ハイドパークで日常を思う #かくつなぐめぐる
鳥たちの動きに合わせて水面が揺れる。遠くの水面は光を反射して、光っているのと同じくらい眩しい。だだっ広い水の上には大中小の水鳥たちが浮かんで、それぞれの声で鳴いている。カメラを向ける観光客の群れを宇宙人でも見るかのように眺めていてもいいくらいなのに、彼らは何も気にせず過ごしているように見える。
白くて大きなハクチョウ、次いで大きくてたくさんいるハイイロガン、中型犬サイズの鋭いまなざしを持ったカモメと、日本でもよく見るサイズの可愛らしいカモメ。カモも2種類。ハトもいる。杭の上にいる見覚えのある鳥はカワウだろう。上野の不忍池なんかでよく見る、頭に白いお皿が乗っている黒い鳥、オオバンもいる。全部で100羽以上はいるだろう。
その中でもある者は陸に上がって、観光客がちぎって与えたパンをついばんで、ある者は女の子が持っていたおやつを横取りして逃げている。
鳥たちは堂々と道を歩き、人が水面に近づくと「なにかくれるのか?」という思惑でワッと近づいてきてはサッと解散する。
ここはロンドン、私はハイドパークにいる。
湖のすぐ横、歩道と馬が通る道を挟んで広大な芝生があって、「この木なんの木」みたいな嵩のある木がぽつぽつ生えている。今日は快晴で、日向の芝生に寝転んで昼寝したり読書したりする人たちがいる。
天気が変わりやすく、どんよりと曇る日が多いこの国で、旅行2日目にしてこんなにも気持ちのいい日に出会えた。
日差しは暖かく、風はゆるく、上着を着ているとちょっと暑い。
さっき買ったコーヒー(現地に倣い、たっぷりミルクを入れてもらった)片手にベンチを求め歩いていると、リスがふさふさとした尻尾を振りながら寄ってきた。食べられるものを持っていないことが分かると、差し出した私の手のひらに鼻先でキスをして帰っていった。
空いているベンチを見つけて座ると、さっきまで近くにあった湖が前方に見える。水面は光を反射しながら穏やかに揺れていて、湖から少し離れたことで鳥の声も聞こえなくなり、私の心もより凪いだように感じた。
ベンチは木陰にあって、風で枝や葉が揺れるたびに差し込む光の形が変わるので、目を閉じると、まぶたの裏側でちらちら揺れる光線を感じる。
手に持った熱いコーヒーをひと口啜ると、思わずはーっとため息が出る。美味しい。苦すぎずそれでいてミルクに負けるわけでもなく、ちょうど飲みやすい。甘いものに合いそうだ。さっきついでに買ったキャロットケーキをひと口食べて思わず唸る。
スパイスの主張が強くて、ココナッツやらカレンツやらくるみやらで中身が詰まっている。それをまとめるのは、ベーキングソーダの独特なカラメルのような風味がよく効いた、素朴でポロポロとくずれる生地だ。にんじん入りだからしっとりするはずなのに、食べると口の中の水分がちょっと奪われる感じがして、その分食べ応えがある。焼きすぎ?と思うくらいの外側のカリッとした部分と、チーズのフロスティングと、ミルク入りのコーヒーがやっぱりよく合う。
こんなに穏やかな気持ちになったのは久しぶりだ。振り返れば今年の4月に新しい土地に越して仕事を始めて、ちょうど半年。人や環境に恵まれて慣れない場所でも楽しくやっていると思うけど、心の拠り所は所在不明。
1人きりで部屋にいたくなくて、土日はなんとかして予定を埋めがちだし、そうやって出かけた先でも誰かの人生の話を聞いて、自分はどうだ、これからどうするんだ、と比べて落ち込んでしまう。
私には今こういう生活があって、こういう道を見据えていて、という地に足の着いた話ができれば比べなくて済むのに、口に出せる未来はいつも1つも出てこなくて、それでもいいはずなのにいいと思えない自分がいる。
だからこそひとまずこんな非日常の時間を求めて、旅行をしようと思ったのかもしれない。
隣の芝生で寝転んで話をしていた女性2人組が立ち上がった。ゆるいスウェットを着て、小さな肩掛けカバンに本を入れて、いかにも近所からやってきましたという出で立ちだった。
彼女たちは家に帰るようだ。「また来週」という言葉が聞こえてきた。また来週も彼女たちはここに来て、話をしたり本を読んだりするのだろうか。旅行中の高揚感も相まって私はすっかり非日常の渦中にいるように感じていたが、ここで過ごすことは誰かにとっての日常なのか。
私が旅行を終えて帰っていく場所にもこういう日常があるのかもしれない、見つけていないだけで。
よく考えれば、私は東京の自宅周りの様子を全然知らない。
近くの公園も分からない。平日も休日も朝家を出て都心に向かい、暗くなった頃に帰宅する。もし友だちが異国から訪ねてくれたとしても、都内の行列ができるカフェや観光地のほかに、大事な人に紹介できる気持ちのいい場所を知らなかった。
繰り返しの毎日を大切にして、そこにあるものに気づけているだろうか、と思わされる。ミルク入りコーヒーの白い水面に映る自分の顔は、自信がなさそう。
自分の住む場所のことをちゃんと知っているだろうか。焦ったり、遠くを望んだりして、近くにあるものを見落としているのではないか。日常に満足したり、愛したりすることをさぼっているのではないだろうか。
残ったコーヒーを飲み込みながら、日本に帰ったら目をこらして近所を歩いてみようと思った。途端に憂鬱に感じていた帰国の日が楽しみだと感じる。
どんな生き物が、光の具合が、風の吹き方が、どんな色でどんな味のコーヒーとケーキが、私の生活のそばにあるのかちゃんと見てみたい。