メモ帳#06
ふと思い出したように感じることがある
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・遊びがぬるい件
最近全力で遊んでない。これ普通?
何か特定の遊びがしたいわけではないけど、何か全力で体か頭を使って遊びたいと思う今日この頃。
例えばバーベキュー。
出来合いの材料を持ち寄るのはぬるい。
バーベキューコンロはいらない。炭も着火剤もNG。
海に繰り出して、魚を釣って、適当な石でいい感じの炉を作って乾いた木材を頑張って見つけてきて、適当に火を起こす。
晴れてれば虫眼鏡を使えばいい?曇ってたらどうしよう。木の棒を擦ったら案外簡単に火って着くんかな?流石に摩擦を利用した火起こしは大変だろうか、でもやってみたい。別に火を起こせなくてもそれはそれで趣深かし。
成功するかじゃなくて、単純にその時間を過ごしたい。
例えばスマブラ大会。
仲間内16人くらい募ってスマブラの大会を開きたい。
適当に開催するんじゃなくて、みんながみんなきちんと時間をとって、練習して、全力で勝ちにいく。そういう"ちゃんとした"大会。
まずは各組4人の総当たりリーグ戦。次に上位2人がベスト8として決勝トーナメントに進む。
でもそれだけじゃなくて、敗者決定トーナメントも用意して、ワースト1位も争ってもらおう。これはこれで盛り上がるのが目に浮かぶ。
なあなあじゃなくてガチ。
自分だけの「遊び」は自分の好きなように強度を選べる。
でも、他者を必要とする「遊び」はそうはいかない。
大学生(今も学生か...)くらいまでは、なんかそういう呼吸感が仲間内で共有されてたような気がする。全力で「遊ぶ」ことがもっと自然とできていたような。
野球にそこまで熱があるわけでもないのに、朝の5時半に起きて、大学のグラウンドでなぜかノックを受ける練習したり。川に手製の罠を仕掛けて魚を獲ろうとしたり(うなぎが採れたことがあった)。友達と大型アプデされたある音ゲーを詰めるために、曲目ごとに攻略を考えて、目標を細かく設定して、タイムテーブルも構築した上で、ゲーセンに毎日6時間とか通い詰めてみたり。
そういうの最近やったっけ?てなる。
まあいつまでも高校や大学の頃のように「遊び」に時間と精力を注いではいられないか。
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たまに、自分含め、多くの人はそういう欲求が歳を重ねるごとに薄れていくようだと感じることがある。たまにそれが昔の家族旅行を思い返すときのような、なんとも言えない情念を想起させる。
この感覚は悪くはないけど。