『淡島百景』最終5巻のクライマックスに泣く
志村貴子『淡島百景』全5巻読了。
連載は13年前から続いていたらしく、最終5巻は今年5月発売。新潟日報日曜の書評欄で読んで即買いした。
宝塚歌劇団とその音楽学校をモデルにした「淡島歌劇学校」が舞台の群像劇。1話ごとに新しい登場人物が短編の主役となり、そのうち登場人物たちの関係が分かるようになって…という『フィフティ・ピープル』スタイル。他に言い方ないのか。
人の名前を覚えるのが超苦手なので、理解度は半分くらいで読み進むのだけど、段々エピソードが重なるにつれてビジュアルで憶えられるようになってくる。
同じヅカものでも大!大好きな『かげきしょうじょ!!』に比べ、ずっと、かなり、辛い展開が多い。妬みとそねみとイジメと後悔と、取り返しのつかない間違い。
これが、最終5巻の中盤からとんでもない胸アツ展開になっていく。
現実とフィクションがない交ぜになり、あの問題について、未来を見据えて少しずつ進んでいく姿が描かれる。訳のわかんない感情が入り交じって泣けて泣けてしょうがなかった。
あとがきによれば、この展開は昨年のあの宝塚報道の前から構想されていたのだけど、そのうちに事件が起こってしまい、作者も悩んで、事件の後はしばらく何もできなくなったらしい。
(あれはちょうど娘の先輩が本科に上がる頃、これからやっと、という矢先の出来事でもあった)
皆が本当に心を痛めたあの事件に、作品が乗っかるような形になってしまって良いのか…
作者の恐らくとてつもない葛藤の結果出来あがった本作のクライマックスは、そのまま当作を発表すること、創作物を世に出すことの苦しみが、フィクションの中で幾重にも同時並行で描かれる大傑作になった。
「淡島に未来を見たかった」という作者と登場人物の言葉。
どうか今後、よりよき方に進んでいきますように。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?