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ピンクソーダ

 暗く立ちこめた雷雲が大粒の雨をアスファルトに叩きつけ、ネオンサインに照らされた路地の影はその輪郭を朧に揺らめかせている。貪欲な悪魔のようなビルの群れは腹の中に有象無象を抱え込んでおり、歓喜とも悲鳴とも取れる叫びがそこかしこから響き、雨に吸い込まれている。

ミナミセンジュ・ターミナル。今や独立行政自治区と化したアダチ・ディストリクトと東京22区を鉄道で行き来できる唯一の都市だ。かつての高級マンションと倉庫地帯のベッドタウンは独立戦争の被害を直に被り、今では違法建築ビル群の立ち並ぶ危険な地区である。

「オネーサン、ヨッテカナイ?モウカルヨ」「高純度アルコール!安心安全!目が散らない!」「一見さん歓迎!実質無料!」キャッチ労働者の声が飛び交い、毒々しい看板がギラギラと輝く。合法な店は一つもないだろう。この辺りの実質的な支配権はアダチにあり、皆その強大な庇護の元、安全に違法操業をしているのだ。行き交う人々もそれを理解しており、作法を知らない余所者は食い物にされる。

特に声高に喚いていた違法労働斡旋キャッチがふと、駅の西口方面から歩いてくる少女に気付いた。少し幼さの残る顔立ち。バレッタで折り返され、正面からも見える後ろ髪。コンタクトディスプレイを入れているのか、青白く明滅する瞳。つややかに雨を弾くマウンテンパーカーの首元には、鮮やかな黄色で「NAG-1」と刻印されているように見える。彼女の手に持った蛍光ビニール傘越しに見える姿は、薄汚れた繁華街には似つかわしくない様子だ。

「オネーサン!バイトサガシテナイ?モウカルヨ!」
キャッチが少女に声を掛けた。しかし彼女は淡々とした足取りで無視し、通り過ぎようとする。彼は声が大きいために採用されたが、話術のほうは今ひとつであった。しかし、よい"人財"を見つけると無理矢理路地裏に引きずり込み"勧誘"するため、営業成績のほうは悪くないのである。

「オネーサンカワイイヨ!ゼッタイモウカル!ハナシキクダケ!」
今日もいつも通りに"勧誘"するつもりであった。その上、標的はすぐ先の路地裏へと曲がっていったのである。こんなに仕事がしやすいことはない。キャッチはすかさず彼女を追うと、スーツの内ポケットから針の長いスタンガンを取り出した。衣服、あるいは皮膚を貫通して電撃を流し込む、アダチ古武術に由来する得物だ。当然標的が死ぬこともあるが、それはそれで価値はある。キャッチは狩猟の気分に高揚し、そして暗がりへと進む少女へ向かって走り、飛び掛かった。

だが、次の瞬間に横たわっていたのは彼のほうであった。針が彼女の背中あるいは脊椎に突き刺さる直前コンマ数秒、彼女はふわりと素早く身を翻しつつ傘を閉じ、彼の足を払った。突撃の推進力は回転へ変換され、彼は濡れたアスファルトへと叩きつけられた。強かに背中を打ち、何が起きたのか理解できないままのキャッチへ彼女が口を開いた。

「品のなさが気配から滲み出ていますよ。お里が知れますね」
奇襲されたにも関わらず顔色一つ変わりない。淡々とした口調。見下したセリフだが、どこか無機質。打撃によりひしゃげた傘を投げ捨てながら続ける。「お尋ねしたいことがあります。あなたは——」
「テメェ女ァ!バカニシタナ!コロス!」
キャッチは跳ね起きると先ほどのスタンガンをもう一つ取り出し、両手に構えた。完全に頭に血が上っており、血走った目で彼女を凝視し弾けるように突っ込んでいく。

「——話を聞け」

鋭い破裂音。閃光。光の尾を引く9mmパラベラム弾が正確に2発、キャッチの両膝を破壊すると、たまらず彼はそのままのスピードで顔面をアスファルトで擦りおろしながら彼女の目の前で止まった。彼女の手にはどこから取り出したのか、蒼い硝煙を揺らめかせる大型拳銃が握られていた。

「まずひとつ、人の話は最後まで聞くこと。ふたつ、質問には必ず答えること」
彼女は淡々と続ける。
「あなた、オキノ・サルベイションの社員ですね。オフィスはどこですか?ボスは今日出勤?」
青白く燐光する銃を突きつけながら質問をする。キャッチはぐずぐずに削れた顔面の痛みに悶え、膝関節は粉砕され立つこともできない。
「シ、シラナイ!ヤメテ!ユルシテ!」
「オフィスの場所、ボスの所在、答えなさい」
「ワカラナイ!ワカラナイ!コロサレル!」
先ほどまでの威勢は完全に消え去り、泣き喚くばかり。どれほど声をあげても、暗く冷たい路地裏に人影など存在しない。

「手っ取り早く情報が得られるかと思いましたが、無駄のようですね」
彼女が軽く銃を握り込むと、それは輝く粒子に分解され消えた。そしてキャッチの取り落としたスタンガンを手にすると、針先をキャッチの首筋に押し当てる。もう掠れた呻き声しか出せなくなった哀れな客引きに、彼女は最期の宣告をした。

「みっつ——わたしを"女"呼ばわりして許されると思うな。わたしはナギ。覚えておきなさい」

首に深々と針が突き刺さり、脊髄に達し電撃が放たれる。一瞬身体が大きく跳ねると、それきり二度と彼が起き上がることはなかった。


雷雲は遠くへ流れ、しかし湿ったミナミセンジュの街はなお淀んだ喧騒に満ちている。彼女——ナギの捨てた傘は光の粒となり、路地裏の暗闇へと消えていった。


ジェノサイダル・シスターズ
ピンクソーダ(完)

http://twitter.com/hashie_san


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