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本当に優しい人は怒らない

私は人に対して怒ることが出来ない。
正確に言うと怒りの感情を覚えることが出来ても本人に告げることが出来ない。
単純に報復が恐いからだ。

関係値が近ければ近いほど、怒りを告げることにより更に怒りを重ねられるのではと思うと言えない。
かと言って言語化出来たとしてもそんなにご高説垂れられる身分でもないと思ってる。

多分、「どんなに簡単な言葉を使おうと話が通じない人間はこの世に存在する」という事実を、血の繋がった親に対して肌で感じたことも関係していると思う。
遺伝子を受け継いでいる家族ですら思考は分かち合えない。
いっそ赤の他人のほうが理解し合えるかと言うと、別にそうでもないと27年間生きてきて思った。

私は肉親ですら、当人に怒れない、言い換えるなら媚びへつらい、ニコニコと優しくすることしか出来ない。

「優しい人が怒ると恐い」とはよく言うが、
個人的な定義で言えば優しい人は怒らないと思う。
優しい人は「叱る」。

君のここがダメだからどう対策しよう、と諌めることはあれど、恐がらせるような「怒りかた」はしないかと思う。相手を慮り、ちゃんと嫌われる勇気を持って「叱る」人なのではと思う。

私的な目線で言うと「優しい人間」には2通りあって、
・他人を恐れてNOが言えない八方美人
・共感性が高く傷付ける覚悟で自他共に大切にできる人間

がある。
私は真に優しい人っていうのは後者の方かと思う。
(はっきり分かれてるわけじゃなくて混ざってるような人もいると思うけど……)

私は完全に前者なので大体のことは断らないし、笑顔でいて損したことがないから何があってもヘラヘラ笑っていることが多い。

人の反応が読めないから、私は言葉のキャッチボールが苦手だ。言語化が苦手過ぎてドッチボールどころかバッティングセンターになる。
だから本人には何も言わないほうがいい。
 
私は素直に本人に怒れる人のことを正直羨ましいとすら思う。
クレーマーなんかもそうだ。(あそこまで感情的に生きなくてもいいかなとは思えど)羨ましい。

それがどんなに稚拙で屁理屈で、鬱憤晴らしの間違ったことだとしても、
その場でストレートに感情を発散出来ることが羨ましい。
そしてそれを本人に伝える勇気(自己肯定感?)がある事が羨ましい。

(彼らは彼らなりに何かヒストリーがあって結果クレーマーになったのかもしれないが、)私は現状リアルタイムで当人に怒ることが出来る人間ではない。

だからうつ病になった。

「優しい人はうつ病になりやすい」とも言うが

その優しさの定義は八方美人なんじゃないだろうか。

私はあまり怒らないとよく人に言うが、言わないだけで水面下でモヤモヤしていることは多い。 

物理的なことで怒ることはないが、やっぱり一応人間なので見えないものに対して憤ることはある。

私が怒りを感じても上手く言語化出来ないパターンは大体以下の通りである。

私は八方美人であるが故に依存されやすい。
だから「自分のことを何でも受け入れてくれる」と思われがちだ。 

私は私自身のことも許容出来ていないのに、他人を許容出来る筈がない。
もし許容出来るように見えるとしたらその人が抱いている幻想か、人に興味が持てない私に対して余裕があると思われているのかもしれない。

そうして依存された人間関係が出来、よくわからないままに甘やかし、言うことを聞く。
但し私は万人に対して善人でいることは出来ない。
善人の皮を被ったピエロなので、裏から見たらギャップを感じた人は発狂することだろう。

そうして気に入らないことを私にぶつける。(素直に怒れて羨ましい)

どれも虚言だったり、事実だとしても脚色していたりするが、大体共通するのは

結局彼らは自分のことしか考えていない。

本当に私のことを思うなら言わなくていいことだってある。100歩譲って感情が昂ったとしても、やっぱりそこに私を慮る心なんて1ミリも無い。

何故かというと、そういうタイプの人間は依存先があればいいだけであって、本当は誰でもいい。

共通して私の嫌がることを覚えていない。
「辞めて欲しい」と伝えたところで覚えられない。
「自分を見てくれればなんでもいい」から興味が無いのだ。
勿論私自身に置かれている環境の背景なんて考えない。

依存している側もきっと大変な環境の中生きていると思う。
何か生きづらさがあって視野が狭まってしまい、生きづらさに起因する不器用さからそういった人間関係の構築をしてしまうのかもしれない。

ただ、それは私に対して虚言や被害妄想を膨らませて激昂していい免罪符にはならないし、私と当人の生きづらさには何の因果関係もない。

そういう人はあっさり私のもとを去っていく。
例え婚約を保留している仲であったとしても。

私は自身への存在の耐えられない軽さに対して怒りを覚えることがある。

何故周りにそういった人間が多いのかと言うと、私自身中身が無い人間だから、類が友を呼んでいるとしか思えない。

自分の中身が空っぽなのはわかっているのに、実際軽く扱われると腹が立つこの矛盾はなんなんだろう。

この辺は私が毒親育ちであることに関係していると思うが、本記事は特に深堀りしない。
ただ、そういう事実がある、というだけ。

人間関係打算が9割以上だ。

優しくされて、その実思い通りに動かなければ怒りを買って情緒をかき乱されると思うと、人間なんて信用出来る筈がない。
特に今まで費やしてきた時間と金を盾にされると本当に人として見られなくなる。

人は鏡なので、私自身の人間性の問題でもある。そこは意識して生きていきたい。

本当に打算なく親密になれる仲というのは貴重だ。

私が怒りを抱くのはほんの1例に過ぎず、全ての交流してきた人がそういったわけではない。

(少ないけど)己ではなく互いを見て尊重し合える仲の人もいるので、大事にしていきたい…

ちなみにコミュニケーションにおいて正解なんてないと思ってる。
なので異論は認める(^ω^)おっ

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