リレーする仕事
※2022年3月16日に急逝したBankART1929代表、池田修さんへのメッセージを集めたサイト「池田修への手紙」へ寄稿した内容を一部加筆+写真を加えて掲載します
自身がはじめて手弁当で企画した展覧会「Reading Room」(2005)にはじまり、ITベンチャーである日本技芸(現rakumo)勤務時代にOff Nibroll 『public=un+public』のDVD化事業(2005、これは岡崎松恵さんにご担当いただきましたが)、任意団体時代(実質ひとりだった)のノマドプロダクションとして企画した「都市との対話」(2007)、UNDER35 GALLERY「幸田千依展」(2013)など、自らの初期の活動で重要になる企画では大変お世話になりました。
「Reading Room」では、横浜の大学を卒業後、勤めていたカフェギャラリーでくすぶっていた自身の企画をいきなり共催の形式で取り上げていただき、またいつでも企画を持ってきて欲しいと運営面も含めて評価いただいたこと。「都市との対話」をうけて、翌年からまちなかである寿町を舞台に立ち上げた「KOTOBUKIクリエイティブアクション」もたくさん応援いただいて、度々ご紹介の機会もいただいたことなどが大きな自信につながりました。一方で、プロモーションや展示の方法などについて厳しくご意見をいただくこともありました。自身も頼まれ仕事が増えていく中で、近年は駆け出しの頃のオルタナティブ精神を問われることもありました。
思い返せば、BankARTの事業や自身の企画を通してだけではなく、その合間合間にたくさんのお話しを聞かせていただいたことが、自身にとって非常に重要な糧になっています。どのような考えを持ってBankARTが事業を行っているのか、横浜市や様々な現場のプレイヤーをどのように評価しているのか、などなど。自称「創造都市横浜の申し子」として仕事をしていくなかで、何事にも代え難い経験をさせていただきました。
東京や各地で仕事をするようになってからは、お訪ねする機会も減ってしまい近況をご報告することができないままのお別れとなってしまったことが悔やまれます。
ここ2年は、秋田市の駅前、城址公園の入口に位置する秋田市文化創造館の立ち上げにディレクターとして携わっていました。歴史的建造物である旧県立美術館を活用し、アートNPOが指定管理する拠点ということで、BankARTの事業や池田さんがお話しされていたことを自分なりに参照しながら取り組んでいました。行政やまちのプレイヤーと組みながら、いかにしてオルタナティブで文化的に豊かな場をつくっていくのか。BankARTのスタッフとして「Reading Room」開催当時のきっかけをつくり、一緒に伴奏してくれた芦立さやかさんも一緒でした(4月から彼女がディレクターです!)。
自身はこれまでと同様、同じ地域にとどまり続けて仕事をするという選択をすることがまだできていませんが、今後も池田さんが度々キーワードに掲げられていた「リレーする」ことの意味、重要性を考えながら自分にしかできない仕事をしていきたいと思います。ありがとうございました。
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