51歳の誕生日に想うこと
本日、めでたく51歳になった。
まあ、この歳になってくると、めでたいというよりも、死に一歩近づいた感が大きい(笑)。
ただ、誕生日は節目としては大きな意味は持つだろう。
若かりし頃の予定では、51歳というのは、地元の熊本で中学校の理科の教員をやっているはずだったのだが、蓋を開けてみれば、心理職になっていたという予想外の人生になっていた。
予定通りであれば、既に安定飛行になっていたのだろうが、現在はそうはなっていない(笑)。
ただ「それって生きてると言えるのか」という私がよく行う自問自答には何とか応えられている人生にはなっているかなとは想う。
幸い、退屈しないで済む日常になっている。
最近は、過去のことを振り返ったり、死ぬときは、脳・心筋両梗塞、癌、の三つとも最期の方は痛そうだなぁ、とか考える機会は増えた。
それだけ死を自覚しているということだろう。
健康寿命はあと10年くらいかもしれない。
個人的には、博士号が(取れる取れないが)一段落した後は、私の未完の行為である、熊本大学合格に向けて舵を切ろうと考えている。
もともと悪い頭に加えて、脳力も衰えているだろうから、そう簡単にはいかなさそうだが、ワクワクはするので、迫りくる死の忘却には良いとは思っている。