「シン・ニホン」から考える
以下は、「シン・ニホン」読了に際した備忘録だ。
。。。訂正。。。
備忘録というのは嘘ではないが、なんというか、気恥ずかしいが、個人的な決意表明文である。もし、暇を持て余していたら読んで見てもいいかも。
______
「シン・ニホン」を淡白に一言で表せ
と言われれば「日本の人材育成・運用について課題の指摘から提言までまとめた本」ということになるだろう。本書の副題に「AI×データ時代における日本の再生と人材育成」と振られている通り、AI×データ時代における日本の現状や課題の確認から具体的な提言まで、膨大なデータに基づき論が展開されている。
実際、本書を人に勧める際には、このような「まとめ」が口を衝いて出るだろうし、それは全く間違ってはいないだろう(僕もそうしている)。
しかし、このまとめフレーズのすぐ後に必ず「でもね、この言葉だけじゃこの本の魅力とか伝えたいことが全然伝わらなくて」と続けたくなるはずだ。本書で扱われている主張一つひとつを平易な文言で伝えてしまっては、「それは確かにそうだろうね」の一言で終わってしまう。
確かな論理展開や引用されるデータ群の裏には、未来に対する著者の思いや希望、現状への怒りが溢れかえって一つの主張を成しているように感じられる。それは「人にはもっとかけがえのない、果たすべき役割が確かにあるはずだ」という祈りにも似た主張だ。
それが本書には散りばめられていて、受け取るエネルギーは凄まじいものがある。読了後にこれが本書の真の魅力だと気づき、非常に興奮したことを記憶している。読了前後でこれほどまでに印象が異なる読書体験は初めてだった。
本書を通じて深く感じ入ったメッセージは次の3つ
・異人を活かせ
・諦めるな
・行動せよ
本書はデータ×AI時代における日本の再生をテーマに据えているが、これら3つのメッセージには、データ×AIに直接関連するようなキーワードは入っていない。
もちろん、僕が意図的にそうしたのではなく、純粋に本書がそうさせたと感じている。これらのメッセージに共通する点は2つある。
1つは、いずれも非常に普遍的なメッセージであるということだ。「今この時代」に限って通用するある種のテクニカルなメッセージではない。これらを主張する上でデータ×AIの文脈は必須ではないのだ。
もう一つは、「人」が関連しているメッセージだということだ。本書は、つまることろ未来を決める上で重要な存在は「AI」ではなく「人」なのだと一貫して主張している。
本書でいう異人とは
圧倒的な社会的価値をもたらす存在として規定される。このような存在は、当然その他大勢と価値観や感性を共有できないために、現在の日本社会では潜在的な異人たちが爪弾きされる傾向にある。画一化を求められる公教育やそれを前提とした社会システムが、彼ら異人予備軍の能力を解き放つ機会や意欲を徹底的に奪ってしまっている。
これについては、大学時代、僕と同じ物理学科で出会った2人の友人を思い出す。この2人は、僕を含めた同級生とは明らかに感性が異なり「当たり前」が常に脳裏に引っかかり続け葛藤を抱えるタイプの人間だった。
一方で、数学や物理学に対する直感やものの見方ははっきり言って別次元を見ているようで、なぜその見方やアプローチを思いつくのか理解不能だった。したがって、学術的な議論では彼らが何を言っているか理解しかねることが多々あった。
ある時、僕は片方の友人と大学以前の思い出話に浸っていた。その中で彼は「なんで毎日高校に通っているのかわからなくなって、一時期不登校とか保健室登校してたんだよね」と切り出した。高校なんて毎日通って当然で、高校に通学することや所属することを疑問にすら思ったことがなかったため、当時は笑い話として受け取った。
しかし、この本を読んで確実に受け取り方が変わった。もっと彼のその告白に興味を持って様々な質問を投げかけるだろうし、よりフラットな目線で共にその疑問や問題の根本について有意義な議論ができるはずだ。何よりも、今ならずっと彼に寄り添うことができるに違いない。
もうひとりの友人は、端的に言ってより社会に適合するのが難しそうな感性を備えていた。自分の興味の対象は、周囲が驚くほどの集中力で深く観察・分析し、研究に没頭する。
一方で、自分のやりたいこと以外は壊滅的にできない性格だった。彼の書きたくない実験レポートを手伝ったことは一度や二度ではない。当時はこのような態度を単に彼の驚異的な怠慢だと決めつけ、きつく当たることもあった。しかし、その対応や価値観の押し付けは本当に正しかったのだろうか。
この二つの例を前にして思うことは、社会システムに適合できない彼らが一方的に悪いのではなく、彼らを活かすことができない今のシステムに問題があるのではないかということだ。これは本書で正に著者が指摘しているである。
所属するコミュニティの在り方に疑問を持っているのなら、そこを負荷なく離れることができるシステムが必要ではないか。興味の対象に対して驚異的な成果を上げられる一方で、それ以外では生きていくこともままならないのであれば、セーフティネットを設けてその枠組みの中で自由に創作・研究活動できるシステムを作るべきなのではないか。
異人を活かすための社会システムの構築にはそれなりに時間がかかるだろう。しかし、それを待っているわけにはいかない。本書は僕ら一人ひとりができること示している。
差し当たって、身の回りにいる異人likeな人を孤立させず、なるべく彼らの望む方向へ環境を整えること、そしてそうした人間に対して十分に理解し、精神的に支援することだ。本書ではこうした態度をとる人間を参画人種と呼称している。これからは僕自身、参画人種として積極的に異人たちが創る未来に「参画」して行きたい。
「諦めるな」とは
残すべき未来を残すために現実的な理想主義を諦めるなということだ。本書の第2章にその主張が端的に現れている。まずは現在の日本の惨状をひたすら冷静に観察し、課題を指摘する。
しかし、その後に日本独自の強みを具体的に挙げ、「日本はまだ終わっていない。ゲームチェンジできれば十分立ち直ることが可能だ」と希望を持った上で各課題へのアプローチ、具体的な提言へと議論を展開していく。
初読の際に一番衝撃を受けたのは著者のこのスタンスを読み取った時だった。現在の惨状を嘆くことに終始して、この状況をなんとかしなければいけないと述べ流だけで終わるわけでもなく、惨状に目を伏せて日本の強みを挙げて読者を安心されるのみに終始するわけでもない。現実路線を貫き、一見どうにもならなそうな悲惨な状況を一つひとつ拾い上げた後に、それぞれに対して、この問題の本質はこれだからこうすれば解決するのだと主張する。
現実を直視しているのにネガティブな結論を一切導かない姿勢に心を打たれた。それと同時に、これが真に「諦めない」姿勢なのだと感じた。単に諦めない姿勢が大事だということを強調すると、ともすれば現状をろくに観察もせず、がむしゃらに目の前の対象へ向かい続ける精神論に終始してしまう。
本書から受け取った諦めない姿勢はそうではない。現状を客観的かつ徹底的に観察した上で、「その時点での」理想像をしっかり持って具体的な行動に着手し続けることこそが、正しい諦めない姿勢なのだと理解できた。
この姿勢はもちろん個人の生活の中に取り入れることができる。自分は一体何がしたいのか、それに伴う現状はどうなのか、何が障害になっているのか、その障害をどうクリアするのかという問いに客観的かつ具体的に答えていく。その上で自分の中にあるべき理想像を掲げ、諦めずに一歩一歩前進していきたい。
「行動せよ」とは
残すべき未来を残すために、今自分ができることを行動に移せ、というメッセージだ。誰かが適切な回答を示してくれることを期待して待つような受け身の姿勢はやめよう、あなた自身が未来を創る役割を担うのだと説得力、迫力満点に訴えかけてくる。
本書は問題点から具体的な解決策の提言までを網羅的に扱っている。その上、それらの工程で様々なレイヤー(リテラシー層・リーダー層・専門家層、あるいは起爆・参画・応援・無関心・批判人種など)に分けてそれぞれの果たすべき役割について、実に事細かに書いている。
したがって、読者は必ず本文中で自身が果たすべき役割について具体的に理解することになるだろう。「何か行動しなければいけないことはわかったけど、何から行動したら良いかわからないから動けないのだ」という言い訳の余地を完全に絶っている。ここまで退路を絶たれてはもう行動するしかないじゃないか、あるいはこんなに具体的に書いてくれているのだから早く行動しなければと読者に思わせる迫力がある。
僕もこの点に大いに刺激された。幸いできることは確かにたくさんある。あとはどれだけそこに時間・精神力・労力を注ぎこめるかだ。ローカルな問題については、周りの共感してくれる人間と共に自分の手で解決していけるはずだ。もっとグローバルな問題については、すでに問題に取り組んでいる組織や個人を応援人種として支援することができる。
寄付活動をするのも良いし、クラウドファンディングに協力するという手もある。その活動の様子をシェアすることで多くの人に知ってもらうことでもいい。
大局的な視点に立てば、長期的な行動計画や目標を考えることも大切ではあるけれど、良いと思ったことは行動に移せる範囲で即時行動するというクイックな視点も同時に持っておきたいと感じた。
最後に
若干気恥ずかしい告白をしたい。それは自分の中にいつからか存在する「世の中の人々が皆幸せになるといいのにな」という思いについてだ。これはSNS上での誹謗中傷を目にしたときなど、事あるごとに思い起こすことだ。そして、少なくとも僕と関わってくれた人は皆幸せでいてほしいという理想が自分にはある。
ただ、願っているだけではいけない。その理想を実現するには、どうにかして(厚かましくも)僕の手で彼らを皆幸せにする。これが僕の夢だ。「異人を活かせ、諦めない、行動せよ」という3つのメッセージは全てこの夢の実現に関わるものだ。
より良い未来のために、各々の経験・感性・技術に基づいて果たせる役割が誰にでも必ず存在するということを本書を読んで改めて気づいた。僕にも人をより幸せにするために果たせる役割が多数存在しているはずだ。
しかし、果たしてそれをどの程度自覚的に行えているだろうか。あるいは、どれほど意識的にその役割を果たそうとしているだろうか。これを常に問い続け、行動し続けなければいけない。
はじめから大それた行動を起こすことは難しいかもしれない。しかし、ありがたいことに日常からできる具体的な行動は無数にある。
・そもそも身近な他人にもっと興味を持って接してみる
・面倒そうな仕事を知らん顔せずに自分のできる範囲でやれることがないか考える
・研究室の後輩の面倒をもっとしっかりとみる
・寄付文化の醸成に貢献できるようにもう少し寄付活動を広げてみる
・有益な情報をもっとしっかりシェアする
・有益な情報を発信する
・独善的利他の道を求道する and etc...
まずはこうした言い訳も利かないような身近な小さいことから確実に行動する。行動し続ければ、よりチャレンジングな機会が訪れ、意識も変わって長く継続する活動になる。小さなことの積み重ねが、人や活動そのものを遥か遠くまで連れていってくれると信じて、毎日諦めずにローカルの環境に良い影響を与え続ける。その過程で、きっと様々なチャンスが目の前に転がってきて、行動する者にちょっとした幸運をもたらすかもしれない。そうして幸運に恵まれて、多くの共感者・協力者を見つけることができれば、それは僕の個人的な活動の域を超えていく。一過性のブームではなく、継続的な活動から行く末は文化そのものに、というふうに妄想が広がっていく。
自らの理想を追求することを諦めてはいけない。
素晴らしい仲間と出会いと共に理想を実現する。
今、そして未来をどうしたいか。常に各々に問いかけられている。
どう感じ、どう考え、どう行動するのか。確かな答えはない。
風の谷憲章になぞらえて言えば、
・立ち止まっている暇はない。ただし、歩みはゆっくりでも良い。
・何が最善か問い続けなければいけない。ただし、間違っても良い。
つまり、ここから先は必ず思考しながら歩み続けたい。