けすぎると破綻する)。よりインプットに比重を置いた更新に変える。それに加え追記型の自分の勉強用noteも検討。映画に関してはレビューではなく、より個人的な視点で有益になるように考える。思考型の文章は『考えるどんぐり』として継続。

映画単体であれば『脚本』『演技』『演出』の3つの要素を考える。技術論や感情論でも語れるし、美術論もある。もっと俯瞰してみると年代、文化、政治背景、それぞれに語る視点があるが、その中で自分はどの視点が必要なのかを改めて確認する必要がある。 自分の身体は何から作られているんだろうか。

『頭』について。文章力、発想力の訓練。そしてインプットする仕組みの工夫が必要。全方位が能力不足すぎて投げ出したい衝動に駆られるのだけど、投げ出しても仕方ないので一歩づつ。まずは自分にとってのインプットを感じられるようにしたい。大事なのはそこ。その後で何かを積んでいければいい。

【閑話休題】この『どんぐりframework』は、自分が更新する内容や、手順をもう一度考えてみようというのが主題です。最初に書いてはいたけど、自分で迷子になりそうなのでここらへんでもう一度再確認w。 ちなみに『どんぐりframework』。今、スペル間違いに気付いたっていうねw。

つながりという縁の中で、コラボもまた大事な要素の一つ。『翻訳note』など不特定多数が関わる企画などは(例え依頼が来なくても)そこで発生する関係性、企画としての意義などを考えても、意味のある企画だと思う。もちろん自分にとって(続けるために)メリットがある事は大前提なんだけども。

『人が読んで興味深い』という事と『自分にとって意味のある事』は100%はリンクしない。この『framwork』なんかは特にそう。説明に注力し過ぎると本来の意味を成さない事もある。 『つぶやき』はどちらなのかを改めて意識しないと。全くの独り言ならば手帳に書いておけばいいんだけど。

絵を描く作業を3つに分ける。最終的に作り上げたい『作品』、説明の為に必要な絵や企画等に使う為の『要素』、自分の引き出しを広げる為の『練習』。下から上へと行くほどに完成までの道のりは険しくなる。3つをいかにバランスよくこなせるかが大事。一つのことしか出来ない癖をどうにかしないと。

インプット/アウトプットの比率を考えると25:1くらいのイメージ。ほとんどの情報は無目的でジャンクで散漫で浅い。アウトプットで言えば出力不足に効率の悪さ、選択と集中、深みが足りない。どちらも『浅い』『散漫』に共通点。アウトプットを取り繕ったところで、中身が無ければ何の意味もない。

割り当てた分量や数で考えると『課題:要素:作品』は『6:3:1』くらいの割合が現状。そして中でも軽い『課題』をやり過ぎてタイムアップしちゃう問題。モチベーションの落ちやすい『作品』や『要素』はなるべく細かい手順に分解して、一個一個潰していく。ルーティンに出来れば良いのだけどなー。

やるべき事はしなければいけない。分かってはいても出来ないのはモチベーションの管理をサボっているから。モチベーションはあらゆる事の中で最も重要な要素。 動機、時間の使い方、手法、目的。全ての要素はモチベーション維持のために存在しなければならない。それだけは毎回肝に銘じないと。