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ブラックトータス

 早朝、カメイド・ステーション。空はよく晴れており、行き交う武装都営バスのフロントフォークから滴る血が陽光に紅く輝いている。独立戦争後の悪化した治安の中でも都民の足を止めるべきではない、という主に経済的な観点から都内の公共交通機関は全て武装することが条例で定められており、都営バスは車体の20mm鋼鉄プレート装甲板や暴徒対策のフロントフォークにスパイクホイール、強化ガラス製の窓の上から鉄格子でさらに補強されるなど、兵員輸送車相当の防御力を与えられている。

そんな武装バスが行き交うロータリーから少し離れた路地に、1台のトレーラーが停車していた。緑と白に塗り分けられた車体は小綺麗で、屋根の小型車載CIWSや除雪車のようなブレードの威圧感をいくらか抑えられているだろうか。側面には「Black Tortoise」とポップな筆記体でペイントされており、猫耳のついたリクガメのイラストが寄り添っている。

後部車両内はバーのようなつくりで、しかしなにかの工房のように散らかっていた。舞い散る桜のスクリーンセーバーを映したPC、有害光線を遮断するスマートグラス、各種工具類ラック、カウンター席に掛かったマウンテンパーカー。バーカウンター内は比較的片付いていて、その中で大きな猫耳を付けたような少女がひとり、ご機嫌でコーヒー豆を挽いていた。その手つきは素早く——いや、あまりにも高速であり、豆を挽くというより磨り潰して粉末にしようかという勢い。ケトルが電子音を立ててお湯の沸いたことを報告すると、少女は吹けば飛ぶような粉をドリッパーへ移し、ダバダバと湯を注いだ。ふわり、朝の香りが車内に立ち込めていく。入口横のソファで丸まっている人物が芳醇な香りにつられてか、もぞもぞと動く。
——そろそろ頃合いかな。猫耳の少女は両手を口元に添えて、元気いっぱいに叫んだ。

「おはようございまーす!シスター!!朝ですよー!!!」

爆音。轟音。揺れる車体。軋む食器棚。共鳴するグラス。起動されていたPCの画面は暗転、窓際に掛かっていたラックから空調のリモコンが落下し、ソファの芋虫の頭に直撃した。
「起きてくださーい!起きなければハウリングモードを起動します!おはようございまーす!!!」
「うるっさい!!!!!!!!!!」
芋虫がたまらず跳ね起き叫び返す。声量は猫耳の半分もないが、怒気と共に桜色のフォトンが舞い、誤作動したCIWSがたまたま電線に止まっていた不幸な人食いカラスを精密に撃ち抜いた。

「おはようございます、シスター・テミス!」
「うるさいポンコツ!何時だと思ってんのよ!」
猫耳のポンコツはなおも笑顔でテミスを見つめている。
「時刻は午前6時30分です!あと私の名前はマキナです。お忘れになってしまったのですか?」
テミスはまだ耳鳴りのする耳を押さえながら、ソファから立ち上がった。ショートボブの髪は乱れ、リモコンがぶつかった額は赤く腫れている。
「そういう意味じゃないわよ!6時半!?近所迷惑!だいたいねぇ、『6時に起こしてほしい』んだからもう少し早く起こしなさいよ!」
猛烈な剣幕で逆上されて猫耳の少女、マキナは悲しげに縮こまった。
「でも、マキナはちゃんと6時にも起こしました……でも起きなかったので……」
「わたしも起こしました」

車両前方から声。ティーカップを片手に歩み寄るワイシャツ姿の少女。
「大丈夫です、マキナ。起きなかったテミスが悪い」
彼女――ナギは耳栓をカウンターの上に置くと、マウンテンパーカーを羽織った。空のティーカップをマキナに差し出すと、出涸らしのティーバッグに熱湯が注がれた。

「んなこと言ったってさぁ、眠いもんは眠いじゃん」
「起きる努力をしなさい。全力で起こさせたのに無下にするな」
「マキナに叫ばせたのナギ姉ぇ!?」
テミスの前にもコーヒーが運ばれる。ため息をつき、ひと口啜ると超微粒子粉砕コーヒー豆の味が味覚と嗅覚を満たしていく。お世辞にも"美味しい"とは言えない豆汁を、苦々しげに飲み込んだ。


「わざわざ来なくてもよかったのに」
「マキナに会いに来ました」
それを聞いて満面の笑みを浮かべるマキナ。嬉しそうにアールグレイ茶葉をポットへ放り込む。
「こうでもして起こしに来ないと任務が滞ります」
「データなら送ったじゃん」
「相手は"アナーキスト"です。ブリーフィングの重要性」
ナギは机を指で叩く。テミスは仕方なくナギの隣へ座りなおすと、ホログラフィック地図を卓上に投影させた。

「ここ一ヶ月でアナーキスト絡みと思われる事件が五件。被害者9人。いずれも中高生女子をターゲットにした失踪事件で、全てコウトウ区周辺に集中してる」
テミスがホロ地図に触れると、いくつかの学校が桜色にハイライトされた。
「これだけ暴れまわってて実態が掴めないってことは、相手は複数のアナーキストか、なんらかの能力持ちのやつ。最悪あのシスコンの仕業だけど可能性は低いよね。んで、私が予想するに次に狙われるのはここ」
ジョウト・ハイスクール。かつて"自称"進学校の手本のような都立高校であったが、今では治安の悪化に伴い校内風紀も落ちたと聞く。ここからは余裕で徒歩圏内だ。

「オキノ社が関わってる可能性もある。そこでナギ姉の出番ってワケ」
「その通り。単独潜入と殲滅はわたしの領分」
「既に諸々の公的手続きは済ませてあるわ。今日からナギ姉は転校生ってことでいく。制服データは送ってあるのを好きに生成してね。"敵"を特定したら、いつも通りにサイド・アンド・ランでいいけど、場合によってはそのまま高校生を続けてもいいわよ」
アールグレイがナギの前に置かれる。ひと口含むと、長すぎる抽出によって香味が霧散し苦みが迸る。
「大ごとにするつもりはありません。最短1日で片付けるつもりです」
残った紅茶を飲み干すと、カップをマキナへ返し席を立った。
「今度、もっと美味しい淹れ方を教えてあげますね」

開け放たれたドアから、排気ガス混じりの爽やかな風が吹き込んでくる。粒子コンバートされたパーカーは学校指定ブレザーへと再形成され、高校生となったナギは光の射すほうへと歩き出した。テミスもぬるくなったコーヒーを一気に飲み干す。床に落ちていたスマートグラスを拾い上げると大きく伸びをして、もう1杯のコーヒーを猫耳のマスターに要求した。


ジェノサイダルシスターズ
ブラックトータス(完)つづく

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