客観的になれなくて。
初めてラインティングのお仕事をもらえて入稿したのだが、ライターって、どちらかというと翻訳に似ているのだなあ、と思った。
もちろんクライアントにもよるし、経験にもよるのだと思うのだけれども、自分の感覚で全くバックアップのないものを発信したり、これぞ!と思ったことを主観で書いても説得力がない、で終わってしまう。
なので、言語間を行ったり来たりするわけではないにせよ、クライアント、という他の人間の頭に染み渡るよう文章を構築させる、という意味では、けっこう作業的には翻訳っぽいなあ、と思ったのだった。
その点、やっぱりコラムは好きだ。
自分の主観で、こう思う、私はこう感じる、ということを書ける。
例えば昨日。
冷蔵庫が壊れてしまったのだけど、同居中の義母が、新しい冷蔵庫を買うために仕事を早退したそうなのだ。
冷蔵庫のために仕事を早退!
しかも義母の職場の上司は、
「それは一大事!早く帰りなさい。」
と促したというではないかw
こういうところがゆるくて、沖縄は好き……w
っていうような感覚の話も、統計に頼るでもなく、科学に頼るでもなく、言えてしまう身勝手さ。
そして個人の感覚やストーリーほど、面白いものはないではないか。
ここのところ仕事のライティングで忙しくて、どうもコラムのほうをおなざりにしていたので、なんとなくだけど自分の感じたこと、思ったことを言葉を発する快感、というものが恋しくなっていた気がするのだ。
ソースは?
論拠は?それってロジカル?
という質問は、はっきりいって私は昔から大嫌いで。
ロジカルシンキングもそうだけど、あれって、どのくらいそれっぽい言葉の世界に通じているかの話でしかない気がするんだよな……どうしても。ごめんちゃい、文系で。
人間て、なんて自分勝手なんだろう。自分の感覚があっているのあ絶えずバックアップがほしいわりには、結局最後は直感とか自分の考えることを発信するほうに快感を覚えるなんて(私だけ…?じゃないはず!)
やっぱり人間が主観から完全に独立して客観的になれるなんてことは、ないんだと思う。だからこそ、クリエイティブな余地があるのだろうし。
でも、それもバランスなのかもしれない。客観的な事実のバックアップなしに、言いたい放題行っていたら、私の世界なんてめちゃくちゃなものになってしまうし、逆に言えないと息苦しくなってしまうし。
結局は、コラムもやる、ライティングもやる、というバランスが、私にとっては気持ちいいのかもしれない。なので、一日一作品、思ったことをひたすら書くnoteは、やめられない。