006|怪我と恐怖を、越えた時(後編)
こんにちわ、福島ファイヤーボンズの橋本尚明です!
12月6日(月)時点で、チームは3位へ。11月は皆さんの声援のおかげで、7勝2敗の成績を残すことができました。
ただ、ゲームの内容を見ていると、まだまだ油断はできません。課題を感じる部分も残っているので、全員、気を引き締めているところです。
移籍してきた時から優勝以外考えていないので、引き続き、応援のほど、どうぞ、よろしくお願いいたします!
本編
さて、ここから本編です。
中学時代、全治1年の靭帯断裂をして、バスケを離れかけたぼくですが、前回は高校時代の監督・色摩(しかま)先生のお話をさせてもらいました。
前回のエピソードはこちらから。
今回まず、お話したいのは両親です。父も母も、血相を変えて病院を探してくれていました。
当時はスマホもないですし、そんなにネットに詳しくなかったから、親戚や知人などの人づてに必死に情報を集めてくれていたんです。
おかげさまで、当時は珍しかった酸素カプセル付きの病院で治療を受けさせてもらうことが決まりました。
その後、リハビリができるようになった時も、ずっと付き添ってくれていて。
生活のための動作ができるようになるために、いろんな方向に足をひねったり、持ち上げたりするのですが、痛いし、思うように動かない。
とにかくストレスがたまりました・・・。
と考えてしまうこともありました。
当たり前のことができない時って、ものすごく弱気になるし、投げやりにもなってしまいます。
だから、親の存在は心強かった。
声をかけてくれたこともそうですが、一緒にいてくれるだけで十分、元気をもらっていたんですね。
ある程度、リハビリも進んでくると、早くプレーがしたくなってウズウズしてきます。
でも、待ち受けていたのは恐怖と屈辱・・・。
プレーによる接触を無意識的に恐れてしまっていたのです・・・。
リバウンドはもちろん、ボールの奪い合いがすごく怖かった。
と、足がすくんでしまっていたのです。
ゼロコンマ数秒の世界でたたかうバスケというスポーツでは、こうした感覚は致命的。
加えて、フリースローラインからシュートが届かない・・・。ドリブルが思うようにできない・・・。
日常生活ができなくなった時以上に落ち込んでしまいました。
ここで大きな助けになったのが、前回のnoteでもご紹介した色摩(しかま)監督です。
靭帯断裂のニュースを聞いてもなお、ぼくを誘ってくれた恩師。
彼は一冊のノートを用意して、こう言いました。
朝6時頃に体育館に行って、ひたすらシュートを打って、それを見たキャプテンがノートにメモをして。これを監督が見てハンコを押す。その繰り返し。
二人のやさしさはありがたかったのですが、こんなことをやっていて本当に力が戻ってくるんだろうかと、不安はありました。
ただし、日が経つにつれ、カスリもしなかったゴールリングに当たるようになってきました。
手応えを感じ始めた時、ボールが初めてネットをくぐりました。
怪我から復帰後、初のゴール・・・!
見ていてくれたキャプテンも、報告を受けた監督も、めちゃくちゃ喜んでくれましたね。
その後、練習試合にも出られるようになって、選手同士がぶつかる恐怖も徐々に薄れていきました。
同時に周囲への見方もずいぶん変わりました。
愛情を注いでもらえているという感覚が、どんな逆境も乗り越える一番の力になると感じました。
こんな大怪我、ぼくひとりではどうしようもできなかった。
もちろん、一人で踏ん張らないといけないことも多々ありますが、自分の精神力だけではどうしようもないことがある。
そういう時、人の力をしっかりと借りれるような自分でいたいと思いました。
ぼくが大切にするこの言葉は、家族や仲間たちの存在を信じる合言葉でもあったんです。
今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。寒い日が続きますので、どうか、お体ご自愛ください!
【PROFILE】
橋本尚明(はしもとなおあき)
1992年、愛媛県松山市生まれ。大学在籍時は新人戦にて最優秀選手賞とアシスト王を獲得。その他、西日本選手権、関西学生選手権で優勝を経験し、関西学生選手権と関西学生リーグ戦では優秀選手賞を受賞するなど実績を積む。
その後、2015年に大阪エヴェッサと契約。主力選手として活躍。プレーオフにも出場。2017年、富山グラウジーズへ移籍。主にシックスマンとして、チームのB1残留に貢献した。
2018年には横浜ビー・コルセアーズへの移籍。アメリカの伝統的スポーツ用品メーカー・スポルディングと、ブランドアドバイザー契約を締結。
2021年、島根スサノオマジックへ移籍するもシーズン中盤に故障により離脱。現在は福島ファイヤーボンズと契約。
福島ファイヤーボンズの詳しい情報はこちらから!
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