第三夜

こんばんは。

「事実」と「真実」の違いは何か。
そう聞かれて私は一瞬頭を抱えました。
事実は本当の事。
真実もまた本当の事。
簡単に言えばそうだ。
しかしこの2つには明確な違いがあるのだ。

        それは視点だ。

「事実」は誰から見ても同じことを指す。
「真実」は見る人によって変わるのだ。

例えば、
Aさん、Bさん、2人が住んでいる家で
Aさんのプリンが食べられたとしよう。
AさんはBさんを問い詰める。
しかしBさんは身に覚えがない。
Bさんにとっては「私は食べていない」というのが
「真実」だ。
Aさんにとっては「自分が食べていないのだからBさんが食べたに決まっている」というのが「真実」だ。

そして問題のプリンだが、これはBさんが酔って記憶をなくしているうちに食べた。
これが「事実」ということになる。

このように「真実」は人それぞれ違う。
人の数だけ存在するということだ。



                          「知らぬが仏」


知らなくても良い事。
知らない方が良かった事。
知りたくなかった事。
誰もが感じた事があると思う。

昨日買った物が今日には半額になっていた。
食べ終わった納豆の賞味期限が切れていた。
その箸、さっき落としてまだ洗ってないよ?
あなたと恋人が知らない異性と一緒に歩いてたよ?
帰ったら知らない靴が。
本当はパパとママはあなたの本当の親じゃないの。

できれば傷つきたくない。
楽しく毎日生きていたい。
当たり前がいつまでも続きますように。
そう思う日は少ないが、多くの人の願いだろう。

      「知らぬが仏」

知れば傷ついたり、腹が立つが
知らなければ仏のように穏やかでいられる。

私はこの言葉をその通りだと思う。
座右の銘は何ですか?と聞かれれば
いくつか思いつく中のひとつだ。

先日、「ドライブ・マイ・カー」という映画を観た。
その劇中でこんな台詞があった。

「真実はそんなに怖くない。
  本当に怖いのは真実を知らないでいることだ。」

私はまた頭を抱えた。
私の考えを真っ向から否定する考え方だ。

簡潔に説明すると、
劇中、男は妻の浮気現場を目撃する。
しかし男は何も言わなかった。
彼女を失うのが怖かったのだ。
劇中の表現をお借りすると、 
自分の心に、
自分の真実に、
蓋をしたのだ。


妻の浮気に気が付かなければ、
男は幸せに暮らせていただろう。
私はそう思う。

しかし男は自分の「真実」を偽った。

「妻の浮気に気づいていない」という「事実」は
同じでも、男にとっての「真実」が違うということだ。


 「知らぬが仏」

私の中でこの言葉の立ち位置は変わらない。
しかし力ずくで作り出したニセモノの仏は、
己を救ってはくれないのだと思った。


頭を捻るとますます眠れなくなりますよね。

年内ライブが5本あります。
タイミングが合ったら
映画でも行くかくらいのノリで来てみてください。

今夜はこの辺りで、

おやすみ。

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