005|怪我と恐怖を、越えた時(前編)
noteを初めて2ヶ月が経ちました。今回で5本目ですが、
というお声をたくさんいただいて驚いています。
最初は、
と半信半疑でした。それでもプレー以外で、お伝えしたいことがたくさんあって。
兄や、noteをつくってくださっているチームのみなさんを頼って、一歩踏み出してみたら、新しい世界を広げることができました。
今では挑戦して本当に良かったと思います。
そして同時に、自分のプレーや、普段の言動についてもしっかりしないといけないと考えるようになりました。適当なことはできません。
さて、今回のnoteは、ぼくの中学・高校時代のお話です。
ツイッターを見ていると、怪我との戦いを赤裸々に語っている方を見かけることがあります。その中には学生さんもいて。
ぼくも学生時代に大怪我をしたことがあったので、それを思い出したことから今回のお話をしたいと思いました。
自分ではどうしようもできない大きな壁との向き合い方、お話させてください。
やや長めのエピソードになりますので、今回は前編。そしてその中で特にお世話になった方についてのご紹介を中心にさせていただきます。
本編
全身が、勢いよく体育館の床へ。ピクリとも動かない下半身。一体、何が起きたのか分かりませんでした。
靭帯断裂。リバウンドを取って着地した瞬間、足首が曲がってはいけない方へ曲がってしまったんです。20分後、救急車が学校までやってきました。
完治まで1年という診断。
それまで「うちのバスケ部に来てください」と言ってくれていた高校から一切声が、かからなくなりました。
この時、中学生3年生の2学期。
最初の1,2ヶ月は車椅子です。その後は松葉杖。何もかもが奪われた気がして心が枯れ果て、投げやりな気持ちで日々を過ごしていました。
そんな考えも頭をよぎったことも確かです。
失意の中、熱心に声をかけてくださった高校がありました。
母校の尽誠学園です。
日本人2人目のNBA選手・渡邊雄太の母校でもありますから、ご存知の方もいらっしゃるかもしれません。彼はぼくの後輩にあたります。
そんな尽誠学園への進学が、人生の大きなターニングポイントになりました。名将・色摩(しかま)監督との出会いです。
その指導はとても厳しいものでした。
30人くらいの部員だったと思うのですが、誰が今、どんな気持ちで練習しているのか、目を光らせています。
などと、怠けた練習態度は一瞬で見抜かれます。練習中でもすごい緊張感でしたね。
ただし、今、この当時を振り返ると、監督の凄さが分かります。約30人にきちんと向き合うのはそう簡単ではありません。
何ができていて、何ができていないのか? 得意なこと、不得意なことは? 課題に感じているところは何なのか?
相手をやる気にさせたり、時に反省を促したりするために何が必要なのか?
ただ眺めるのではなくて、一挙手一投足、しっかり観察して、その人の心の奥にまで踏み込んでいかないといけない。
相当大変だったはずです。しかも相手は高校生の橋本尚明。
大人になった気がして調子に乗り始めている時期です。
正直、当時は
と不満を爆発させてしまっていました。
ただ、いろんな業界のプロの方と出会うようになって、やっぱり一流と呼ばれる人って、専門的な技術はもちろん、人間的にしっかりされていらっしゃる。
身だしなみを整えたり、約束を守ったり、相手を敬ったり。そういうことが当たり前にできるんです。
だから、世の中をなめているこの時にガツンとやっていただいたのは、いいクスリになりました。
ここから監督、家族の力を借りて、バスケができるようになっていくのですが、ちょっと長くなってしまったので、今回はここまでとさせていただきます。
次回は大怪我を乗り越えた具体的なプロセスについてお話させてください。
自分だけで乗り越えようとする心意気は大事ですが、やっぱり、支えてくれる誰かがいなければ難しい。
人のぬくもり、人への感謝。あたたかいお話をさせていただけると思います。最後まで読んでいただいて、ありがとうございました。
寒くなってきましたので、どうぞお体、ご自愛ください。ぼくらは引き続き、アツいゲームをつづけていきます!
【PROFILE】
橋本尚明(はしもとなおあき)
1992年、愛媛県松山市生まれ。大学在籍時は新人戦にて最優秀選手賞とアシスト王を獲得。その他、西日本選手権、関西学生選手権で優勝を経験し、関西学生選手権と関西学生リーグ戦では優秀選手賞を受賞するなど実績を積む。
その後、2015年に大阪エヴェッサと契約。主力選手として活躍。プレーオフにも出場。2017年、富山グラウジーズへ移籍。主にシックスマンとして、チームのB1残留に貢献した。
2018年には横浜ビー・コルセアーズへの移籍。アメリカの伝統的スポーツ用品メーカー・スポルディングと、ブランドアドバイザー契約を締結。
2021年、島根スサノオマジックへ移籍するもシーズン中盤に故障により離脱。現在は福島ファイヤーボンズと契約。
福島ファイヤーボンズの詳しい情報はこちらから!
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