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頑張る気持ちが芽生える観光名所!いちき串木野市羽島の『薩摩藩英国留学生記念館』

こちらの羽島noteの記事をご覧いただき、ありがとうございます。

こちらの羽島noteの記事では、鹿児島県いちき串木野市の羽島にある『薩摩藩英国留学生記念館』を観光名所として紹介します。

薩摩藩英国留学生記念館は、日本を良くするために、見たこともない外国へ勇気を出して旅立った、日本の留学生達や旅の記録を紹介する施設です。

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そもそも薩摩藩英国留学生とは?

薩摩藩英国留学生(さつまはんえいこくりゅうがくせい)とは、1865年、江戸時代が終わろうとしていた時に、いちき串木野市の羽島からイギリスへ向けて旅立った19名の薩摩藩士(鹿児島の侍)のことです。

イギリスの人たちからは、「薩摩スチューデント」と呼ばれていました。

なぜ、鹿児島の侍達が留学生として、遠いイギリスに旅立つことになったのか?

その理由を次の項目から順番に説明していきます。

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ひとつの悲惨な事件がイギリスへの留学のきっかけに

横浜にある生麦村という村で発生した「生麦事件」が、薩摩英国留学生がイギリスに旅立つことになったきっかけです。

生麦事件は、横浜の生麦村にて

・馬に乗って散歩中のイギリス人4人
・江戸から薩摩(鹿児島)に帰る途中の侍の行列

が、はちあわせてしまったことで発生しました。

当時の日本には「侍の行列を乱してはいけない」というルールがありました。

しかし、そのルールをイギリス人は知らなかったのです。

馬に乗って散歩中のイギリス人が、侍の行列に割り込んでしまいました。

すると、侍は『無礼者!』とイギリス人を刀で斬りつけてしまうのです。

斬りつけられた傷が致命傷となり、イギリス人4人のうち1人が命を落としてしまいました。

イギリスは日本の幕府(当時、日本をまとめていた人たち)に対して、

・お金を支払うこと
・イギリス人を殺傷した日本人を差し出すこと

を要求しました。

日本の幕府は、1つめの要求には応じてお金は支払いました。

しかし、薩摩藩(今の鹿児島県)は、

『侍の行列に割り込んできたイギリス人たちが悪い!』

の一点張りで、お金を支払うことも、イギリス人を殺傷した日本人を差し出すこともしませんでした。

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薩英戦争という争いを通じてイギリスに興味を持った日本

薩摩藩からの対応を受けて、イギリスは、薩摩藩と直接話をするために、7隻の船で鹿児島湾にやってきました。

イギリスは、話し合いをするために鹿児島湾に船で来ましたが、薩摩藩はなかなか話を聞いてくれません。

しびれを切らして怒ったイギリスは、薩摩藩が大事にしている3隻の船を捕まえます。

それに怒った薩摩藩は、イギリスの船に向かって攻撃をしかけてしまい、薩英戦争が起こってしまったのです。

薩英戦争の結果は、引き分けでした。

イギリス側はたくさんの犠牲者を出してしまい、薩摩藩側は砲台や城下町が焼かれてしまいました。

お互いの力を知ったイギリスと薩摩藩は、薩英戦争の後に何度も話し合いを重ねることで、段々と仲良くなっていきます。

薩英戦争を通じて、

『イギリスの強さの秘密を知りたい!』

と思った薩摩藩は、

『薩摩の侍達をイギリスで勉強させてくれないか?』

と、イギリスに持ち掛けます。

イギリス側は、

『ここで日本と外交を結んでおけば、イギリスに利益が生まれるかもしれない。』

と思い、薩摩藩側の要求を受けます。

生麦事件・薩英戦争を通じて、イギリスに留学する機会と薩摩藩英国留学生は生まれました。

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薩摩藩英国留学生のメンバーとは

薩摩藩英国留学生のメンバーは、外国のことを勉強する学校に通っていた人たちの中から選ばれました。

薩摩藩英国留学生の年齢は、13~32歳とばらつきがあり、薩摩藩英国留学生の人数は19名です。

薩摩藩英国留学生のメンバーの留学に対する思いは、

・森有礼氏(当時17歳)…「外国に興味があったから早く行きたい!」
・畠山義成氏(当時22歳)…「外国なんて行きたくないなぁ」

など、様々だったそうです。

イギリスへ留学するメンバーは決まりましたが、当時の日本では外国に自由に行くことが禁止されていました。

そのため、イギリスへの旅は、幕府にバレないように

・「奄美大島と甑島へ行くように」と書かれたウソの渡航辞令書を使用
・薩摩藩の侍がイギリスに行ったことがバレないように偽名を使用

などの手段を用いて「秘密の密航」という形で行われたのです。

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イギリスに密航する滞在場所に羽島が選ばれた

目立つ場所の鹿児島湾から、イギリスに密航すると、幕府にバレてしまう可能性があります。

万が一、幕府にイギリスへの密航がバレてしまった場合は、重い刑罰が課せられてしまうのです。

そのため、イギリスに密航するための滞在場所として、いちき串木野市の羽島が選ばれました。

なぜなら、いちき串木野市の羽島は、

・周りが山に囲まれているため、人目につきにくい場所である
・ウソの渡航辞令書の「甑島」が近いため、怪しまれない
・長崎からやってくるイギリス行きの船が立ち寄りやすい

などの理由で密航がしやすい場所だからです。

いちき串木野市の羽島に到着した薩摩藩留学生達は、羽島の住民にお世話になり英語の勉強をしながら2か月間、イギリス行きの船を待ちました。

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イギリスに到着するまでの65日間の船旅は苦労の連続

薩摩藩留学生達がいちき串木野市の羽島に滞在して、2か月後にイギリス行きの船が到着します。

イギリスに到着するまでの65日間の船旅は、

・船に乗り込む前に『武士の魂』である刀をイギリスに没収される

・『不思議な髪形だなぁ』というイギリス人からの視線を気にして、チョンマゲを切る

・船酔いで気分が悪くなり、嘔吐のオンパレード

・船の食事で牛の肉を出されても、今まで牛の肉を食べたことがなく食べられないため、米とみかんくらいしか食べることができない

・五代友厚氏は、船のトイレで初めて洋式の便器を見た時に、便器を洗面器と勘違いして顔を洗ってしまう

(この黒歴史同然であるエピソードは、他の留学生に知られて記録として残されたため、世代を越えていじられてしまうことになる。そして、この記事でも記録として残されてしまうのである。)

など、苦労の連続だったそうです。

そんな苦労を抱えながらも、薩摩藩英国留学生達は船旅でさまざまな国に立ち寄り、今までの日本にはなかった

・アイスクリーム、パイナップル、紅茶などの食べ物や飲み物
・洋服
・西洋の技術や機械

などに触れて新しい経験をします。

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五代友厚氏が、筆者に対して『余計なエピソードを紹介しないように。』と、にらみつけているかのように感じてしまうのは、きっと気のせいです。

薩摩藩英国留学生の日本での活躍

海外でさまざまな経験をした薩摩藩留学生達は、日本に戻ってから、留学の経験を日本に生かして、日本を良くするためにそれぞれ動き出します。

・森有礼氏…日本の教育制度を整えるために、初代文化大臣に就任

・村橋久成氏…「ビール工場を作るなら、東京よりも北海道の方が立地的に向いている!」とサッポロビール設立に力を注ぐ

・寺島宗則氏…遠く離れた場所の人にも連絡が行えるように、町中に電線を通す

・町田久成氏…日本の文化財を残す場所を作るために、東京国立博物館を設立し、初代館長に就任

・五代友厚氏…外国と日本をつなぐために、外国と日本の通訳を行い、外交官に就任

・畠山義成氏…現在の東京大学である東京開成学校の初代校長に就任

・長沢鼎氏…留学生の中で唯一日本に帰らず、ブドウ作りのプロになり、ワイナリーの経営者に就任

など、薩摩藩英国留学生の活躍のおかげで、日本の今があるということがうかがえます。

薩摩藩英国留学生が海外で経験したことを日本に取り入れたため、日本はさまざまな外国の文化を取り入れることができたのです。

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薩摩藩英国留学生記念館の中にはカフェがある

薩摩藩英国留学生記念館の中には、『セント・キャサリンカフェ』というカフェがあります。

セント・キャサリンカフェは、海を眺めながら、

・ドリンク
・食事
・スイーツ

を楽しむことができるお店です。

薩摩藩英国留学生記念館ではおみやげを買うことができる

薩摩藩英国留学生記念館の受付前には、おみやげコーナーがあります。

・いちき串木野市名物の「まぐろラーメン」
・鹿児島独特の甘めの醤油

などを販売しているので、観光名所として薩摩藩英国留学生記念館を訪れた後におみやげを買うことができて便利です。

関西の友人に、いちき串木野市の名物を味わってほしかったので、薩摩藩英国留学生記念館で購入した贈り物を届けました。

『まぐろラーメンは、今まで食べたインスタントラーメンの中で一番美味しい!』

と、ご家族で喜びの声を頂きました(笑)

薩摩藩英国留学生記念館のまとめ

薩摩藩英国留学生記念館は、日本のために見たことがない外国へ旅立った留学生達の活躍や勇気を知ることができる観光名所です。

こちらの記事で紹介した出来事の実際の資料や写真などを、薩摩藩英国留学生記念館では見ることができます。

また、案内人の方による丁寧な説明を受けることができるため、より詳しく薩摩藩留学生達の活躍を知ることができます。

以前、関西と関東から羽島に遊びに来た友人と一緒に薩摩藩英国留学生記念館を観光名所として案内しました。

案内人の方による説明を受けて、友人達は

『まるで一本の映画を見たかのように感動した!』

と感想を述べていました。

薩摩藩英国留学生達が留学するきっかけは、争いごとが原因でした。

一時期、争いごとを通じてお互いを憎み合っていたイギリスと薩摩藩は、相手のことを知り、分かり合う努力をしたため、世代を越えて称えられる結果を残すことができたのです。

『もう二度と、産まれ故郷である鹿児島に戻ってくることはできないかもしれない。』

という不安を抱きながらも、日本を良くするために海外に旅立った過程や記録を薩摩藩英国留学生記念館で学ぶことで、勇気をもらうことができます。

そして、誰かのために勇気を出して頑張る大切さも学ぶことができるでしょう。

薩摩藩英国留学生記念館の案内人の方々は、いちき串木野市の羽島や薩摩藩英国留学生の素晴らしさを伝えるために、一生懸命に説明をしてくださいます。

いちき串木野市の観光名所をお探しの方は、ぜひ『薩摩藩英国留学生記念館』を訪れてみてくださいね。

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先日、鹿児島に留学して専門学校で勉強中の外国の方々が、薩摩藩英国留学生記念館を訪れているのを目の当たりにしました。

様々な国の方が、いちき串木野市羽島の海を楽しんでいる様子を見ると嬉しい気持ちになりますね。

もし、生麦事件・薩英戦争の時に、イギリスと薩摩がどちらかを許さずに今も争いが続いていたとしたら、この光景も今に日本も無かったかもしれません。

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薩摩藩英国留学生記念館へのアクセス

観光名所である薩摩藩英国留学生記念館は、いちき串木野市と薩摩川内市を結ぶ43号線沿いを海沿いに走った途中にあります。

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車の駐車スペースは車10台分ほどあります。

駐車場には、誘導係の方がおられるので駐車をする時に安心して駐車を行えます。

車以外にも、ロードバイク、バイクなど趣味に応じて東シナ海沿いを走って様々な方が来られます。


住所:〒896−006 鹿児島県いちき串木野市羽島4930
薩摩藩英国留学生記念館 
営業時間11:00~17:00
定休日:火曜日(火曜日が祝日の場合は、翌日)
観覧料:大人(中高生以上)300円、小人(小学生・中学生)200円
※未就学児は無料
※団体割引(20名以上)
※障がい者手帳をお持ちの方は、一律50円引き
※年間パスポートあり
TEL 0996351865
FAX 0996351105
E-mail info@ssmuseum.jp
Webサイト


上の記事では、他の鹿児島県いちき串木野市羽島の観光名所をまとめています。

他の観光名所も気になる方はぜひ参考にされてください。


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by Hideki

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