私達がSDGsを語る時
SDGsを初めて聞いたのは子供と行った科学展の一角に高校生が設けたブースでした。
飢餓を無くそう!教育を平等に!
など、誰もがYESと叫んでしまう17のスローガン
知ってもらうきっかけになれば、、、とよくイベント主催者も語るが、知っただけではダメなんだよ。
知ったからには実行に移さなくては。
でもどうやって飢餓を無くす?
多分、この世界に生きている私達が生きている間は世界平等は叶わない願いで飢餓で苦しむ子供がいなくなった世界を見る事は出来ないんだと思うと、なんとも他人事のように感じてしまう。
例えば昨日の毎日小学生新聞のトップ記事
「たまり続ける汚染処理水」
これを蒸気にして大気へ放出
海へ放出
どちらも放射性物質の濃度を国が定める基準値を下回るまで、とか言ってますが、SDGs14「海を守ろう」的にどうなんでしょう?
アメリカがパリ協定から抜けましたが、どうなんでしょう?
経済とSDGsの両立は天秤がどこまで傾いていれば、持続可能でよりよい世界を目指す国際指標として維持できるものなのか。
コロナ自粛中はバルコニーに寝転び空を毎晩眺めてました。
星は綺麗だったし、東を見れば日中でも新宿方面の空は澄んでいて曇っていなかった。
まさか、、経済が止まっているせい?
考えたくなかった。
私達のこの生活や贅沢が、もしもどこかの国や自然の犠牲の上に成り立っているとしたならば、私は私を呪いたくなる。
チョコレートだってバナナだって不当な児童労働の涙が染み込んでいると思うと、企業だって何がコンプライアンスだよ、と呪いたくなる。
批判覚悟で書きます。
それでも明✖️のチョコレートは食べちゃうし、○ニクロ新作はチェックしてしまう。安くて便利で上等。
そんな製品はもしかしたら全て何か犠牲の上に成り立っているのではなかろうか。
(とはいえその上にまた人の労働があってそれで飯が食えているのだからなんとも悲しく発展も別の副産物を生んでしまったのか?と考えてしまう)
今日のまとめ
学のない私なので誰かそのカラクリを教えてくれませんか。
コットンだって実がなり糸を紡ぎ服を縫い上げるまで時間と労力がかかるはずなのになんであんなに安く提供できるんですか?
チョコレートだって同じなのになんで百円で買えるんですか?
企業スローガンだって綺麗に聞こえますけど、犠牲の声を反映しているとは思えない。犠牲に対しての責任を取ってるとも思えない。
何か私の勘違いであって欲しいと思うし、子供達にも世界は美しいと信じたままでいて欲しい。