大久保寛司の「あり方塾」@東京7期#2ゲストが4人!!!! ②石原ゆり奈さん
ラオスで障がい者支援
(寛司)続いては、石原ゆり奈さん、どうぞ。この方もオモシロイ。
まず自己紹介からお願いね。
(ゆり奈)はい、私は東南アジアのラオスで、手や足に障がいのある子たちの作業所をしています。最初は、ラオスとネパールで、学校が足りないところに学校をつくるというお仕事を自分で立ち上げてやっていたんですが、いざ、学校を作っても健常の子たちしか来れないんです。足が悪いと歩いて来れない。日本のように道が舗装されていないし、バスもないし、ちっちゃい時にポリオにかかって足が動かなくなり、車いすになった子たちが、毎日一時間半かけて学校に来るのは難しくてね。
そうすると、結局、親御さんとか親戚とかとしか関われない人生になっちゃうから「何とかしようね」と当事者の子たちと話し合って、みんなが自立して働けるようになりたいってことになり、
(寛司)作業所で作った商品を購入して、その売り上げを彼らに渡しているの?
(ゆり奈)そうですね。活動を続けてきて彼らが、顕著に変わったなと思ったのは、彼ら自身が「自分が、支える側になれた」ということ。作業所に来ることで、親に少額でも仕送りできるようになったんです。離れて暮らす親や兄弟に、お金やプレゼントを送れるようになった時に、人は成長するなと思って、やってよかったなぁと。
(寛司)作業所は何人くらい?
(ゆり奈)登録は50人くらいで、実際に作業所に来るのは35人くらいかなぁ。
目指すのは、当事者の自立
(寛司)大変なことも多いと思うけど、3つくらい、教えてくれる?
(ゆり奈)ラオスは福祉の仕組みがないんです。だから作業所が出来たというとみんなが来ちゃう。最初、5人位だったらいいなと思ったら、気づくと10人、20人とどんどん増えていて…みんな、何か出来るようになりたいって気持ちがあって、あまりにも来ちゃって、どうやって仕事を生み出していこうと悩みました。来るのは、20歳から40歳くらいまでです。現地では、ハンデのある人たちに仕事の場を与えているところは、本当に少ないんです。それも、作業所に人が集中する理由かもしれません。
でね、私は、彼らの中からリーダーを育てたいんです。ラオスに福祉の法律ができる時に、真ん中にいて発言してほしいと思っているので、彼らに外の世界を見せて、どういう福祉にしていきたいかを考えられるようにしなくてはいけない、ということを遠いゴールにおいています。
(寛司)彼女は、発展途上国でハンデのある人への支援で一番大事な事をしているんですね。手に職をつけさせて、彼らが自立できるようにすること。日本でお金を集めて、それを送っても彼らは育たない、それでは、未来永劫持続できないんです。ビジネスモデルを作らないといけない。そのモデルを作るってことは、なかなか普通には出来ないですよね。
(ゆり奈)モノづくりの常識って、日本と世界は相当違うんです。現地のみんなは、そもそも出来上がった製品を見たことがないから、正解を知らない。私たち日本人は買い物にも普通に行くから、例えば、かばんの形やファスナーの位置も知っているけど、彼らはその形はもとより、なぜ作るのかがわからないから説明しなくちゃいけないんです。
大事にしていること
(寛司)説明しても理解できないのでは?
(ゆり奈)時間がかかることもあるけれど、作った製品がショップで売れたり、喜んでもらったことをフィードバックしていくと、結果が見えるので、自分がやっているという「当事者感」を持てるようになって、これは大事だなと。
(寛司)今のは「ビジネスの基本」だね。ものを作って売るという作業では、実は、作っている人に顧客設定がない上に、お客さんからの喜びがダイレクトに伝わってないってことがよくあるんです。現場で売っている人が顧客からもらった喜びを、いかに、作っている人に伝えるか、それをやっているんだね。
(ゆり奈)そうですね。作業所で仕立て作業をする人にもそうしているし、素材の部分、布を織ったり染めたりは田舎の少数民族の方々が担当しているので、ラオスの中で完結できるようにも努めてます。
(寛司)さらっといったけど、色々な要素がある中で、それをとりまとめているの?
(ゆり奈)そうですね。説明は時間がかかるけど、有機栽培で綿花を育てて、手でねじねじと糸にして、藍や草木染して、それをカッタンコットンと機織りできる人がいる。タイやベトナムでは国が発展してきて合理的な機械織が増えているけど、ラオスはまだ、最後の秘境と言われるくらいのんびりしているから出来るんです。1周回って最先端と言えるかも(笑)自然で有機です。
(寛司)僕も1枚持っているんだけど、手紡ぎのコットンの藍染で、ラオスの工房で「カッタンコットン」でつくったもの。藍は、消臭効果や除菌効果もあるし、日焼け止め効果もあるから、昔は農作業でも人は藍を身に着けていたんだよね。タイやベトナムでも昔はやっていたけどね。これをあと10年残せたら、ラオスだけでしか作れないものになるんじゃないかな。そして障害のある子どもたちが、こうした素材でバッグやワンピースなどの製品を作っている。民族のお母さんたちを守りながら、障害のある子どもたちも守る。そういうことを彼女はやっているんです。
日本ではもう作れないんだけど、ラオスでは原材料から育てられる。それに機械でやるのと手でやるのはやっぱり違うわけ。手でやるのには手のエネルギーが入る。寿司もおにぎりもそうでしょ。手のエネルギーが入ると、美味しくなる。これが、ある意味最先端なんだよね。今の作り方を維持してほしい。独自性だから…それこそが強みになる。
「やる」か「超やる」しかない
(ゆり奈)そこを何とかしたいんだけど、2つ目の大変は「コロナ」だったんです。それまでは製品を、フランスやアフリカからのんびりしに来てくださる方などに買ってもらっていたのに、コロナで4年間人が入って来なかったので、売れないわけです。すると村のお母さんたちの仕事が守れない。だから2020年の4月から5月は本当に困った。そこで6月から「ラオス展」という販売会をやるようになった。既に22都道府県で行いましたが、これは本当に大変だった。
(寛司)もうお手上げで、万歳したくならなかった?
(ゆり奈)えっと、それはなかったかな。生活は365日続くじゃないですか。やらないとかない。やるか、超やるかしかない。
(寛司)やめるってことを考えてないんだね。(前回ゲストの)加藤南美も全く同じ。あきらめるって考えたことない。ひたすら前に進む。どうやったら前に進むかを考える。
私たちが要らなくなるために…
(ゆり奈)困ったからって、日本と違って、国から助成金などは出ないんですね。さらに「ラオス展」は2人でやっていたけど、今はひとりで、手伝ってもらいながらやっている。
今の体制は、日本で活動に関わってくれる人が10人くらい。ラオスにはリーダーはいるけれど専従は2人だけ。実質一人で回している感じです。
ただ、私たちが要らなくなることがゴールだから、要らなくなったら、さくっと撤退したい。ずっと居続けたら、現場は育たないですからね。
そして、3つ目の大変。コロナを乗り越えラオス展をやって…その先のことです。いずれラオスの子たちに、活動をやってもらいたいと思っているから、先日現地から車いすの人を含めて3人、日本に連れてきました。
車いすは色々と大変だったけど、旭川(北海道)では、雪も見たし、ホッキョクグマも見たし、ペンギンの散歩も見ました。そして色々な福祉事業所を見学しました。私としては、ラオスに何が必要なのかを、体感してほしくて見てもらったんですね。その中で、彼らが一番、びっくりしたのは障がい者用トイレがきれいな事だった。ラオスと日本の違い。人としての尊厳を維持することが大事なんだと気付かされました。
(寛司)どうですか皆さん、彼女は、今もベストを尽くしているけど、無茶苦茶将来を見ている。スゴイ先を見ている。自分たちがいなくなっても存続できる場を創るという発想。
(ゆり奈)私は組織を大きくすることは考えていないんです。だって10年、20年経てば、ニーズは変わる。もしかしたら義足などが発展したり再生医療も発展するかもしれない。そうすると、その時に必要な支援は、その時に必要なことを提供できる人がやればいい。
今日より明日がよくなると信じている
(寛司)手や足が不自由な子たちの、日頃の表情はどう?
(ゆり奈)うちの子たちは、心が超健康。手がなくても、足が動く。必死になって生きている人が多いですね。
(寛司)かたや五体満足でもね・・・足りないところだけ見ているのか、足りているところを見るかで、まるで人生が変わる。東南アジアの厳しい環境で、かつ、自分の身体のコンディションが厳しい人たちが、満面の笑みで暮らしているんだよ。
(ゆり奈)彼らは、今日より明日がよくなると信じている。だからニコニコしている。
作業所のメンバーの中でも、出産したいという夢を叶えたいと強く希望して、子どもを持った人もいる。そういう出来事に、ハッとさせられます。コンビニもスーパーも、学校も、保険もあって・・・そんな暮らしをしているのに、なぜ、日本の人たちは幸せに見えないのか。
(寛司)確かに日本は色々な面で恵まれている。ここがポイント。「恵まれているという厳しい環境」にあるってこと。恵まれているということがわからなくなっている。それこそがチャンスとは思えないし、言えないのではないかな。
自然って理不尽ですね。そういう中で自然に合わせて生きているから、ラオスの人たちは幸せなのかな。
(ゆり奈)手紬コットンで7500円。10年後にこれがあり続けるために「布と言えばやっぱりラオスだね」と原点回帰していくために、これを守っていかなくてはいけないと思っている。そして、製品を売ったり、よさを広めることは日本にいる私たちの方が向いている。
活動をはじめたきっかけ
(寛司)ところで、最初からラオスで活動していたんだっけ?
(ゆり奈)最初はネパールで学校を作ったんです。ネパールはカースト制が残っていて、女の子が大変。人身売買がある。観光産業はあるけれど、政治が混とんとしていて支援慣れしているようなところも正直感じられる。私は、地震で義援金が集まって、本質的な話が出来なくなったので、ラオスの教育支援にバランスを移していったんです。
ラオスの人たちは穏やかで、日本人に近い気がして私には心地よかったんですね。ラオスはのほほんとしていて、大きい産業もなく、海がないから経済的な発展は難しいんだけど、人の良さとか自然の持つパワーはピカイチだと思っている。「めちゃめちゃすごい」って、外の人が認めて言っていかないと。パリでアジアの藍染はとても人気なので、それをラオスの人たちに伝えている。
(寛司)義援金の難しさは確かにあるね。お金は人を壊す。お金をその人たちが育つことに使えばいいんだけど、食べ物を買ってくることに使ってしまう。そうすると、自立出来なくなってしまう。日本でも3.11の時にあったね。人間をどんどん腐らせてしまう。さらに大きな団体の場合は、人件費に消えていく。僕は顔の見える団体に支援するようにしている。
(ゆり奈)お金のある人たちは、現地で体験して、村人と対話してくれたらいいのかな?
でもね…汚れた心の人は足を運ばないんですよ。私は、汚れた心を洗ってほしいと思うんですけどね(笑)
(寛司)「必要な人ほど、必要な話は聞かない。」そんなものだね。僕は色々な企業でリーダー研修やるけど、「あの人ほど必要」っていう人が出てこない。「俺は出来ている」と思っている。逆に、出来ている人ほど、もっと学ぼうとする。
(ゆり奈)若い時に、大きな会社に事業の説明に行った際に「なんでそんなことやってんの?」っていうおじさんたちがいた。高いステイタスのおじさんたちが、20代の私にマウントを取りに来る状況に「この人たち、幸せじゃないなぁ」と思ったんです。「なぜあなたの心は、そんなに揺れてるんですか?」って疑問を持った。
(寛司)それなりのステイタスのおじさんたちを見て、かわいそうだなぁと思えたのは、どのくらいの時?
心の純度を上げた小学生時代の体験
(ゆり奈)ええっと、実は約10年前に寛司さんに「間や余白が大事だよ」と言われて、最近自分のことを振りかえる機会があって、気づいたことがあるんです。子どもの頃、自分の核を作った出来事があったなと。そのきっかけになったのは、軽度の知的障害のあるしょうくんという存在でした。
小学校6年生の時に、学校帰りにしょうくんがいじめられているのを見て、どうしてかな?と思って周りの大人たちの様子を見たら「しょうくんのお母さんが煙草を吸っていたからだ・・・」なんて言っていて、これはおかしいなと。そんな話が、何を幸せにするのか?日本の大人っていやだなぁ、納得いかないと思った。悪口言ってることに時間を作るなんてナンセンスだと。
もうひとり、小学校の時、Mちゃんというちょっと変わった友達がいて、クラスでもちょっといじめられていたんです。私は全く気にしていてなかったんだけど、Mちゃんのママは、中州(博多)で働いていたんですね。それで、そこでも周りが家庭環境の悪口を言ったり、いじめたりする精神性に疑いをもったんです。
Mちゃんは、居心地が悪いのか学校にあまり行かず、我が家によく来てました。中学校は別になったけど、中2の時にMちゃんが急にやってきて、私の母にお礼を言いに来たんです。その時に思ったんです。受け入れてくれる場所があることって、大きいんだなぁって。
そういうことから、根本を解決するために必要な事、言い換えれば、心の純度を上げるために必要な事は、大体、小学生くらいに培われた気がする。中高時代には、ボランティア活動に参加する機会が多かった。そこで学んだことも大きい。「なぜなぜどうして?」の根本になっている。
(寛司)同じ環境でもどう捉えるかは、その人次第なんです。だから、自分はそういう環境になかったから、そういうことを育めなかったと思う必要はない。実はどんな環境にいても、育む人は育むんです。ゆり奈さんの場合は、そういう場を与えられて、それを見事に吸収している。
(ゆり奈)子どもの時の体験って、その時に、何を感じたかとかなんて、昔は深く考えてなかったけど、今になって、これだけ豊かな国で、どれだけひとりひとりが自分の人生を生きられるか、課題に立ち止まっているんだろうなと思っていて、その答えは、自分の人生の中にきっとあるんだろうと思ってます。
(寛司)恵まれた国でも、不平不満を持つ人と、同じ環境でこれだけの感覚と感性を持つ人がいる。実に面白いね。
(ゆり奈)良し悪しはあるとは思っていて、自分の好きに生きてきたから、私はなんの悔いもないけれど、前ばっかり見ているから、後ろをみるってのは、こういう機会がないとやらなかったりする。次をどう良くしていくかということが興味の中心なので、こうやって振り返る時間も重要ですね。
おまけ?寛司さんのスピーチレッスン
(寛司)ゆり奈さんとの出会いは確か、石坂産業でゲスト講師として3人で登壇した時だね。活動はネットで知ってたけど、まあ、よく喋るなぁという印象で・・・それで申し上げたんですよね。トータルで情報量を半分にしなさいと。半分にした方が2倍伝わるよ、と。
(ゆり奈)世の中に「間」ってあるんだ、と気づいた。
(寛司)スピーチ力、伝える力ってすごく大事なんです。良くも悪くもヒットラーってスピーチの達人だし、ケネディもオバマもそうですが、実はスピーチは人を動かすんです。だから私は、スピーチ力っていうのはやはり、持ってた方がいいと思っています。
本当に伝わる話し方にはいくつかコツがある。ひとつはゆっくり話す。伝えることばの情報量を限りなく選択して絞っていく。そして、もうひとつはですね。肝心なことをいう時に、小さい声でしゃべる!ということ。
ゆっくり話す、間を置く、大事なことは小さい声で。知らないうちに僕はやっていたんです。植物の水やりと一緒です。ゆっくりやると、水やりも浸透するでしょ。
僕のスピーチ指導は、スライド一枚、フォントのサイズまで見る。その気になったら、細かい。伝えるためには必要だからね。著名で活躍している方にもよくアドバイスしているけれど、皆さん、スピーチ力が上がりました。
想いは、伝えないとね。伝わらなかったら、伝えてないのと同じ。そして、勘違いされてしまうのも、伝えてないのと同じこと。上手に話す必要はないけど、伝える力は身に着けた方がいい。トレーニングすれば、ある程度まではいく。プロになるかどうかは別ですけど。
伝えるためにはやはり工夫すべきだと思ってます。繰り返しますが、大事なのは「間」ですね。伝えたいことは「間」で浸透していく。これは、自分のスピーチがなぜ伝わるのかを客観的に分析した結果、わかったんです。
(ゆり奈)どうしたら「間」が取れるようになりますか?人間性を高めることですか?
(寛司)そうかもしれませんね(笑)。「間」を置くというのは、ひとつのHOWTOだけど、ぜひ、身に着けてほしいですね。私は小学校の時に、落語をしょっちゅう聞いていまして、親戚からつけられたあだ名は「じいさん」で、不思議と「オチが分かる」子どもだった。これを積み重ねたのかな。話がうまい人は落語を聞いた人が多い。これなら努力で何とかなるかな。
石原ゆり奈さんの活動は、こちらのHPをご覧ください
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