アウトサイダー・アート② ~芸術性を支える観念~
……アウトサイダー・アート①の続き
「創作」においてプロ、アマは関係あるのか
SNSや投稿サイトに提示されている作品は、プロのものではないことの方が多い。これはプロの活躍の場が、ネットよりもまだ書籍やイベントであることが関係している。
もちろんネットを介して活躍しているプロの作家や絵師、歌い手もいるが、プロへの足掛かりとしてネットで活躍している世間的にはアマチュアとみなされている「作者」が大半であると考えられる。これらネットに投稿された「作品」がテレビや書籍化されることで、世間的にプロとして認知されるようになる。
しかし、プロではないという点で言えば、ヘンリー・ダーガーだって生前は、世間的には清掃員であったわけだし、作品が他人に発見されたことをきっかけに、アーティストとして世の中で認知されたという経緯がある。このことは先ほどのプロへの足掛かりという点とよく似た状況であるが、ヘンリー・ダーガーの場合はプロへの転身を夢見ていたわけではなさそうだ。
ヘンリー・ダーガーは『非現実の王国で』が発見された際に、ネンサン・ラーナーに、処分してくれて構わないと話した、とも言われている。『非現実の王国で』は彼の人生の総決算的な創作であったようだし、作品に注ぎ込まれているものは、かなり個人的な闇の多い部分でもあるので、人に見られたくないという気持ちも理解できる。
やはりこの作品は“彼のための物語”だったのだ。
それでもヘンリー・ダーガーが「アウトサイダー・アートの王」と呼ばれるほど、この作品が評価されたことを考えると、ヘンリー・ダーガーの創作意図と「アウトサイダー・アートの王」という称号の間には、アマとプロという境界線とは、また違うなにかがある気がする。
ところでそもそも「アウトサイダー・アート」とは?
初めて「アウトサイダー・アート」という言葉を知った時、違和感を覚えた。
アートや芸術と呼ばれるものは、万人に開かれているものである、というイメージや考えがあったからだ。その万人に開かれている芸術に「アウトサイダー」という部外者を指す言葉が使われることに、反感にも似た疑問を持った。
この「アウトサイダー・アート」という言葉自体は、英国の批評家ロジャー・カーディナルが、1972年に仏語である「アート・ブリュット」という考え方について論じた『アウトサイダー・アート』という著作がきっかけとされている。
この著作でロジャー・カーディナルは、この「アート・ブリュット」という仏語を、英語で「アウトサイダー・アート」と翻訳し、この言葉を著作のタイトルとした。
つまり狭義の「アウトサイダー・アート」という言葉が示すものは、仏語「アート・ブリュット」と同義であるということだ。
それではこの「アート・ブリュット」とはどういうものなのだろうか。
現代で大成した「アート・ブリュット」という観念
この「アート・ブリュット」というものは、日本語で「生の美術」と訳されている。つまり “生粋の美術 ”という意味合いで読ませたいわけだ。
これはフランスの画家、ジャン・デュビュッフェが、第二次世界大戦が終わって間もない頃から使いはじめた独自の用語であり、ジャン・デュビュッフェは、公認の美術教育を受けていない囚人、未開人、精神障がい者、未熟な子供や老人といった人々の作品から立ち現れる、独特の存在感に心惹かれ、これを「アート・ブリュット」と名付けて、作品収集に勤しんだ。
公認の美術教育を受けていることが重要ではなく、作者の胸の内にある強烈な感情を反映して、独特の存在感を持って生み出された作品にこそ、生粋の美術性、芸術性があるということだろう。
これが「アート・ブリュット」すなわち日本語で言うところの「生の美術」であり、この観念はかなり現代においては、当然のように浸透しているように思える。
公認美術教育の逆説として
ここで言う“公認の美術教育”というのは、国家やその筋の権威によって認められた、技法や規範に沿った美術と捉えることができる。その規範の中で作られた作品が、近代においては世の中で評価されていた。
世の中で、美術を美術たらしめるために作られた権威、それによって守られた美術作品を、仮に“インサイダー・アート”とするならば、それら権威の公認を受けていない美術たちのことを、ロジャー・カーディナルは仮の“インサイダー・アート”の逆説として「アウトサイダー・アート」という言葉で、ジャン・デュビュッフェの「アート・ブリュット」、「生の美術」を持った公認外の作品について言及したのだろう。
芸術においける価値感の変化
作者の胸の内にある強烈な感情を反映して、生み出された独特の存在感を「アート・ブリュット」、「生の美術」と定義して、それらを「アウトサイダー・アート」というのならば、ヘンリー・ダーガーの『非現実の王国で』はまさに、これら定義付けされた要素の体現であると言えるし、作者にとっての作品が持つ意味とその物量を考えれば、ヘンリー・ダーガーが「アウトサイダー・アートの王」と称されるのも納得できる。
1993年、東京の世田谷美術館で、展覧会「パラレル・ヴィジョン 20世紀美術とアウトサイダー・アート」が開催され、この催しは近代美術の巨匠たちの公認美術教育が成された“インサイダー・アート”と、無名で評価がされていない「生の美術」を押し出す「アウトサイダー・アート」をパラレル、つまり並列に展示して見せるというもので、ここで「アウトサイダー・アート」が世の中に強烈なインパクトをもたらした。これを受けて「アウトサイダー・アート」は学術研究の対象としても認知されはじめ、これらに対する、公認美術教育を受けていない作品という定義が、広く世の中で作られていくことにつながった。また「アウトサイダー・アート」は芸術マーケットにおいても独特の地位を構築しているという。
「アウトサイダー・アート」がひしめく現代
近代的な権威に沿った創作よりも、現代においては「生の美術」を内蔵している作品の方が、新たな価値として世の中で重宝されやすい。それは権威による規範よりも“個性”と銘打った創作にマーケットが注目した結果でもある。
さらに言えば、誰もが考えること、思いつくことというものは、一般的なイメージに沿っており、“世間一般”という公認美術教育に代わる観念となりつつある。また誰かが考えている、すでにやっているということもこれと同様である。
また「アウトサイダー・アート」と類似して、“世間一般”から翻って生み出された作品たちが、現在ネットで提示されていると考えることができる。
それらは“個性”とひとくくりにするには、あまりにも内在している背景が濃すぎる気がする。
……アウトサイダー・アート③へ続く
参考文献
『アウトサイダー・アート入門』椹木野衣(幻冬舎新書)
『ヘンリー・ダーガー 非現実を生きる』小出由紀子(平凡社)
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