見出し画像

父親が国王となった

 1872年,日本は戸籍法を施行し,平民に対して名字を認め,戸主権を授けた。

 これは時代の要請だった。ナポレオン戦争の時代,平民に対して貴族の権利(参政権)と義務(兵役)を与え,精強な国民軍を目の当たりにした明治元勲は,同様の制度を本邦にも導入した。

 このため「家」の概念を表徴する名字を平民に与えた。それまで,平民には「家」の概念も「結婚」の概念も「相続」の概念もなかった。ゆえに,子は親から何も与えられずに育ち,かつて原始時代に貴族の祖先が舐めた辛酸を世代毎に味わうのが平民であった。「何も持たない状態で生まれる」ことだ。

 しかし,ここに誤算があった。平民とはいえ,犬や猫とは違い,人である以上,貴族と同じ行動様式を持つと立法者は期待したのであった。

 各家庭の中は,見えない。家の中で一体何が起きているのか,立法者は知る由がなかった。

 例えば恐るべき児童虐待は,子どもに心的外傷を与え,精神疾患をもたらした。アルコール中毒の父親が,戸主権を濫用した。中には,娘と近親相姦を繰り返すものもいた。妻への配偶者間暴力は日常茶飯事であり,これに立法者が気づき法的規制を加えるには,19世紀の戸籍法施行から21世紀を待たなければならなかった。

 王権神授説で有名なロバート・フィルマーはその主著『パトリアーカ』にて,国王とは古代,各家庭の父親であったと説いた。父親の家長的性格から,戸主権(子どもの結婚制限や住居制限)が次第に発展し,王権へと成長したと説明する。

 1872年の戸籍法とは,まさに平民に対して「小さな王権」である戸主権を授けたものであった。

 だが,立法者が期待したように,判断能力の低い妻子に代わり,父親が妻子の利益を守るために(パターナリズムとして)制限を加えるのではなく,自身の保身や快楽のために戸主権を濫用した事例が多発した。

 結果,国が乱れた。

 正常な判断能力を失った平民は,参政権を濫用し,それによって選出された衆議院議員たちは,勝てる見込みの無い戦争の予算を可決した。

 ここで,戦後の日本は王権の制限から出発することになる。つまり,天皇大権の消滅である。

 今日,天皇は象徴となり,高級官吏の認証を為すものの,実権は失われたた。王権を制限した現行憲法を信望する学者の中には,天皇を「象徴」という共通項から鳩扱いする者まで出現した。(芦辺,宮沢など)

 同じく王権の統治下にある英国も,王権が徴税権と逮捕権を濫用しないようにと,マグナ・カルタに始まる王権制限の憲政史を持つ。だが,王権そのものを飾り物にするといったことまではしていない。現に,英国では国王が任命した自治領総督に,総理大臣の任免権がある。(カナダ・オーストラリア・ニュージーランドなど)

 日本では,王権の制限を通り越して,王権を飾り物同様にしてしまった。

 確かに,日本書紀にて示される「シラス」と「ウシハク」の概念が示す通り,天皇は君臨せれども統治せず,実務は臣下が行う歴史を持つ。この意味で言えば,天皇が任命した征夷大将軍,関白摂政,そして太政官に総理大臣といった歴史的変遷を見出すことが出来る。

 だが,現代では実際に天皇が任免権を持つわけではない。ここに,王権の形骸化がある。

 天皇がそうであるから,各家庭の戸主も同じように飾り物となった。父親の役割は,現代では特段の価値を見出されなくなった。

 このままでは,崩壊のみである。その兆候は,見えるものには見えている。

 よき国王,よき父親がいない社会とは,何か。

 責任をとる者が不在であり,指揮をとる者も不在である。小知恵の働くものによる寡政に敷かれ,希望の無い社会となる。

 尊敬できる父親はいるのか。もし,いなければ貴方がなるのだ。子孫累代から敬われ,愛された父親が,貴族となり,そして国王となるのだ。

 そのためには先ず何をすべきか。

 子をつくり,妻子を愛することである。

 世代を超えて語り継がれる愛を妻子に与えることだ。

 貴族と平民の違いは「愛の量」である。

 確かに,平民にも愛はある。しかし,それは可視的な範囲に留まり,子,孫と三世代を限度とする。従い,相続の観念も百年以内に留まる。

 一方で,貴族は目に見えない耳に聞こえない子孫のことを想い馳せ,子孫に愛を残す。それは財産や名誉の形で残る。

 血縁的紐帯のある人の集まりは,決して崩れることが無い。如何なる困難にも対抗できる。

 その家族と家族の集合体が国家となる。あなたは父親となり、家庭の王となる。正しくその権利を行使されたい。

いいなと思ったら応援しよう!