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「残酷なまでの主観」とは
「残酷なまでの主観」
ちょっと強い「ことば」だが、福山雅治さんの「ことば」で、ラジオで聴いていて心に刺さったので、ついついメモ魔なのでね、書き留めておいた。
自身のライブフィルム(映画)を作った時のエピソードの中で出てきた「ことば」で…雅治さんって、映像で自分を振り返ったり、編集したりする時に
「圧倒的メタ認知」で自分を眺めて、ダメだししたり確認したりすることが出来るそう。
自己成長のためには、この圧倒的メタ認知力=「残酷なまでの主観」があることは確かに力になる。
けれど…私が感じるのは「苦み」の方が強いかなぁ。
次元の差はともかくとして、自分の考えや行動を、ある程度「俯瞰」で観ることは、振り返りには必要なスキルだと思っていて、基本的には今でも出来る限り、実践している。もはや昔からの習性だ・・・というのも、アナウンサー時代は、中継から帰ると、荷物を降ろしてすぐに、まずは「プレビュー」(収録した内容・番組を再生)して、振り返る。ここまでやるのが仕事だと教えられ、どんなに疲れていても、その日のうちにやると決めていた。
この「プレビュー」作業は、最初は本当にイヤでイヤでたまらなかった。ダメなことしか目に入ってこないし、ふるまい、話しぶり、あちゃー💦💦と、反省ばかり。それでも不思議なもので、回を重ねていくと、自分を客観的に見られるようになっていく。「恥ずかしい」とか「どうしよう」などの感情から、とってもクールに「この話しぶりだと、緩急がたりないから印象に残らないんだな」とか、「この動きだと、手元が見づらいな」など、ダメ出しであることは変わらないのだけれど、ちょっと自分から離れられるようになっていく。
不思議なもので、そうなると、自覚的に上手くいかなかったことが修正しやすくなる。「ほんと、けいこは『振り返りの女王』だね」と親友からもよく言われるが、私に「振り返り力」があるとしたら、こうした作業の積み重ねで培われたのだろう。
そして、その極みが雅治さんの言う「残酷なまでの主観」なのだろうな。
心にとまる「ことば」は、きっと、今の私に必要な「ことば」。
残「酷」にまではならなくとも、キチンとした振り返り!続けていこう。