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ヨーコの言葉シリーズ④「おばあちゃんじゃなくても白髪はあるよ」

私の母・ヨーコの言葉シリーズ。全3回と言っておいて、4回目を更新した。

私は未来に約束するのが苦手だ。
自分では完璧に考えたつもりで、どこかしら漏れているのだ。

母がリウマチになった

母がおそらく40歳くらいだったろうか、リウマチを発症した。
母はピアノの先生で、自宅で生徒に教え、幼稚園教諭の免許も持っていたので幼稚園の音楽講師もしていた。ピアノを弾いている時はほぼ痛まなかったようで、ただ、家事の時はイタタタ、とよく言っていた。私から見たら、痛みがあるのか分からないくらい、家事もいつも通りしていた。が、それは、お嫁さんの立場として、やらねばならないと母が思っていたからこそだったのだろうと今になって思う。

冒頭のようなおっちょこちょいさを兼ね備えていた私は、やる気が空回りすることも多い。母の家事を手伝おうとすると「私がやったほうが早い、逆にイライラするからやらないで」と言われて、そうか、と、手伝おうか?と話かけることもできなかった。そこは母にそう言われても突っ切れよ自分、と情けない思い出ではある。が、手伝ってもイライラさせて、無力感に凹んだろうなと思えるので、なんとも言えない。

母は要領が良く語気が強い。母以外の家族はその逆だ。要領が悪い人を見てるとイライラする、という母の口調は怖かった。結局、母に頼る構図になるほか無かった。今なら、母の押しの強さを押しのけられるくらい、私も図々しくなったとは思う。

話が逸れたけれど、白髪の話だ。

リウマチの服用薬の副作用で、母の髪の毛は40代前半で真っ白の白髪になった。が、それを嘆く感じは、母には無くて、「白髪染めしてる場合、時間が経つとちょっと荒れてくるけれど、私はもはやそういうのも無いから楽よ」とのことだった。

私も、母から髪が真っ白になったと言われて、「これまで何色だったの?」と聞くくらい、母の見た目に無頓着だった笑 「外見は、人の目を気にするもの」という価値観が世の中に転がっていると意識しだしたのは、それこそ高校生くらいだったのでは無いかと思う。相当な無頓着だが、母もそんな感じだった。

白髪の母が幼稚園に行くと、園児たちに「おばあちゃんなの?」と聞かれたそうだ。「おばあちゃんじゃないよ、40歳だよ」と母が答えると、「40歳なのにおばあちゃんなの?だって髪が白いのはおばあちゃんでしょ?」と言われたそうで、「先生ね、手が痛くてお薬飲んでるのよ。そしたら髪の毛白くなったのよ。別に、おばあちゃんじゃなくたって、白髪になるのよ」と返していたそうだ。で、そうなんだあ、とか、ふーん、といった返答が返ってくる、と。

論は結局、事実から

事実そのままの説明。でも、こういうフラットな説明こそ大事かもなと思う。
おばあちゃんって思われてるのかあ。。。と落ち込むでもなく、「いや違うよ、薬飲んでるからよ」と普通に、淡々と、会話する。母はお嫁にきたので、知り合いが誰もいない状態から、その土地の人間関係をスタートしている。だからここまでフラットに話せたのかなとも思うが、私だったらそう思えない気がする。
まあ、母の仕事ぶりを見ていると、この人ちゃんとしてる、この人ディスってはいけない人だ、という凄みは、自然と伝わっていたろうなという気もする笑

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