第7波で当事者となる (後編)
前編投稿から数ヵ月が経ってしまいました。ごめんなさい、otemoyanさん……。年の境目をまたがるようにして、第8波が猛威を振るっていますが、前編同様、今回もあくまで第7波(22年8月)当時のことを一市民の記録として綴ります。
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自宅前にタクシーが着き、私は1週間分の荷物(着替えとかお菓子とか仕事の資料とか)を入れたスーツケースとともにタクシーに乗った。ワゴンタイプの車で、後ろの席は3列あった。運転手と乗客の間にはビニールの仕切り。そして1列目には、私より先にこのタクシーに乗った女性が座っていた。私はよいしょとスーツケースをかかえて乗り込み、2列目の席に腰を掛けた。
もちろん車内では無言だ。しーんと静まり返ったまま、運転手と先客と私、3人が乗るタクシーは高速道路を走った。そして、大阪市内の繁華街にあるビジネスホテルへと到着した。コロナ前はインバウンドの観光客でにぎわっていたんだろうな、ここ。それが玄関口にはポールが並んで「立ち入り禁止」となり、警備員が仁王立ちしているのだ。コロナ禍は世の中の風景を変えた。タクシー運転手と警備員が言葉を交わし、私ともう一人の女性はホテルの入り口に通された。
そこからは事務手続きが始まる。以前はホテルフロントだったであろうスペースにガラス戸が設けられ、その向こうには看護師さんやホテルスタッフなどがいる。ガラス戸のこちら側にいる私たちと、スピーカーのようなものを通じて会話する。ああ、あちら側と、こちら側。そのわかりやすい区別が、自分は今“陽性者”であることを強く実感させた。そして、「勝手にホテルを出たら逮捕されることもあります」と書かれた紙が貼られているのを見て、第1波、2波の頃の「得体のしれないウイルス」感を思い出した。
割り振られた部屋は、私の場合はありがたいことにツインの部屋だった。その分、閉じ込められた空間とはいえ、圧迫感はなかったように思う。テレビもあり、Wi-Fiも完備で、情報不足に陥ることもない。食事は1日3食。たとえば、「5階のみなさんは1階ロビーへお弁当を取りに来てください」といった放送を受けて、該当するフロアにいる人が順番にロビーへと降り、お弁当やお茶を受け取るという仕組みだ。みんな食事が楽しみなこともあり、放送後は各部屋のドアが開閉する音が次々と響き、同じフロアに滞在する10人ほどが一斉にエレベーターに向かう。エレベーターには乗り込めるだけ乗り込んでいてソーシャルディスタンスも何もあったものではなかったが、いかんせん陽性者ばかりだから気にすることはないのかも。そうしてロビーに集まり、お弁当を手にするこちら側を、あちら側にいるスタッフたちが見つめている。その光景がいつもシュールに感じてならなかった。
お弁当は2種類用意されていたが、ホテル到着時の事務手続きで「野菜」と「お肉」のどちらのお弁当にするかを申し出ることになっていた。以降、自分が申請した種類のお弁当を受け取ることになる。私は「野菜」と申請したが、野菜弁当というわけではなく、「とんかつ弁当」「生姜焼き弁当」などと主役がお肉ではないというだけで、肉団子やシュウマイといったものは、おかずの一品として小さな区切りの中に入っていたりする。そんな「野菜弁当」を1週間いただいた。朝には、おいなりさんがメインの助六弁当も多かったっけ。ちなみに、製造者シールを見ると、神戸市内のお弁当屋さんのものだった。インスタントのお味噌汁、ゼリーなどもほぼ毎食用意されていた。さらには「温かいものを召し上がってほしいと寄付されたものです」という貼り紙が貼られた電子レンジが2台。孤独を感じつつある時に、見知らぬ誰かの思いやりが心に沁みた。
療養中、一つ、困ったのは洗濯だ。客室が100以上あるこのホテルだが洗濯機は2台しかない。観光客やビジネス客が大半の普段の営業ならそれで十分なのだが、今回は1週間滞在する人ばかり。つねに洗濯機は誰かが使用していて、なかなか空きのタイミングに出合えない。ついには洗濯機が示す「あと●分」というデジタル表示を見て、そのタイミングより少し前に来て順番を待ち、ようやく洗濯することができた。
ホテル療養7日目。熱は平熱。症状もナシ。看護師さんによる問診やチェックのあと、無事にホテルから出られることになった。玄関ドアを出ると、警備員さんが「ご苦労様でした」と声をかけてくれ、見送ってくれた。今日からは自分の行きたいところへ、自由に向かえる。これまでに感じたことのない開放感だった。