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ヨーコの言葉シリーズ① 「人はなんとでも言うものだからあんまり気にしなくていい」

今現在もピンピンに元気な私の母・ヨーコが世に放った言葉で印象に残っているものがいくつかあって、内省がてら綴ってみようと思う。

印象的な言葉はどれだ?と思い出したら、3つ出てきた。
意外に少ないが、出てこない物は仕方ない。

なので、このシリーズは3回で終わります。

人はなんとでも言うものだ

私は小中学生のとき、人に頼られることが多く、人の愚痴を聞くことも多く、それ自体は別に良かったしむしろ私なんかでいいならやるよという感じだった。

だが、その愚痴を聞くことすら嫌になった時期があった。
人間だからそりゃそうだ。

生徒会長とか部長とか目立つこともしてたし、英語弁論大会とか、学年で数人しか選ばれないイベントにも出させてもらっていた。

周りから、真面目なこと言っちゃってあいつさむいし恥ずかしい、と思われてるだろう節も、多少あった。
「生まれてこの方、自然に生きてるだけなのに、何をそんなバカにされる筋合いがあるのか?お前はやりもしないくせに、適当なことばっか言うなよな!」と、1人になったタイミングでブチ切れる時もあったし、母にはそんな話を聞いてもらう時もあった。

そんな時、母が言ってくれたのが
「他人はね、なんとでも言ってくるものよ。あなたが何考えてるかとか、どれだけ頑張ってるかなんてお構いなく、言ってきたりするものなのよ。だから基本的には、気にしなくていいのよ。あなたしっかりやってるじゃない」
ということだった。

なるほど、確かに、あのときやいのやいの言ってきた人たちは、単に私への愚痴やら文句を言っていただけだったので、視界に入れる必要はなかったなと思うが、生徒会長とか部長とかしていると、どうしても入れざるを得ないので、そこんとこ結構難しいのに頑張ってた気がするな、と思う。

大人になるにつれ知ったのは、誰かが自分を思って何か言ってきてくれること、その気持ちはとてもありがたい、ということだ。
取り入れるかはまた別の話だったりするが、そのお気持ちを、まずはありがたく素直に受け取る人でいたい。やいのやいの、自分や他人を無碍に傷つける人がいたら、それは違うよ、という意見を持っていたい。

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