万能調味料を引き合いに料理と関係ない話してみる(自分に合う調味料は結局作るしかないような気がする)
これ万能調味料なんだよ、と紹介された時、「まじで?!あれもこれも合うの?」という期待もあるけど、「万能だなんて、そんなん、あるわけないがな」という疑義が生まれる。
万能調味料が、万能という名前がついているからといって、その辺に生えてる草にかけてみるとから老若男女誰でもが気にいる味を生み出せるとか、そういうことではないはずだ。
万能調味料とは、日々使う食材や日々食べるメニューを少しだけ新しく食するするための、少しだけ時短で作れるようにするためのもの。自分や他の人のライフのクオリティをあげる、みたいな、そういう印象だ。これらの期待が満たされると「ほんっと、なんにでも使えて万能じゃん!」となる気がしている。
期待を満たすには、自分が使う必要がある。
サラダにもチョコレートにもカレーライスにもかけてみよう、ってことではないし、新しくメニューを開発するってことでもない。
クックパッドでメニュー検索するでもなんでもいいが、要は本当に、なんにでもかけてみよう試してみようとやってみるかどうかだと思う。
この、なんにでもかけてみよう、という行動の動機が、ポジティブなものだといいなと思う。試して、思い通りの味にならなくて、やっと見つけた「万能」が万能ではないと証明されてしまったらどうしよう、、、という不安から試すよりも、あれにもかけられるのかな?あれと合わせたらおいしいかな?あの人に尋ねたらまさかのこんな組み合わせを思いついたりするのか?など、こうしたらどうなるかな?と、疑義の検証を”楽しく”やってくと、たぶん、使い方や工夫のしようを見つけやすいし会得しやすいから、生産性が高い。
この疑義の検証は、万能調味料は万能か?万能でないのか?という目的に立つ必要が無い気がしている。それは、そもそも世界中宇宙中の全食品に合う調味料なんて存在しないだろうと、薄々感じているからだ。
いままでの自分の理解の中では「これはできない」と思っていることがあって、それが「できる」という世界を見ると、その世界に期待をしたいなと感じる。が、世の中に本当の意味での万能な調味料が無いのと同じで、
期待を託したいと思う世界が、自分の思う万能を満たすかどうかは、不明だ。
自分が好きな万能調味料がほしいなら作るしかないのかもしれない。