スミレソウ #4
前回までのあらすじ
(上級生による襲撃の混乱に乗じて、二年生のワタライ・ワタルは体育館でガールフレンドのスミレを発見する。しかし彼女は身体を乗っ取られた偽物であり、変質した光粒子で学校中の人間を操っていた。彼に追いついたナギはそれを看破するも、ワタルもまた偽スミレの高濃度のフォトンで精神を掌握され、襲いかかってくるのであった——
息を切らせて廊下を走る少女。防弾仕様の制服は傷付き、血こそ流れていないもののボロボロの有様だ。しきりに背後を確認しながら、至る所に転がっている生徒達を踏みつけ、躓きそうになりながら走る。午後一時のチャイムが鳴るが、どのクラスも授業が始まる様子はない。
2階の西側廊下を北に進み、音楽室の重い防音ドアを押しのけて入る。追手がないことを一瞬確認して、しかしすぐにハンドルを閉じる。内カギを掛けると、いくらか落ち着いたような気がした。ドアを背に、ほっと息をつく。これでいくらか時間が稼げるはず。しばらく休んで、ここから脱出して、どこか適当な場所で身を隠して——
「——逃げ切れるとでも?」
直後、ドアが吹き飛んだ。当然彼女も巻き添えだ。壁とドアのサンドイッチにはならなかったものの、肩から軟骨のひしゃげる音が聞こえた。窓ガラスの破片が降り注ぐ。舞い上がる粉塵。ぽっかり空いた入口から、青く揺らめく幽鬼。カミナギ・ナギと名乗った転校生が今、彼女を裁くべく追ってきたのだ。
スミレ——いや、トリカブトは先程の体育館での光景を反芻する。確かに彼女は最大限の力を以てワタルを怪物ともいえる姿に強化したはずだった。しかし彼がナギに掴みかかろうとした瞬間、真横へ直角に殴り飛ばされた。たった一発のフック。拳が蒼い炎を噴き、一瞬でKO。右手の銃しか武器はなかったはずなのに、どうして……?
「これ以上の手間を掛けさせないでほしいものです。降伏か死か、選択の余地まで与えているというのに」
平坦で無機質な声。青い双眸が彼女の魂を射抜こうとしている。激痛に歪む顔は、きっと彼女本来のものだろう。壁を背になんとか立ち上がったものの、足元さえ覚束ない様子だ。
「や、やめろ!お前分かってるのか!?あたしを殺せばこの子も死ぬんだぞ!」
残った力で手近な生徒を使役!廊下に倒れていた1年生を操り、ナギへ向けて発砲させる!だがナギはそれを歯牙にも掛けない。フォトン凝結弾は性質として飛翔距離の影響を受けやすい。数発はナギに命中したものの、ほんの僅かに髪を揺らす程度の衝撃を与えて霧散した。ナギによる反撃の9mmフォトン弾3バーストボディブローを貰い、トリカブトは地面に崩れ落ちる。
「色々ダメ出しをしたいところですが面倒なので簡潔に答えてください。連続失踪事件の犯人はあなた?その力は誰にもらった?適切な回答とスミレさんの解放を条件に命だけは助けてあげます」
淡々とした質問。怒りも恨みもない、無感情な言葉だがその意味は明確だ。この悪魔はスミレごと彼女を殺すことも厭わないだろう。
「……そう。あたしがやった。フォトン適正の高い子を見つけて身体を奪う。力をいただいたら乗り換える。運が良ければ生きてるかもね」
割れた窓から風が吹き込んでくる。初夏の香り。土煙と都市の匂い。
「あなたもきっとそうでしょ?フォトンに適応した人間。自分でフォトンを生み出して、思うがままに振るえる新人類。自分のために使わないの?好きに暴れて、弱者を虐げて、楽しく生きられるはずでしょ?」
「もう結構です。スミレさんを解放しなさい」
片膝をつき、彼女の顔を覗く。高校生らしい幼さの残る顔。スミレ色の粒子が瞳の奥で微かに揺れている。
「……いいよ。ただしあたしからも条件を出す」
「その身体、ちょうだい」
瞳の薄紫色が急激に輝く。音楽室中が閃光に包まれていく。まるで爆風のように吹き荒ぶヴァイオレット。その粒子はナギの身体へとみるみるうちに吸い込まれ、何事もなかったかのように止んだ。
色のない空間。白の霞む白。その中に佇む薄紫の影。これがあの子の精神世界。勝利を確信した。ここまで来れば奴の精神の中核を掌握し、あたしがナギに成り代わる。そう確信し、足を一歩踏み出す——が、動かない。いや動けない!身体掌握は確かに成功しているはず!これは一体——
「お説教の時間ですね」
背後から声がする。振り向くこともできない。撃鉄を起こす音。冷たい銃口が後頭部に当たる感触。全てが"恐怖"となって襲いかかる。
「"身体を乗っ取られる"ことを想定していれば対処は簡単です。心象風景に明確なイメージがあれば誰だって防衛ができる。精神世界への侵入リスクは考慮していますか?」
白が灰に、灰が黒に、白の地平はいつの間にか立方体となり彼女らを取り囲む。天辺から剥がれた燐光する瓦礫が歪み、織られて錆びた蛇になる。
「あれだけの人間を手駒に取っても"同時に動かせる人数"には限度があるはず。欲張って操っても精度に欠ける。一点集中でもあの程度ならたかが知れています。その上わざわざスミレさんから分離してくれるなんて御し易い限り。"思うまま暴れたい"などとよくもまあ言えましたね」
蛇はトリカブトの精神体に巻き付き、その身を締め上げる。赤い一つ目が光ると、錆に軋んだ大顎が不愉快な音を立てて開閉する。
「なんで……あたしが……なんなんだよお前、ふざけるな!殺してやる、絶対に殺してやる!」
トリカブトは全身に力を込めて錆蛇を破砕!振り向きながらの裏拳!悪足掻きだ!しかし拳は無情にも空を切る。ナギはしゃがんで膝を引いた姿勢、握った指の隙間から3本の銃身が覗いている!パームガンだ!
「——さようなら」
矢のように放たれた拳がトリカブトの顎を捉えた。インパクトの瞬間に撃鉄が落ちると蒼いフォトン光が炸裂。そのまま足のバネを開放して跳躍しつつ膝を鋭く突き刺す様はさながら昇り竜の如く。薄紫の精神体は花弁のような粒子を振り撒きながらバラバラに消し飛んだ。後に残るのはナギのみ。黒い地平が彼方からの光で霞み、やがて全てを飲み込んでいった。
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「——あのさぁ、いっつも思ってるんだけど」
移動喫茶店ブラックトータス。今日の"営業"は全て終わり、運転席でハンドルを握る桜髪の少女が声を荒げている。日差しが強いのでスマートグラスのUVカットは濃い。
「ナギ姉って全員ぶっ飛ばさないと気が済まない系?もう少し手加減っていうかさぁ」
「殺してはいません。必要な暴力を必要なだけ」
「毎回それじゃん……よく上が許すよね」
後部のバーカウンターで紅茶を飲むナギ。テミスの荒い運転でも零すことはない。マキナは食器類を拭きつつ棚にしまっている。日常的風景だ。
「解決すればそれで結構。報告して終了。わたし達のやり方に相違はないはず」
「フォトン技術の悪用ならまだしも、自己生成なんてね……ヒトも進化するもんだね」
赤信号で強めのブレーキが踏まれる。この辺りは人通りが少ない閑散とした地区とはいえ、一応交通規範は守るべきだ。マキナが勢いでソーサーを落として割ったが、これはテミスが悪い。
「スミレとかいう子は?」
「他の被害者はともかく、スミレさんは"寄生"からそこまで日が経っていないようでしたので大丈夫でしょう。ボーイフレンドのところへ置いてきましたし、軽く手当もしてあります」
「へえ、随分と手厚いわね」
「操られていたとはいえやりすぎたかなと」
「情でも移ったんじゃないの?」
「わたしは義理堅いので」
妙に信号が長い。見れば有り合わせの合板やら保護具やらで武装した数名の"車上荒らし"がすぐ先で待ち構えており、こちらへ鋼材や銃を向けている。なにか信号機に細工をしたのだろう。拡声器で何事か喚いているが、質が悪くノイズにしか聴こえない。
「あれ、どうする?」
テミスが問う。
「ナギ、どうするー?」
マキナもそれに倣って訊ねる。
「わざわざ答える意味ありますか?そんなの——」
急発進したブラックトータスは暴徒を高く跳ね飛ばして去っていく。殺伐とした東京22区。遠くの空では人食いカラスの編隊がブルータル・ドバトの奇襲を受けて散り散りになっていく。沈みゆく夕日に照らされたアダチの大壁が、いつもより穏やかに見えるような気がした。
ジェノサイダル・シスターズ
スミレソウ #4(完)