小さな温泉宿だからこそできること:マイノリティも楽しめる湯治場を目指して
日本にあるほとんどの温泉施設は、男湯と女湯に分かれている。
しかし、考えてみてほしい。男と女という2つの身体的な性による分類で、果たしていいのだろうか。
性・ジェンダーと温泉は、切っても切れない関係にある。
大分県・別府市で、2018年に「レインボー風呂ジェクト」という性・ジェンダーと温泉の問題について当事者と一緒に温泉に入浴しながら考えるイベントが行われた。詳しくは こちらの記事を読んでほしいのだが、かなり大胆な方法で問題提起をした画期的なイベントだったと思う。
しかし、男湯と女湯がある以上、温泉に入れない人がいることには変わりないだろう。
トランスジェンダーの人は、身体的な性に合わせれば自身の内面で苦痛を感じることになるし、性自認に合わせれば周囲の目線が気になってやはり苦痛を感じるのではないか。
エックスジェンダーの人は、そもそも性別を選択することに苦痛を感じるかもしれない。
そう思って僕は、男湯と女湯の区別をとりはらうことを考えた。
多くの人は「混浴が既にあるではないか」と思うかもしれない。
しかし、混浴では依然として問題が残る。脱衣所が男女で異なる以上、やはり性別の選択・宣言を求められる場面が残ってしまうのだ。
それに何より、混浴温泉にはさまざまな課題がある。異性の目が気になって入浴できない人もいるため、混浴温泉では女性専用風呂や女性専用時間を設けるのが主流だ。混浴をやめてしまったところもあるし、混浴の新設はできない。
あっちを立てればこっちが立たず、では意味がない。
そこで思い当たったのが「貸切風呂」だ。
家の風呂と同様、脱衣所から湯舟まで、すべてを貸し切って使用できる。
男女のカップルや夫婦でも一緒に入浴できることから、近年多くの旅館で導入が進んでいる。もちろん、一人で使っても同性同士で使っても構わない。
しかし、そうしたところの貸切風呂は高いのが常だ。
1組1時間2,000円が相場で、税別だったり45分だったりするところもある。
狭い温泉にしか入れなくて、追加料金を取られてしまうのではおちおち温泉を楽しめない。しかも、1組1回のみなんて言われてしまえば、せっかくの温泉旅行の醍醐味がなくなってしまう。
しかし、宮城県の東鳴子温泉は違う。
11ある旅館のうち6軒に泊まった人は、無料で、いつでも、何度でも使い放題の貸切風呂を備えている。
無料で、というのは追加料金なしで、ということだ。元々安い湯治宿だからありがたいことこの上ない。
いつでも、というのは夜通し入れるということだ。眠れない夜や早く起きた朝に一人でふらっと温泉に入れる喜びを想像してほしい。
何度でも、というのは1組1回などという制限がない、ということだ。風呂が空いてさえいればいつでも入れる。
貸切風呂の使い方は、宿によって異なる。札をかける、鍵をかける、スリッパを外に出して中に人がいることを示すなど、様々な方法がある。変わらないのは、貸し切って入浴している間は、他の人に邪魔されることがないということ。
誰にも邪魔されずに入浴できるのは、性的マイノリティの人たちに限らず、誰にとってもうれしいはずだ。僕もうれしい。
他人の視線が気になって入浴できない人は多い。そうした人たちにとって、貸切風呂入り放題は希望になるだろう。
彼らは温泉が苦手なのではなく、他人と温泉に入ることが苦手だったからだ。
宗教上の理由で人前で肌を晒せない人や、傷跡など見た目が理由で人前で裸になれない人、一人でゆっくりするのが好きな人など、さまざまなニーズが考えうる。
近年大きな動きを見せているのが、乳がん手術を経験した人たちの温泉利用である。
乳房を切除する手術を受けた後では、人前で裸になりづらいと思う人が多い。湯あみ着という入浴中に身に着ける服が普及しつつある。人前で身体を見せたくない人の需要は大きく、多くの温泉施設に置かれるようになったり、持ち込みが認められるようになってきた。混浴風呂にも安心して入れるという声もある。
しかし、まだまだ湯あみ着がすべての温泉で認められているわけではない。
それに、湯あみ着のレンタルや購入にはお金がかかる。
東鳴子温泉ならば、無料で、湯あみ着がなくても気楽に、温泉を楽しめる。
ここまで、貸切風呂が、いかにマイノリティが温泉を楽しむハードルを下げるかを説明してきた。
ここからは、東鳴子温泉がどんなところか紹介したい。
東鳴子温泉は、すべての宿が自家源泉・源泉かけ流しである。
つまり、どこに行っても新鮮なお湯が絶えず湯舟に注がれ、塩素臭さはまったくない。
それぞれの宿で出てくるお湯が違う。出てくる場所が違うだけではなく、お湯の性質もそれぞれに個性的だ。
緑で石油の匂いがする源泉が湧く隣で、黒くて雨の日の森の香りがするお湯が出ている。何軒か先には茶色で木材のアロマ漂う温泉もある。
こんな温泉地を、僕はほかに知らない。徒歩圏内に11の宿がぎゅっと集まり、しかもそれぞれの温泉がまったく異なっているのだ。
しかも、貸切風呂をそなえた6軒の宿はそろって料金が安い。素泊まりなら4~6千円くらいで泊まれる。ビジホと変わらない値段で温泉入り放題なのだから驚くべきことである。
これが安く長く滞在することを目的とした「湯治宿」の最大の魅力だ。家族ぐるみのあたたかいおもてなしを受けられるのもうれしい。どこも小さな宿なので、何回か行けば顔を覚えてくれるはずだ。
「湯治」とは伝統的には、農閑期に農民漁民が家財道具を持ち込んで温泉地で2~3週間ほどの保養・療養をする習慣をいった。
しかし現代にあってそんなに長い休みをとれる人は存在しない。
たとえ1泊でも、ふだんと違う環境で、温泉につかって、美味しいご飯を食べたら、忙しい現代人にとってはそれだけでも十分な保養となりうる。2泊、3泊すれば申し分ない。
東鳴子温泉は仙台駅から高速バスで1時間半・1,200円で行ける。駅とバス停は温泉街の真ん中にあり、コンビニもドラッグストアもある。ほどよく便利で、ほどよく日常から離れている。
そんな東鳴子温泉と隣の川渡温泉で、9月23日(月祝)から29日(日)にかけて「湯治ウィーク」が行われる。毎日様々なイベントが行われ、温泉街総出で湯治客を歓迎する。
その機会に合わせて、マイノリティでも誰でも、一人で気ままに温泉を楽しめる魅力を多くの人に知ってもらいたいと僕は考えた。
それが「ひとにやさしい温泉地プロジェクト」である。
実はこのプロジェクトは、何か特別なことをするわけではない。6軒の温泉宿ならば、人目が気になってこれまで温泉に入れなかった人も温泉を楽しめますよ、と伝えるだけだ。
特別扱いや要らぬ気遣いはない。もちろん、人目が気になる理由を説明する必要もない。ただ一人で温泉に入りたくなったら、貸切風呂にタオルをもって行くだけでいい。
湯治宿は安く泊まるために最低限の設備しかもたない。男女で異なる浴衣やアメニティを置くことはない。
家族経営の小さな宿が多いので電話予約が確実だ。ネット予約と違い、電話予約で性別を聞かれることはない。
湯治宿はある意味で、ジェンダーフリーな空間となりうるかもしれない。
一人でじっくりお湯に浸かりたい人なら、東鳴子の家族風呂はみんな嬉しい。
それをこの1週間で知ってほしい。ただそれだけのことだ。
ただそれだけのこと、ではあるが、準備は丁寧に進めていこうと思っている。
これをきっかけに東鳴子温泉に行ってみようか、久しぶりに温泉に行けるかもしれない、と思った方は、それぞれの旅館に問合せてほしい。いつでも・誰でも歓迎してくれるだろう。もちろん一人客を拒むこともない。
身分の貴賤なく農民漁民たちが心身の疲れを湯に流してきた湯治場の伝統が、東鳴子温泉には息づいている。
<9/18加筆>
・環境省「チーム 新・湯治」コンテンツモデル調査に採択されました。
湯治ウィーク期間にご宿泊いただいた方には、アンケートのご協力をお願いいたします。
・当日配布するパンフレットが完成しました。
画像はどうぞご自由にお使いください。
→裏面に何ヶ所か間違いがあったため、差し替えました(9/30)。
<ひとにやさしい温泉地プロジェクト 協力旅館>※順不同
・阿部旅館:0229-83-2053
母娘で切り盛りする家庭的な宿。2種類の源泉。食事も人気
・いさぜん旅館:0229-83-3448
昭和レトロな湯治宿。3種類の源泉。猫と阪神タイガースグッズ
・高友旅館:0229-83-3170
大正レトロなワンダーランド。名物黒湯ほか4種の源泉
・初音旅館:0229-83-2166
大正レトロで家庭的な宿。3種の源泉。素泊まりのみ
・馬場温泉:0229-83-3378
家庭的なぬくもりある木造りの宿。2種の黒湯
・旅館大沼:0229-83-3052
ミシュラン掲載の湯治宿。2つの源泉7種のお風呂。設備が充実
<9/27追記>
河北新報に掲載されました。
※「無料で、いつでも、何度でも」貸切風呂が利用できるのはご宿泊いただいた方に限ります。一部旅館では日帰り入浴でも貸切風呂が利用できますが、混雑や清掃等のため利用できない可能性もありますことを、ご了承ください。
<9/30追記>
パンフレットを再度修正しました。なお、パンフレットの情報は9月現在のものですので、最新の情報は各旅館でご確認ください。