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【短編小説】変わる見た目、変わる想い、未来へ


◎紹介文 

変わる見た目、変わる想い、輝く未来へ。

外見の変化は、心の変化を映し出す。

美容師としての道を閉ざされた由岐が、
新たなキャリアと人生を模索する中で出会ったのは、過去の友情と、未来への希望だった。

選び、失い、また選び直す。

その先に、どんな未来が待っているのか。

 ↓ ↓ ↓ 


男女に友情はあるか、ないか。由岐は、志帆にだけにはあると感じていた。

 ところが、志帆は由岐に対して、友情ではなく、恋愛感情でいるのを薄々感じ取っていた。

 が、人間はそれだけで交流をやめるようなものではない。

 月に一度、志帆の家で昼飲みをして、似た職種の異文化交流を語り合う。それが二年続いた。

 「好きです……」

 「え」

 由岐は、志帆からの突然の告白に、全身が硬直してしまった。

 「やっぱり……由岐以外に考えられない。好き……」

 由岐は動揺して、視線をあちらこちらとさ迷わせた。

 まさか、そんなシチュエーションになりうるとは、考えていなかったからだ。

 志帆の顔は赤面が最高潮に達していた。正座の上についている丸みを帯びた手が震えている。

 「あー、やばいことをしてしまった……」と由岐は持っていたビールの空き缶をテーブルに置いた。

 さっきの「いい嫁さんになるなあ、志帆は」という軽率な台詞がいけなかったのだろうか。それほどではない気がする。

 それをぽっと発したのは、志帆がさっと作ってくれた奈良漬やナムルの味に感動したからだけだった。

 それを聞いた志帆が黙り込むと、とつとつと、勇気を振り絞って、しっかりと聞こえるように一言、発したのだ。そして今に至る。

 「……迷惑、だったかな?」

 はい、と言えるはずもなく、由岐は黙ってしまう。迷惑じゃないが、志帆の期待に添うような返答ができない。

 そう気づくと、由岐はいつの間にやら。志帆のなかに恋愛感情を感じて、好意にずっと甘えていたことになるが、友情のつもりだった由岐は頭をこんがらがってしまう。

 そんなつもりじゃなかった。

「あっ……なんだ。勘違いだった……?」

 志帆の両目が潤み始めた。いよいよ、本格的に自分が駄目でクズだなと思って、胸にぐさりと刺さるのを感じた。

 さて改め、男女に友情はあるのか、ないのか。

 ないと由岐は言いたいが、志帆だけは別になった。はじめは、志帆のことをいいなと思っていた。

 志帆は専業モデルをしていて、仕事で知り合った。今では、フリーのモデルをしていて、その傍ら、副業でスタイリストをしている。

 主に女性を担当する美容師の由岐は、志帆の意見が貴重なばかりか、面白いところがあった。

 女性でも男みたいなショートヘアはどこまで極めることができるの? と、髪型ひとつで男らしさと女らしさの境目を語るのは楽しいものであった。

 それでも、志帆に対して、恋愛感情はなかった。なぜなら、だんだんと標準体型をオーバーするようになってから魅力を感じることが減ったからだ。

 でも、志帆の話すワードには力強いものがあって、負けん気を触発された。自分も負けてられない、と仕事に対しての発破をかけてもらえる存在だった。

 「……言い尽くせないんだけど。志帆は大事な友だちだと思っていて。話すのが楽しいから、いつもここに来ているようなものだったんだよね」

 志帆の瞳がこぼれるのを目で感じ取った。

 由岐は、ふっくらとした頬に涙がつたわると、「一時は、恋愛対象だったんだけどな」とそう思っている自分がちょっと汚くてずるいと思わないでもなかった。

 「ごめん、折角の休暇をぶち壊しにして。……帰ってもらっていいかな?」

 由岐は言葉を詰まらせながら、頷くしかできなかった。何を言うべきか言わないべきか。喉が詰まりそうになる。

 それでも一言添えた。これが正解なのかわからないままに。

 「……思いにこたえられなくてごめん」

 志帆はうつむいた。

 壁にかけてあったこげ茶のチェスターコートをとって由岐は玄関に立った。

 後ろから、堪えきれない嗚咽の声がきこえてきた。

 急ぐのも不自然な気もして、ふつうのタイミングで由岐は志帆の家を出た。

 さっきの、志帆の告白はあまじょっぺー台詞だなと冷静に俯瞰している自分がいた。

 月一度の頻度での昼飲みは、自分としては、ただの友情の延長だったが、志帆にとっては恋愛感情の土壌を育てるのに十分な時間だったかもしれない。

 男女関係ってめんどくせーって思っていた自分にとっては癒しの存在だった。なんとなく裏切られたような気持になった。

 その後の休暇は、ゲーム三昧で過ごして、眠った。当分は、志帆の料理を食べられないのが少し残念だったが、さほどの寂しさはなかった。

 数日後の仕事の休憩時間、ひかりからの着信が来て、「カットして欲しいんだけど、行ってもいい?」というか細い声に由岐はノリノリで「いいよー! 今日は夕方でもいい?」と答えた。

 ひかりが来た頃、腕にしびれが走ったが、無視して笑って出迎えた。ひかりの表情は元気そうだが憂いをおびていた。

 どうしたんだろう、何があったのか? と思った。それをおくびに出さずに、「いらっしゃいませ」と挨拶した。

 そうすると、ひかりから「堅苦しっ」と笑ってきた。

 「どんな風にしたいんだ?」

 「うんとねー! 明日、春物のファッションの撮影だから、髪型に春らしさが欲しいんだよね。できる?」

 「できるできる。髪型全体にレイヤーを入れて、あとは前髪をふんわりさせようか」

 「あのさー。ばっさりとショートヘアにできるかな」

 ひかりはロングヘアーが売りのモデルだったので、由岐は首をかしげた。

 「推しぴにフラれたんだよねー。……イメージチェンジして見返したいんだ!」

 由岐は、こんな綺麗で由岐好みのスレンダーで、誰もが彼女にしたい顔立ちの女でもフラれる時は、フラれるのだと驚いた。

 驚いて、うっかりと、「まじ? ひかりが?!」と呟いてしまった。

 「まじだよー。チョーショック……」

 由岐は、何の落ち度も欠点もないようなひかりを見て、更に首をかしげた。

 いっけね。友人と言えど、これはビジネスだ。依頼された仕事をこなすのがプロというものだ。

 「見返すねえ……。なるほど、ギャップを見せるにはバッサリ行くのが良いね! 男って単純だからそういうの弱いし。だとしたら、こんな感じはどう?」

 由岐はヘアカタログからウルフカットのショートヘアを提示してみた。

「わお。男性的だねえ。……似合うかな?」

「ウルフカットは、丸顔が結構サマになるんだよね。見返したいなら、このくらい激変化してた方がインパクトあるかもしれないし」

 と言いながら、由岐は志帆のことを思い出していた。志帆もウルフカットを気に入って、よく頼まれていた。

 あれはいつだったか。少しずつ横に広がっていった頃のように思える。少しでも痩せ感を出したかったのかもしれない。

 ひかりは、じーっとヘアカタログを見つめて、自分の髪をつまんで比較していた。ひかりなら更にその髪型が似合うだろう。

 痩せていて、少年のように思わせる中性的で、メリハリのある女性の姿はみんなの目を引く。想像したら、その傍に自分が居られたらいいのにと思った。

 「勇気いるけど……。んー、もう事務所と現場は短くします! ってゴリ押しして許可は下りたんだよね。じゃあ、お願いします!」

「お任せあれ!」

 その後、とんとん拍子に変貌したひかりとなぜか居酒屋に行くことになった。

 しょっちゅう、聞き役に回っていたのが効をなしたのか、あれよあれよと一ヶ月後には付き合うことになった。

 くだんの推しぴは結婚してしまい、お鉢が由岐に回ったらしい。

 「あの時、由岐がいなかったら、モデル辞めてたかもなんだよね。実は、事務所に仕事行けないかも……ってさんざん泣き喚いて感情が不安定だったんだよね。由岐に頼んで、ノリノリで、髪型激変を提案してくれたの、心強かったし」

 事の顛末を聞くと、人生を左右するほどの状況だったとは由岐は知らなかったので、呆然としてしまった。

 何はともあれ、皆が羨むようなモデル・朝野ひかりを彼女にできたのは由岐にとっては幸運だった。

 ひかりの推しぴがひかりを振ってくれてありがとう、とこっそり思ってしまったほどだ。

 「ところで物は相談なんですけど」

 あー気持ちいいーとひかりは、由岐にシャンプーされて呟いた。由岐は、股間あたりがもぞもぞしながら、「何ですか?」と聞いた。

 「お互いにいいトシなので、将来を見据えた関係になりませんか」

 まず由岐の実家に行き、ひかりを紹介し、ひかりもひかりの実家に由岐を紹介した。

 お互いに、対人コミュが必要不可欠な業界にいるので、滞りもなく婚約話は進んだ。うまく進みすぎて、怖いくらいだった。

 だから、立ち止まって考えなかったことに罰が当たったのかもしれないと思った。腕にしびれが大きくなっても、毎日の充実感にかき消されていった。

 式場が決まった頃に志帆に招待状を送るか悩んだが、送らないでおいた。連絡用アプリで近況を一回送ったことがあるが、修復不可能だった。

 自分が逆の立場だったら、そうだろうなと思ってそっとした。ビジュアル系SNSで志帆のアカウントを覗いたら、「シホの60〜70kg台でも着こなせるファッション」は、毎日更新されていて、充実した毎日を送っているようだった。

 男同士の友情でも仕事とプライベートに集中していたら、すれ違う時はすれ違う。

 志帆もそんな感じだろうと、告白を断った罪悪感を感じながら、ひかりと付き合ってから、彼女と仕事とプライベートで三昧の忙しい生活を送って、時間はただ過ぎ去って行くばかりだった。

 「お互いに支え合って生きていこう」という約束に判を押して、夏の太陽をさんさんと浴びて真っ赤な薔薇がすくすく育つような日々がこれから出現するーー、そう思っていたのに。

 体に異変が起きたのは結婚三ヶ月後だった。

 さぁ次は子どものための貯蓄だ! と結婚と新婚旅行にかかった分、きびきびと仕事に精を出そうとした。

 腕がうまいように動けない。マッサージをして緩和をしたが、次々と降ってくる仕事量をさばくには追いついて行けなかった。

 ずっと見ないふりをしてたが、こりゃもしかして……とおそるおそる病院に行ったら、「慢性的腱鞘炎ですね。仕事の量は控えめにした方がいいでしょう」と美容師の致命に至る症状を医師から聞かされた。

 「まじですか……?」という質問に医師は「はい」と答えた。

 「一生モノの商売道具ですよ、何とかなりませんか?!」

 「しばらく休養してください。治るかもしれませんから。焦らないことです。でも以前のようには行かないかもしれません」

 当面、仕事は休養し、ひかりは不安そうにしていたが、ひかりはひかりで外でモデルに勤しんで、稼ぎに回っていた。

 生活費はひかりの全負担になると、「引っ越そうか?」と由岐は提案したものの、「嫌」とつっけんどんな返事が返ってきた。

 仕事ができているひかりは帰りが朝になることが多く、主夫業を任されるだけの自分が腹立たしく、家の中は険悪な状態になった。

 実務的には助かっていたものの、ひかりは由岐のメンタルのケアの支えはほとんどしなかった。

 お惣菜物やちょっとしたいお土産を持って帰るようにしてくれたくらいの気遣いは有難かった。

 が、ほとんど家で食事をとることのないひかりだった。そうして、由岐は横に太るようになっていった。

 ひかりとの共有の知人から、「おまえ、大丈夫? ひかり、カメラマンと浮気しているっぽいぞ」と連絡が来た頃はでっぷりと体重が以前より20キロオーバーしていた。食べないとやりきれなかったのである。

 どおりで、帰りが遅かったのか……と、思っても、文句言いたくても、「今が旬なの! この旬を取り逃したら、あなた全責任とれる? 私の人生に口出さないで!」と突っ返される。

 「浮気? そんな暇ないわよ!」とけんもほろろの状態で、一触即発になるなら、触れないで置くのが吉だった。

 仕事が第一なのは変わっていなくて由岐は、ほっとした。香水のにおいが一日おきにコロコロ変わるのは気になったが、気にしないようにした。

 心機一転。美容師のツテを頼って、美容系ライターを始めた。

 それと平行して、自重トレーニングも始めた。だが、ライター業が意外や意外、楽しくて、自重トレーニングの時間を削って、単価を上げるのに勤しむ羽目になった。
 
 男としての自信を取り戻すには経済力が必須不可欠だった。今や音声でタイピングできることで、のめりこみ、肝心なオスとしての魅力は削がれていった。

 ライター業が軌道に乗るのに時間がかかった。少しずつ、生活費を稼ぐまで行くには、たくさんの量をこなさなくてはならない。

 そうして、焦りを燃料にした分、キーボードで叩くようになり、腕はまたひどくなっていった。

 ある日、通院していた医師に「仕事の量を減らしては? 憂鬱が取れないのは疲れのせいだと思いますよ。あと、運動不足ですね」と言われた時は、いよいよやってられなくなってきた。

 ひかりはすっかり帰って来なくなった。ひかりが休みの日でも由岐は仕事をしていて、そんな由岐に飽き飽きしてしまったのだろう。

 いつの間にか、「お互いがいる意味、あるのかな?」と喧嘩後、ぽつりと呟くようになった。おかしい。こんなはずじゃなかった。

 気づいたら、夕飯をコンビニ弁当で済ますようになり、何を食べても満たされず、仕事にしがみついても、焦りが増し、とうとう朝起きれば、気だるさに殺されそうになってきた。

 自尊心は次第に薄まり、ひかりのそばにいるのが辛くなった。それを自分から言い出すことはできなかった。

 医師の言われた通りに、ようやく真剣に運動を始めたが、時は遅し、ひかりから離婚届の判を押すことを、静かに決然と差し出された。

 「ごめんなさい、限界なの。由岐のいる家に帰るのが辛い」

 本当はずっと前から、ひかりは嫌で辛かったんじゃないんだろうか……と思ったのは離婚して半年経った頃だった。

 文句も言わず、言われた通りに静かにゆっくりと、判を押した。そして引っ越し作業に追われて、ただ事実から感情的になり、泣きながら荷物を梱包していた。

 自分がこんなに弱くなるとは思わなかった。

 誰かに話を聞いてほしい。

 競争の激しい業界には気軽に話せるような友人は数少なく、話せそうな友人はいても、今は結婚に子育てで忙しくて結局、誰もいない。

 志帆の姿が思い出されたが、連絡アプリにはブロックされているようで、返事が来なくなった。ショックは受けたが、逆の立場ならそうする。

 大方、由岐のSNSで結婚の報告を見てショックを受けたのだろう。でも今は離婚した。だけど、それを志帆が知ったからといって、何がどうなるわけでもない。沈黙が流れて、やがてスマホは暗くなった。

 引っ越しした後は静かに食事も取らずに水だけ摂って、よくたっぷりと眠っていた。そうしたら、10キロは痩せていた。

 ひかりのSNSを見て、追い続けていたが、やがて男の姿が見え始めると、見るのが辛くなって辞めた。

 1県またいで、実家に帰って、由岐の母親、縁に髪を切ってもらうことにした。

 四年会っていなかった息子の姿に、縁は「あんたもバツイチになったかぁ」と呑気なことを呟いて、風呂場に連れていかれた。風呂場の床に新聞紙を何枚か敷き、その上で由岐は椅子に座った。

 「どんな風になりたい?」

 「……万人受けのする清潔感のあるやつ。新しく始めたライターの仕事、どんな人にも好かれた方がお得だから」

 「またあんたのことを好きになる人が現れるよ。運が少しばかり悪かっただけ。母さんもバツイチの時、地獄のどん底だったけどまた出会えたわよ」

 そう言って切り始めたとき、由岐は嗚咽の混じった声でありがと、と縁に伝えた。それからしばらくして、日本語にもならない言葉で泣きじゃくって、すっきりした。

 「由岐、頼みたいことあるんだけどいい? まだその腕、切れるっけ?」

 と数か月後に縁から連絡が来て、由岐の腕は完全ではないけど、無理をほとんどしなければ行けるくらいには回復した。

 それでも、一回、1時間が限度なくらいだった。でも、この手で切れる仕事があるなら、やりたい。

 「60代の方なんだけど、軽い認知症でね。子どもとその孫が会いに来るから切りたいんだって」

 縁が頼まれたことがきっかけで、出張カットをするようになった由岐は収入源が増えてハリが出てきた。

 もう一つくらい仕事があれば、収入が落ち着いてできるんだけどなと思った由岐は、スタイリストの仕事の挑戦も考えてみた。

 美容師で髪型を作って、スタイリストで服装を整える、そうして出来た成果の積み重ねをライターとして記事にする。

 それは実現可能のような気がしてドーパミン的な幸福が一時的に復活した。

 けれど、スタイリストの技術がない由岐はどうすればいいかわからなかった。感覚だけで自分なりの着こなしは獲得していたが、人に合った服装を似合わせる知識や理論はない。

 そもそもこの業界で、フリーで働くには、様々な競合があり、生き抜くためにはブルーオーシャンを狙わなくてはならなかった。そうしたら、頼みの綱が一つだけだった。

 志帆のアカウントにはもう一つのアカウントが出現していた。自分に似た体型のファッションだけではなく、いつの間にか婚活でのメンズファッションも請け負っていた。

 価格帯はリーズナブルな方で、それが人気を博しているらしかった。フォロワー数は5000人以上いた。

 由岐は、かつての友人としてではなく、仕事依頼として、「婚活のためではなく、仕事で好感を得られるファッションをお願いできますか?」と打診した。二日後、志帆から返事が承諾の返事が来た。

 駅前のクールなインテリアが売りのコーヒーショップで待ち合わせになり、そこに来た志帆は少し瘦せていた。

 でも標準はちょっとオーバーしているのは変わらなかった。それは自分も同じことで、外見についてとやかく言われたくなかった。

 事情があって、こうなっている。30代になると痩せにくくなる。言い訳をしたとしても二人して標準をオーバーしたサイズなのは変わりなかった。

 志帆は由岐の見た目の変化を見て少し驚いているようだった。戸惑いと緊張で沈黙が流れた。

 「……久しぶりだね。ちょっと友人モードで話していい?」

 「うん。……俺もそうしたい」

 「結婚したんだよね。おめでとうを言えずにごめんなさい」

 「……一年前に離婚したよ」

 「あ、……そうなの。ごめんなさい」

 「すっかり気持ちの整理は付いて、新しい仕事に挑戦しているところ」

 「あ、ライターの仕事? 記事、見たよ」

 「ありがとう」

 ぎこちなく、友人モードでぽつぽつと話した。次第に志帆は仕事モードになって、カウンセリングを始めた。
 
 由岐は「万人受けしやすくて、仕事先で好感持てそうな感じで」と答えた。志帆はうーんと唸った。

 「どんな風に見られたいですか?」

 「どんな風にって……。決めるのは他人で、自分ではないと思うんですが」

 「じゃあ、由岐が自分自身でカットできるなら、どんな風になりたい?」

 ふと、由岐は元のような自分になりたいと思った。ひかりと結婚して幸せだった頃。

 仕事にも張り合いが出ていて。でも、もともとが壊れていた腕を修復するにはもっと前から時間が必要だった。

 じゃあひかりと結婚する前に戻りたい。

 そして、腕を休ませたい。

 それから、仕事を満足できるまでして行きたい。

 でも、それは叶わぬ泡沫の夢だ。

 岐路はどこだったかもわからない。前のように戻っても、この腕はこの仕事に相応しくない体つきだったのだ。母さんのようには行かなかった。 

 昔は母に憧れて、美容師を目指した。そこからズレて行ったように思える。

 でも、何がズレたのかはわからない。ただ、腕を痛めた自分がいる。その現実だけがあった。

 「……強靭な体がほしかったな」

 志帆は沈黙した。由岐は、窓辺から差し込む残暑の光がちらつくのを感じた。

 あれは夢だった。でも、現実だった。

 夢でも一間さえ掴めたらそれで良かったと思うしかない。

 続いてほしかった。その現実は由岐にとって甘美で強い赤薔薇のような日々の開幕で、まばゆい夏の光のように輝くひとときだったのだから。

 「また、一からスタートするならどんな自分になりたいですか?」

 夏の光は幻だったかのように、志帆の力強い声が上がった。一からスタートなら、始まったばかりの幕開けである。

 「……誰からも愛される肝っ玉じいさんになりたいかな。ちょい悪風で、いつも人生楽しんでいますよ! ってカカカと笑っているみたいな」

 志帆が笑った。毒舌だけど愛される国民的キャラクターの芸能人を例に何人か出された。

 うん、と由岐が力なく頷いていると、「もうちょっと若い方がいいですよね?」と突っ込まれた。

 「よくわかんないけど、見た目もろとも自分を見てほしいなって思っています。うまく言えないけど」

 「それは、まだ由岐さんの似合う基準がわからないだけだと思います! 大丈夫です、一緒に考えましょ!」

 自分にとって似合う基準、それは新鮮な気持ちだった。次に、どんな色が好きですか? と聞かれた。心の内に浮かんだ答えは赤ではなかった。

 真逆の緑。この店に似合ったようなクールな色合い。でも明るい色も試したい。

 志帆との買い物同行はさまざまな衣服を着て、一通り済むと、由岐に似合う理論が整ったのか、次の衣服からはハズレはなくなった。

 まだどてっぱらのお腹にはきついスキニージーンズは合わない。

 それでも、濃い色のゆるいテーパードデニムがいいと紹介された。暗め柄模様のトップスには、明るいベージュのチノパンを組み合わせると、しっくりきた。

 襟付きロングカーディガンを勧められた時は、自分ではあまり着ないような系統だったので、テンションが上がって、思わず四色全部買い占めようとしてしまったほどだった。

 これさえあれば、どんな服も似合うような気がした。長い布がすっぽりと身体を隠してくれて、包まれているような気になった。

 「どうですか?」

 「最高です、なんでもやれそうな気がする」

 「良かったです! では、お約束の時間がここまでなのでこれを以て終了させて頂きたいです。ご利用いただき、ありがとうございました」

 由岐は、フと「ちょっとまだ話したいんだけどーー」と言いたくなって、でもこれは仕事で会っているのだから、仕事が終わればそれまでだ。

 志帆の瞳には由岐に対する未練はなさそうだった。

 「元気になって良かった」とその気遣いには変わらない優しさがあった。

 「お互い、健康には気をつけようね」と、そっと一言残して営業スマイルをした後、さっと店内を出て行った。

 次の仕事があるのか、急ぎ足だった。その後ろ背中には多くを語っているようで、伸びた背筋だけがシンプルに物語っていた。

 急速に寂しさが芽生えて、しばらくの間、志帆と過ごした店内から出られなかった。

 もし、今の由岐だったら志帆を選んでいるのだろうか。

 以前だったら、選んでいない。

 でも今なら、志帆があの体型だったのかがわかるような気がした。

 はじめて出会った時は、志帆は痩せていた。けれど、太りだした頃には専業モデルからフリーでモデルを始め、副業でスタイリストをしていた。

 その時系列の関連は何かがあるようで。

 気がついたら、志帆も志帆でままならぬ現実を味わっていたんだとわかった。自分より一足早く。

 気が付かなかった頃は、志帆の事情や背景を読もうとはしなかった。

 気が付いた今、分かち合いたいとすら思ってしまう。

 見た目も変化しているのに気づいて、更に着飾って似合うようにした力強さに今は、素直にすごいなと思った。

 手料理を作ってくれる傍ら、志帆はそんな胸の内を話すことはなかった。

 しかし、志帆との連絡は仕事用のアドレスのみで、志帆は由岐との友人関係を望みたがっているかどうかわからない。

 一抹の寂しさが感傷的に、点々と波紋と連なり重なって、孤独感が募った。

 昼時を過ぎた賑やかな人混みがざわざわと身に染みて、急速に一人になった実感がこみ上げた。

 それを不意にしたのも、どうしようもないタイミングだったのだと、思えば納得できるような気がした。

 ままならなさの中に生きているなら、いつまでもは続かない。いつか終わる時は終わる。それが早かっただけだ。

 でも、今は自分が結婚したいとか恋愛したいとかそんな暇がないということに気づいた。

 「……やり直しか」と思いながら、志帆に選んでもらった服たちを紙カバンから覗く。

 生地の手触りが心地よくて、ほんの少し温もりが胸の中に広がった。

 あの時はずるかったな、と思って、罪悪感がわいた。でももう5年前の出来事だ。志帆は志帆なりに、自分は自分なりに、それぞれの道を選んだのだから。

 終わった時にはやっと冷静に俯瞰できている。

 そうして流れていった時間の重なりを思い起こし、お互いに、志帆も志帆で、俺も俺もで、一所懸命に生きていたんだな……と同志がいたことにホッと胸をなでおろした。

 また話したいことがあった。けれども、それは過去のものだ。

 ーー明日は、カットの仕事がある。

 どの服を着て行こうか? と由岐はわくわくと胸を高鳴らせた。

 新しい空気を取り入れたクールな自分が思い浮かんだ。それを実現できた衣服がこの腕のなかにあると、たしかで小さな充実感にぎゅっと嚙み締めた。

 こんな幸福感を与えられたらいいな、と由岐はほんの少し強く願った。

 まずはこの腕で、できることをしてみよう、と由岐は思った。


(終)

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