ペインとビジネス
最近、ペインが強いか弱いかを、ビジネスアイデアの採択可否の判断のよりどころとしているようなんですが、人が感じているペインなんて他人がどうこう判断できるものだろうか。こんな疑問がぬぐえずモヤモヤしている。結局、ビジネス提案の場合は、ペインを軸に顧客セグメントを区切ったとき、そのペルソナのペインストーリーが、なんとなく一般的でありそうだなーという感覚で判断してるのだろう。
そうであるとすると、例えば、病態とか障害とかでセグメントを区切ると、ペインが定義しやすく分かりやすくなる分だけ、そのビジネスアイデアは採択されやすくなる気はします。ただ、本当にそんなペインのとらえ方でいいのかな?
さらに言うと、病態から生じる生活の不便さがあって、それを病態のない側から見たときに、自分達と違って大変そうだからペインだねってしていいのだろうか。いや、やはり病態を抱えている当事者に聴けば、様々なペインのありようが出てくるはずです。でも、それらはあまりに多様で、その多様さに対応しようとすると、当初のビジネスアイデアの妥当性はどんどん下がってくるでしょう。分かりやすいからと言って、あまり表面的なペインを元にビジネスをローンチすることは継続し得ないリスクを伴うかもしれないです。
それでは、より本質的にペインを捉えることや、さらにそれを他者に伝えて共感を得ることが可能かというと、とても難しい作業のように感じます。考えてみるに、集団の固定観念、社会・文化、仕組み、システムなどは、必ず何等か想定しているコアバリューやポリシーあります。それらから、はみ出していることによって生じてしまうペインは確かにあるでしょう。でも、別にはみ出していない側から見ると、そのコアバリューやポリシーは当たり前過ぎて、はみ出している存在に気づきにくい。気づきにくいということは、はみ出しを指摘しても理解されないということでもあります。ある意味、病気や障害の定義は、その”はみ出し”の可視化ではあると思います。それをきっかけにはみ出している存在について想像を深めるきっかけにはなるでしょう。しかし、逆にコアバリューやポリシーの強化の側面もあると思います。人ははみ出している存在を認識することで、自己の立場を正当化できるものでしょうから。
結局、本質的にペインを語るには、人が人らしく生きて死んでいくために、身体面または精神面で必要な要素をまとめあげていく作業が必要なのではないでしょうか。迂遠な作業のように思いますが、そこに向き合わずしてよりよいビジネス創出のプロセスは築けないように思います。仮に表面的なペインを元にビジネスをローンチし、一時的な成功を得たとしても、それは短期的にしか続かないのだろうと。逆に長期に継続しているビジネスなら、何らか本質的なペインをコアに捉えているのだろう。ただ、それは往々にして直観的なもので、言語化されているとは限らないでしょう。そのような事象から本質的なペインを読み解くには、上記のような作業で得た”コード”が必要でしょう。他には、マーケティングトレースやビジネスモデル図解などの手法も必要でしょう。
また、以前はペインだったが、時代の変遷とともにペインでなくなるケースもありそうです。その昔、肉体労働のストレス解消をアルコール摂取に頼っていた時代は、アルコール摂取に伴うペインに対応すればよかったのですが、時代が下って、ストレス解消の手段が増える、働き方として頭脳労働が増えるなど状況が変わってくると、アルコール摂取のペインの意義も変わってきます。これまでの対応方法が絶対必要というほどではなくなっている可能性があるのではないでしょうか。こう考えると、既存事業もそもそも想定していたペインの見直しが必要になってきますね。
ペインは「お金を払ってでも解決したい」という切実な顧客の思いです。この概念を軸にビジネス創出のハードルを整理してみます。表面的なペインでビジネスを構築すると、マーケットに十分フィットしていないことが露見し、短期でクロージングするリスクを抱えそうです。一方、本質的なペインに目を向けても、それはそもそも見つけにくく、たとえ見つけたとしても社内合意を得られないので、ビジネスをローンチできない。といったところでしょうか。私としてはやはり常に後者の立場に立ちたいし、そのように思考を巡らせ周囲の人に議論を投げかけてはいます。ただ、リアクションはゼロではないものの薄いです。正直、寂しいなぁと孤独を感じています。それでも自身の思考と行動の浅さと、プレゼン力の乏しさが主因と思い、工夫を重ねるしかないですね。
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