魅惑のロシア。

ロシアが気になる。

プーチン師範代の独裁っぷりとか、周辺諸国との関係とかでは、ない。

2年ほど前、当時なぜか予定のなかった冬休みに、(しかも休み突入2日前とかに)

「そうだ!ロシア行こう!」

と思い立って、飛行機とホテルがセットになっているウラジオストク行きツアーを予約し、入金した後で、ロシアは観光にもちゃんとビザを大使館にもらいにいかなくてはならない、しかもそのプロセスに2週間ほど掛かるということを知り(遅!)、慌ててキャンセルしてキャンセル料4万円ほどを使った値段の高い自虐ギャグをする、という事件があったのだけど。

でも随分その前から、私の中でロシアって、すっごく気になる国なのだ。

というのも、ロシアって、よくわからない国なのだ。歴史レベルでどうとか、言語がどう、文化がどう、というよりも、この”よくわからないけど興味のある感じ”というのは、私の高校生の頃のある体験に起因している。

高校生の3年次、何を思ったか(多分受験したくない!海外逃げたい!と思ったのであろう)私は、アメリカのド田舎に留学することにしたのだ。ウィスコンシン州という、牛の人口のほうが、人間より多く、とにかく乳製品がウリ、という、要するに年頃のティーンエイジャーの女の子には全くもってリーマンでいうところの左遷に近いところに行くことになったのだった(ウィスコンシン州の方いたらごめんなさい)。

ウィスコンシン州についたときの衝撃を語りだすと、それこそ長い記事になってしまうので、割愛させて頂くが。

その乳製品の地で、一番始めに仲良くなったのが、同じくロシアからウィスコンシン州に留学してきていたエレナだった。

エレナの真っ白な透き通るような肌と、真っ赤に染めた髪の対比がすごく眩しくて、印象深かったのを覚えている(しかも、爆乳だったなあ…。)

なんて綺麗な子なんだろう!という思いと、わあ!お友達になれるかも!(英語なんて全然話せなかった当時は、アメリカ人と話すのがぶっちゃけ怖かったのもあって)という思いから、話しかけて、私たちはそのあと随分仲良くなったものだ。

で、ここがミステリーなんだけども、エレナは、ほぼ全くといっていいほど、英語が話せなかった。なので、我々が当時、どうやってコミュニケーションをとっていたのが、あまり思い出せない。そして、私は一応お金も払って留学してきているので、それなりに勉強や、英語を覚える努力をしたのだが、エレナはさっっっっぱりそういう努力をしなかったのだ。

エレナが楽しそうにしているときは、親友のナターシャ(写真を持ち歩いていたけれども、T.A.t.uの黒髪のほう?みたいな感じ)と、母国でエレナをまっている彼氏・セルゲイの話をするときだけで、あとは留学生活は随分つまんなさそうだったのだ。宿題はとくにやってこないし、アメリカ人ともあまり話そうとしないし、授業には遅れてきた。そういえば、何度かエレナのうちに呼んでもらったが、音楽をかけて踊ったり、「マリファナが吸いたい」と言っているときのエレナはとても楽しそうだった記憶がある(吸ってませんが)。

そんな我々も、色々とコミュニティーに溶け込む努力をしたり、それなりに友達もできたりして、一年が過ぎていった。あまり話が通じたりすることはなくても、私とエレナはそれなりに仲良くし、私は私でスイス人の親友ができたり、エレナはエレナで……まあなんか楽しくやっていたようで…。

そして一年の最後の別れのとき。一番最初にできた友達だったし、色々とあったにせよ、私はエレナが大好きだったのだ。やる気とか、そういうものには欠けていたかもしれないけれども、私の言うつまんないジョークに笑ったフリをしてくれたり、友達のいない同士、英語が通じない同士、手を取り合って泣いたりしたこともある。だから、私にとって、エレナとの別れは本当に兄弟と別れるみたいに辛くて、私は泣いていたのだけれども、当のエレナはと言うと、

「いやー、やっとうちに帰れる!ちょー嬉しいw」

みたいなことを言って手を降って空港に消えていった。

おいおいおいおい!そりゃあねえだろうがよ!という思いで胸がいっぱいになり、私の目から流れ出た涙は、いまさら目に戻るわけにもいかず頬の上で乾いていくのを待っていた……。

だから、何が言いたいのかというと、私の中でロシアはきっと不完全燃焼なのだ。結構好き、気になる存在なのに、なんだか雲を掴むようで掴みきれないその姿に焦らされ続けること十数年……きっと、こういう経験のせいで、私はロシアへのなんだかよくわからない興味を断ち切れずにいるのだと思う。

今、この暑い南国・沖縄にいるからこそ、余計になんだか懐かしく(?)、エキゾチックで、魅力的に映るロシア − いつの日か、あの地を踏む日がくることを、心待ちにしている私であった。

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