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大久保寛司の「あり方塾@東京」7期#4石原ゆり奈さん

今回(2024/9/19)の「あり方塾@東京」のメインゲストは、3回連続登壇の石原ゆり奈さん。ラオスでの障がい者支援活動とは別に、今回は、映画製作についてを主に、お話しくださいました。

石原ゆり奈さんのプロフィールはこちらから


今日のテーマは「あなたはわたし」

(ゆり奈)今日は3回目ですがこれまでの2回で、自己紹介はしていますね。前回と前々回は、国際協力と福祉の話をしましたが、今回はちゃんと本丸にたどり着きたいと思っていて…ずばりテーマは「あなたはわたし」です。

こちら、前回の話の様子を、参加者でイラストレーターのわだかよさんが描いてくれたんですよ。

映像作品に挑む理由

(ゆり奈)今日は「人間の心」の話をします。私、本業は国際協力でラオスで福祉をしているんですが、長年現場にいて、映像をつくる機会があったんですね。前回の勉強会でも最後にちょこっと、長崎が舞台のドキュメンタリーの予告編をご紹介しましたが、いい本とか、いい映画って、錆びていかないって言うか、いつ見てもずーっといいもので、時代背景が変わっても、私たちの年齢が変わっても、私たちの心を掴むじゃないですか。私は色々な現場に行かせてもらって、いろんな現場で頑張っている人の話も聴いて蓄積しているんだけど、それを伝える機会がなかなか、なかったんです。

でも、これを映像作品にすると、多くの人に見てもらえるってのが、いいなぁと思って、1作目(長崎)を作ったんですね。

でね。ドキュメンタリーが好きなのは、ドキュメンタリーの映像ってウソつけないんですよ。撮ったまんまなんですよ。カッコつける人が映ると、カッコ悪い映像になっちゃって、恥ずかしい感じになっちゃうんです。

(寛司)自然じゃないんだね

(ゆり奈)そうそうそう、ありのまんまの感じを映したときの、その人のやさしさとか、朗らかさとか、かなしさとか、そのまんまを撮るのが私は好きで、長崎の後、広島と、社会的養護と現場を変えながら映画を作って、劇場で公開してきました。

人の話を聞く時の「ものさし」と「観る力」

(ゆり奈)私自身、こんなにうるさいし(笑)、こんなに人に関わる仕事をしてますけど、実は、あんまり人間、好きじゃないんですよ。そう、あんまり人間好きじゃないんです!

(寛司)ここで大事な解説をひとことで。いま、彼女は「あんまり人間が好きじゃない」って言ったでしょ。これって、彼女のものさしで言ってるの。それを鵜呑みにしちゃだめです。好きの基準が違うのよ。
だから、ことばを聴く時に大事なのは、例えば「僕ってナマケモノなんですよ」って言ってても、横から見たら、誰よりも頑張ってたりするんです。自分に対して厳しいと、すごい生き方しているのに「俺ってだらしないですよ」ってなるんです。一方で「俺って、ちゃんとしてますよ」って言ってても、どう見ても「駄目よ」って人もいる。それは自分の基準が甘いわけ。

だから、何が言いたいかと言うと、人の話を聞く時に、どのものさしをもって、この人はしゃべっているのかな?ってのを「観る力」がほしい。これ、結構大事なポイントですね。

(ゆり奈)それでね。私は人は好きじゃないけど「人間種」で生まれちゃったから、とりあえず、一回、人間で生きなきゃいけないなと。

(寛司)次は何で生まれたいんだっけ?

(ゆり奈)あり

(寛司)次回はありで生まれるご予定でございます。

ちょっとは人間を好きになってから…

(ゆり奈)そうそう、でも、今世は人間で生まれちゃったから、生ききらなきゃいけないから、死ぬまで自分を社会にどう活かしていかなきゃいけないのかをずっと考えていて「明日死んでもいいや」と思ってずっと生きてきたから、明日「人間生」が終わってもOKなんです。
なんだけど、あんまり好きじゃない人間もね、ちょっとは好きになって死にたいじゃないですか。

(寛司)そりゃそうだ

(ゆり奈)ちょっとでも、よかったなと思って死にたい。それと、自分の観てきた世界が「美しかったなぁ」と思って死ねたら幸せかなぁと思うんです。

(寛司)実際、ラオスでの支援では、キツイ場面ばかり見ているじゃない?

(ゆり奈)そう、ラオスでも日本でもそうです。支援の現場は、キツイ。なんだけど、その中に美しさを探すんですね。映像作品を創る時は、まさにその作業なんです。

(寛司)そういうことか

(ゆり奈)その人の中の、芯を掴むような、清水喜子さん(関西の菩薩とされる、出合う方々に奇跡を起こしてしまう方)が、ことばでやっているようなことに似ているんです。普段、ラオスで福祉やったり、日本で子どもたちのサポートしたりしていますけど、そういう実像とは別に、映像だと、そのあたりがクリアになってオモシロイですよ。うん、うん、うん。

80年前の課題と、今の課題は変わらない

(ゆり奈)広島は、なんで撮り始めたかと言うと、長崎の後で広島を調べ始めたら、森重昭さんっていう、オモシロイおじいちゃんを見つけちゃったんです。森さんって方はね、オバマさんが来た時に抱きしめられたことで有名な方なんですが、この方は、広島に原爆が投下された時に、アメリカ兵の人たちが広島にいたって言うのを調べて、その人たちの遺品とかどういう風に亡くなったのかなどを、私費で調べて、調べて、調べて、調べて、アメリカのご遺族に返していくって活動をした方なんです。言ってしまえば(オバマ、大統領に)抱きしめられるまで、ただの変人。

(寛司)敵国ですもんね

(ゆり奈)そう「この人、何やっているの?」って言われ続けた人。しかも私費ですよ。当時のことを調べると、広島に原爆が落ちる2週間くらい前に、呉に戦艦が停泊していて、日本はもう負ける直前だから、燃油が入ってないわけです。動かせない軍艦が、停泊している。戦艦大和に燃油を入れて沖縄に送り出しているから、もう、すっからかんなんです。
だけど、戦艦があるから「沈没させよう」と、アメリカ兵たちが敵襲に来ますよね。その人たちが撃ち落されて、捕虜になっていたんです。そして、爆心地近くの広島市内の警察署に囚えられていて、その真上に、原爆が落ちたんです。
でも、しばらくは、アメリカは認めないわけです。自国民がいる場所に原爆を投下したとは言えなかったからね。それを森さんは、自分の足で、ありとあらゆる所を調査して、そのアメリカ兵の人たちが撃ち落された町まで行って調べたんです。そこにいくと、撃ち落されたB29の残骸が落ちていたりするわけです。それらを拾って集めて、どんな兵隊さんたちがそこにいたかを、最終的に、どこで亡くなったのかを調べてっていう風に、一円にもならない活動をやり続けたわけです。そんな森さんが面白くて、広島を撮り始めたんですけど、実際に、戦争の時の話を聞いていくと、話の一つ一つが、今の私たちと変わらないんですよ。80年前ですよ。80年前に人間が抱えている課題と、いま、私たちが抱えている課題は一緒。変わってない。

(寛司)そうなの?

(ゆり奈)そう。それに気づいたんです、例えば、このおばあちゃん(写真を掲げて)、すごい素敵な方なんですけどね。戦時中、自分が小学生で、クラスの中に、スゴイいじめられている女の子がいたんですって。
当時、広島中心部には貧しいエリアがあったんですね。働きに来て、仕事が十分なくて、暮らしが安定しなかった人たちが、帰れなくて割と固まって住んでいて、疎開先もない状況で、そこに住む子どもたちがね、髪もいつもくちゃくちゃで、顔も真っ黒で学校にやってくる。そうすると、いじめられちゃう。「なんでみんないじめるのかな?」って思っても、なかなかそのいじめは、なくならないわけですよ。
そこである時、彼女は、自分がお母さんに買ってもらったお人形用の「くし」をあげたんですって。いじめられている女の子に。「あなたのおうちにはもしかしたら、鏡はないかもしれないけど、水面に顔を映せば見える。そしてお水を頭につけて、ちょっととかしてから、学校に来るんだよ」って教えてあげた。そうしたら次の日から、その子が顔を洗って、髪をきれいにしてから学校に来るようになったら、瞬間、いじめがなくなったって。

(寛司)うーん

(ゆり奈)戦争の話を聞くためにインタビューしているのに、根幹に流れているものは、今と何にも変わらないんです。

(寛司)その子は、貴重な櫛をあげたんだね。

80年経っても、人の本質は変わらない

(ゆり奈)生活がギリギリだから、お父さんもお母さんも、子どもに何もしてあげられないんですよ。今みたいに色々な補助ももちろんないわけだし、自分たちで解決するしかない。でも知恵もないからね。自分と違うと、違う子をいじめてしまうって、今の社会も昔の社会も全部一緒なんですよ。80年経ても私たちの本質は変わってない。そのひとつひとつの話を聞いているのが興味深いんです。結局、私たちが心の弱さとか、いじめてしまうとか、そういう行動をとってしまうのは、そうする理由、それは、もしかしたらその子自身が辛いのかもしれない。戦争に対するいら立ちがあるかもしれないってね。

彼女もよく言ってましたけど、兵隊さんのお洋服を繕う仕事をやらされていたんですって。その時、彼女は中学生くらいかな。このボロボロになって銃弾で穴が開いた兵隊さんの洋服を、洗って繕うってことは、日本の戦況がヤバいんだなってわかるわけですよ。
尚且つ、これ着てた兵隊さんって、どうなったんだろうって気づきますよ、子どもながらに。そういう厳しい環境で暮らすって、色々なストレスがあったと思うんですよ。そのストレスが、誰かを叩き落す力になってしまったり、誰かをいじめてしまったり、その心のあり方っていうのは、今も昔も、他者を強烈に批判したり、いじめたり、自分が抱えている不安から、誰かを攻撃したりって、変わらないんですよね。そういうことを、映像を撮ることで学ばせてもらって、撮ってよかったと、今でも思っているんです。どんな作品か、ちょっと予告編を、観てもらおうかな。

(寛司)人間の本質って、変わってないんですよ。だから三国志が参考になるんだし、あの千数百年前の洞穴にも「今の若者は…」って書いてあるわけですよ。人間、使う道具が進化しただけで、人間そのものは進歩してないんですよ。

for you 人のために 予告

満たされる前の方が、人は幸せだったかも

(ゆり奈)被爆した人たちもね、自分も大変なのに、被爆した人たちのために何かをしようと言う人たちも沢山いたんです。作品の中に出てきたドイツ系の神父さんたちも、みんな被爆しているのに、救護活動をしたんですよ。
だけどね。日本人から見たら、外国人だからアメリカ人と区別できないんですよ。だから「すごく怖かった」って神父さんたちも仰ってました。
 
(寛司)昔も今も変わらないっていうけど、あなたは、ラオスでも沢山の人と接しているじゃない?そのあたりどう?人は今も昔も変わらないっていうけど、国の違いはどう?
 
(ゆり奈)うーん…満たされる前の方が、人は幸せだったかも。それは、いじめとかってのはあったにしても、長崎のおじいちゃんたちも、広島のおじいちゃんたちもおばあちゃんたちも、ラオスの人たちも、自分で死ぬってことは考えたことはないんですよね。生きることしか考えてなかった。
 
(寛司)それは、途上国はみんな同じだね。。
 
(ゆり奈)だから心配されます。日本とか韓国とか、先進国の若い人の死亡原因のトップが自殺だったりする。「大丈夫?」って。聞かれたりもします。ラオスではありえないから。明日をどう生きるか、どうよくするかしか考えてないですよ。
 
(寛司)加藤南美さんって、ここにも来てもらったことあるけど、カンボジアを支援している方の話でも、地雷で足や手を失っている人も沢山いるんだけど、みんな気にしてない。今の身体の不具合の中から、出来ることを考えて、共通しているのは、今日一日、生きられたらハッピー。食べ物があるハッピー、ってこと。「満たされる前の方が幸せ」って、ゆり奈さんが仰った通りで、どこかの国のようにすべて満たされていると、不満しか出てこないっていうのがあるのかもしれないね。
 
(ゆり奈)だから「あなたはわたし」って書いてますけど、国際協力にしても、福祉にしても、被爆者にしても、自分には関係ないような気がしたとしても、でも「あなたはわたし」なんです。「想像できる力をもちましょう」って私は常に言い続けています。

そうそう、この間、弘前で「ラオス展」やっていたんですけど、津軽弁バリバリのおじいちゃんが来て、半分くらいしか、聞き取れなかったんですけど、一所懸命聞いたらね、そのおじいちゃんが、怒っているわけでもなく、イライラしているわけでもなく、ただ純粋な疑問として「なんで日本の国がこんなに困っているのに、あんたは海外の事をやるんだ?」って。
これって「あなたはわたし」になってないんですよね。だから私、おじいちゃんに聞きました。多分60代後半くらいの方だったんですけどね。
「給食で脱脂粉乳って飲みました?」って。そうしたら「飲んだ、飲んだ」っていう。「給食でコッペパン食べました?」って言うと「食べた、食べた」って。そして「多分、その物資、国際協力でもらった物資ですよ」って言ったらね、その瞬間に「ああそうか」ってなったんです。

日本が焼け野原になって、食べるものがなくて、明日食べていけなくて、親もいない子どもがあふれているその時代に、もう栄養失調で死んじゃうかもしれないその状況に、国際協力でもらってきた食べ物で生き延びた人たちが次の世代を創って、今があるわけです。だから、その津軽弁のおじいちゃんも、給食の話をした瞬間に、「ああ」ってなって、自分にも無関係じゃなかったんだなって、なったんです。
それまでは「国際協力ってなんだ?」って思っているわけですよ。でもね。実例を出して自分に近いことだなってわかると、そのおじいちゃんも、着地点が見える。そうすると「なんだ無駄じゃないか」とか「ラオスなんて」ってのにはならなくなるからね。

「知る」「想像する」って大事

(ゆり奈)私は、知るってまず大事だよね。想像するって大事だよねって、常々思っていて、国際協力であったとしても、被爆であったとしても、このあと紹介する社会的養護であっても、絶対どこかで関わりがあるから、いつか私たちがサポートされる側に立つことがあるかもしれないから…例えば30年経った時に日本がとても貧しくなっていて、ラオスの人たちが食糧を送ってくれるかもしれないし、カンボジアの人たちが「カンボジアにおいで」って言ってくれるかもしれない。そういう関りが常にどこかで、お互いの助け合いっていうのがあるんだよねって考えると、って。
 
その一番、際の際の所に映像作品はあるんです。この作品は、主題歌をボニーピンクさんが担当してくださっているんだけど、そこに興味をもって、見てみようかな?って方が、20人いれば1人くらいはいるかもしれない。多くの方が興味を持ってくれるかもしれない。そうすると、他人事じゃなくなる。エンタメの力を借りると、広げられることがあるかもしれない。
 
広島と長崎の方々が抱えていることって、今と何ら変わらないので、何も特別じゃない。普通の365日があって、その日もお弁当箱持って「行ってきます」って言ったら、ピカドンとなって暮らしが一気に変わっちゃったっていうのを、明日は我が身って思うその気持ちとか、自分たちの弱さを知ってほしいんです。
まだ80年しかたってない中で、私たちが黙っている間に起こってしまった戦争が、実はいっぱいあって、これって知らんぷりしてきたから悲しいことも沢山起こってるわけでね。だから、ひとりひとりが考えられるようになりましょう!っていう提案を常にしたいなぁと思っています。まあ、私自身も決して完璧じゃないからっていうか、どちらかと言えばポンコツなんですけどね。


あなたとわたしは、一緒なんです

(寛司)ちょっと話が変わるけど、八ヶ岳を開拓した人は、アメリカ人なんだよね。その方は、資金がなくなるとアメリカに行って「こういう活動をしています」って言って資金を集めてこちらに持ってきた方で、かつ、日本にラグビーを持ってきた人。
今、八ヶ岳が価値ある場所になるベースを創ったのは、このひとりのアメリカ人だったんです。戦後すぐに、お金を全部、アメリカで集めてもってきたんだよ。実は、そうやって、海外から日本は恩恵を受けているんだよね。
 
(ゆり奈)そうなんですよ。戦後、あれだけ戦災孤児が生まれて、その時に、児童養護施設という受け入れ先が作られたんですけど、それを主にサポートしてくれたのは海外の方々なんです。そういうことを考えると、この関係性の意味について、私たち一人一人が考えたほうがいい。そうすると、人をゆるすとか、人に優しくなれるとか「あなたと私、一緒ですよね」と言う感覚を持ち続けられるんじゃないかなって思うんです。

社会的養護のドキュメンタリー「旅のはじまり」も、ここでみてください。主題歌は川嶋あいさんで、挿入歌はTUBEさんです。
 
旅のはじまり 予告編
 
(ゆり奈)音楽の方々も社会貢献として、楽曲を提供くださいました。この映画は、親と暮らせない子どもたちや、保護されない子どもたちの現場に密着したものです。児童養護施設に入れなかった子や、虐待を受けていた子は、自立援助ホームというところに入るんですけれど、そういう子どもたちの背景を知ると、関わりづらいなと思った時に、なぜ、人が信用できないのか、愛着を持てないのかということを、わかろうと思えるじゃないですか。そういう子どもたちが、いい施設に出合って、誰か一人でも信頼できる人が出来ると、関係性が上手く作れるようになるんです。

世の中のあれこれの中で、子どもが一番の被害者になってしまうから、子どもたちが自分で自分の精神を安定を保っていくためには、どんなサポートが必要なのかを私たち大人が、知っておかなくちゃいけない。知らないで済ませちゃいけないと思うんです。
皆さんの周りにも絶対に一人は要るから「あなたはわたし」って思っていてくださいね。
 
(寛司)自他一体感だね。喜怒哀楽が全部シェア出来るっていうのは、それはまさに相手を分かった状態で、だから、その一体感がもてた時に、多分、相手は変わるんじゃないかな。以前、勉強会にも来てもらった訪問保育士の滝幸子さんが言ってましたけど、どうしようもない家庭はいっぱいあるけど、何かの時に、相談相手がいたら、ひとりがいるだけで救われる。どうしようもない時に、電話をもらえる自分になる。ひとり相談相手が、ひとり、自分のことをわかってくれる人がいたら、自分の命を絶たなくて済むんだって。彼女はその信念を持って、信じられない沢山の人を救っている。
 
(ゆり奈)子どもたちと施設の人たちは、驚くぐらい、距離が近いんです。それはきっとこれまで甘えてこなかったから、今、甘えているんですよね。大きい揺らぎの中で、生まれ変わって、人と生きるってことを生き直しているところなんです。だから、一歩でも知ってもらえたらいいなと思っています。「あなたはわたし」覚えてくださいね。


【おまけ】再び「アリ」話 

(寛司)アリに生まれたら、女王アリ?働きアリ?
 
(ゆり奈)働きアリですね。一回、理不尽なところからスタートしようと思って
 
(寛司)理不尽なところから?って、働きアリって、理不尽なの?
 
(ゆり奈)(働きアリは)ちょっとしか生きられないんですよ。女王アリや女王バチは、すごく長く生きられるんですよ。
 
(寛司)知ってるよ
 
(ゆり奈)働きアリは、本当に働いて、働いて、すごい不遇な人生を歩んでいる感じなんですよ。
 
(寛司)僕からしたら、女王アリの方が不遇だよ。美味しいものを食べさせられて、ひたすら卵を産まされるんだよ。卵産み器械ですよ。自主性ゼロなんだよ。どう?
 
(ゆり奈)いや、まずは現場ですよ。一回ね、現場をリサーチしたいんです。砂糖だらけのベタベタの中で、どうしているのかとか。
 
(寛司)それはね、逆よ。アリになったら、わからないよ。アリになったら、なぜ私がべた付いているかなんて、わかんないよ。あなたはアリの研究者にならなくちゃ。
 
(ゆり奈)(頭を抱えて)一回ね、一回、やってみたいんです。

                          文責)橋本恵子

11月から「大久保寛司さんに学ぶ あり方塾@東京」第8期がスタート!
いろいろな「やり方」も大事ですが「あり方」そのものがより重要です。
企業風土改革の第一人者である大久保寛司さんから「あり方」について学ぶ勉強会です。

〇開催日
第1回:2024年11月18日(月) 第2回:2025年1月14日(火)
第3回:2025年 3月11日(火)  第4回:2025年 5月13日(火)

講 義:18:30~21:00  懇親会:21:00~22:00
場 所:新宿区山吹町の予定
★毎回、翌月にZOOMによる復習会が行われます。(日程は別途調整)

〇参加費
・会場参加の場合
各回27,500円、全4回通し申込の場合10万円
・ZOOM参加の場合
各回13,200円/回、4回通し申込の場合 5万円
〇申込方法
   下記URLからお申し込みください。
  ★申込フォーム★
 https://forms.gle/XWEMNjEmtpXCiEbt5「あり方塾」 東京開催事務局
 e-mail:arikata@lovelivejapan.com(担当:碇信一郎)



                           
 


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