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スミレソウ #1

 薄暗い朝日が差し込む教室に、スピーカーから流れるチャイムが朝のホームルームの時間を告げた。それまでめいめいに過ごしていた者たちはめんどくさそうに、気怠そうに自分の席へ教室へと戻っていく。2-Aとプレートに刻まれた引き戸がずるずると開くと、これもまたやる気のなさそうな教師が猫背で入ってきた。

「えー、おはようございます。HRを始めます」
その言葉に耳を傾けるものはいない。1限の教科書を適当にめくったり、スマホをいじったり、隣の席とまだ小声で喋っていたり。教師も教師でそれを咎めるようなことはしない。眠そうな目をしながら、お決まりのルーティンをこなすだけだ。
「——んで、最近は物騒なので気をつけてください。うちの学校はまだ平気ですが、まあなんとも言えないんで」

 ジョウト・ハイスクールは"文武両道"を掲げる普通科高校である。この手の高校は多くの場合進学校を自称しているが、特段実績がよいわけでもない。近隣地域は閑静だが、歓楽街が近いため周辺の治安はそう良いものではない。実際に学生運動と称して校長室が占拠されたり、テロと計画しているなどと言いがかりをつけられ軽音楽部室が爆破されるなど、暴動レベルは平均的だ。

「そうだ、あと転校生が来てます。入って」

その一言で、教室の空気が変わった。菓子パンを貪っていた者は手を止め、スマートフォンを見つめていた者は顔を上げ、突っ伏して寝ていた者でさえ、にわかに目覚めて辺りを伺うほどであった。転校生?こんなスラム校に転校してくる物好きが?ざわめきが広がる。教師がだるそうに手招きをし、かの者が教室に入ってくる。その姿に、ざわめきはどよめきに変わった。

少し大人びた顔立ち、澄んだ蒼色の瞳。後ろで留めた黒髪は折り返されて正面からも見える。折目正しい制服は、しかし少し大きいようにも見え、芯の通った姿勢をやや可愛げに見せていた。彼女は教卓の隣に立つと、生徒達のほうを見やり、丁寧なお辞儀をした。
「はじめまして。カミナギ・ナギといいます。よろしくお願いします」

————————

 クラス中の視線を集めながら、ナギは教室の一番後ろ、窓際の席に座った。机の横に掛けた四角い革の鞄からノートとアルミ製のペンケースを取り出すと、机の上に置く。流れるような手つきで、金属が鳴る音さえ立たない。

「ねえ、転校生さん」
ナギの隣の席の女子生徒が、目を輝かせながらひそひそと話しかけてきた。
「ねえねえ、すっごく綺麗な目してる!顔もすごく綺麗!化粧してないよね?お嬢様みたい!お昼あとで一緒に食べない?あと——」
「まずはお名前をお聞かせ願えますか」

穏やかな口調で遮る。その瞳はまっすぐに彼女を見据え、深海のような瞳孔に光の粒が煌めいているようだ。しかし女子生徒は怯まない。むしろますます身を乗り出して話しかけてくる。

「ごめんごめん!あたしは……そう!スミレ!アベクラ・スミレっていうの!よろしくね!」
「阿波柄純恋さん、で合っていますか?」
ナギはノートの端に漢字で名前を書くと、ナミに見せた。印刷したように整った字だ。
「そうそう!合ってる!よく分かったね!」
「当てずっぽうです」
「すごいと思う!運命かな?ナギちゃんは運命って信じる?もっと知りたい!っていうかナギちゃんって呼んでいい?いいよね!ナギちゃんはさぁ——」

話を遮るように一限の本鈴が鳴る。洪水のように捲し立てられていたが、ナギが挨拶をしてからこの間3分と経っていない。禿げ頭の教師が杖をつきながら教室に入ってきて、咳払いをひとつすると黒板を書きはじめた。
「続きは後程で」
そうナギは微笑むと黒板へ向き直り、ノートを取りはじめる。スミレは再びチャイムが鳴るまでずっと、後光の差す横顔を眺めているのであった。


 「この学校、なにかおかしい」
『おかしいってなにが?』
体育の授業を終え、ナギは光粒子フォトン通信でブラックトータスHQと接続していた。昼休みのグラウンド、乾いた砂粒が風に舞い上がっている。3階建ての校舎は大きく見えるが、その向こう側からは遥か高く聳える壁が覗く。陽光を白く照り返し、眼下の都市を焼き払わんとするようにも見える高壁は、アダチ・ディストリクトと東京22区を隔つ国境線でもある。見上げるナギの髪留めは淡い青に輝き、通信用の粒子を放っている。

「ここに来てからまだ半日、朝の彼女以外の誰もわたしに話しかけてきません」
『悪目立ちしすぎて逆に引かれてんじゃないの?さっきのアレもやりすぎでしょ』
「あくまで普通にしていただけですが」
転校初日の生徒が抜き打ち小テストを範囲も知らずに全問正答、見学席に飛び込んできたサッカーボールを蹴り返し、バスケットゴールにスリーポイントシュート。ここまでの芸当を見せつけながら良くも悪くも反応がないというのは確かに違和感がある。

『程度ってもんがあんのよ』
「朝の段階ではいくらかの反応がありました。私が着席してからは陰口のひとつもない」
『まあ、それは確かにそうだけど』
古風な黒電話デバイス越しに会話をしながら窓の外を眺める。マキナはトレーラー周辺を掃き掃除しているようだ。移動型コーヒースタンド・ブラックトータス。外装にホロ投影されているお品書きには『トータスブレンド』としか書かれていない。挽き具合も淹れ具合もマキナの気分次第であるが、テミスには本気で商売をする気などない。あくまでカムフラージュだ。

「教師と生徒のデータベース照合は?」
『当然やってる。なんか分かったらまた連絡するわ。ところで、あの馴れ馴れしい子さ——』
「待った。また掛けなおします」
通信切断。髪留めの輝きは収まり、陽の光で艶っぽく照らされている。光粒子フォトン今日こんにちのあらゆる技術分野に普及しているが、特に装飾品を端末とした通信デバイスはそのファッション性の高さから若者に人気がある。ナギのそれは通信機能を兼ねてはいるが、副次的なものだ。

「——そろそろ出てきたらどうですか?」

ピロティになっている校舎の一階部分、その柱。何もない空間に呼びかける。最近塗り直されたのか、柱はくすんだクリーム色と真新しい白が入り混じっている。
「ストーカー行為は現行法で禁止されており、適切な警告がなされていれば射殺されても法的に問題はありません。5秒だけ待ちます」
どこかからサイレンサー付きのM9を取り出し、おもむろにに柱を狙う。

「5……4……いいや、0」
カウントダウン無視!射撃!9mm弾は日焼けした石の肌を抉り小片を散らす。すると——柱が動く!いや、厳密には着弾点のすぐ真下から、柱の真っ白な部分が尻もち・・・をつくように崩れ落ちた!輪郭をなぞれば、それは人の形をしていることが分かるだろう。光学カムフラージュ方式のステルス装備だ!

「いや待った待った待った!悪かった!ストーカーじゃないし、いやどっから銃出した!?ていうかカウントダウン無視すんなよ!警告の意味は!?」
「射撃の意思表示はしましたし威嚇射撃です。それでは遺言をどうぞ」
「敵じゃない敵じゃない!降参!話を聞いてほしいだけだ頼む!!!」

ナギは銃を向けたままだ。光学白塗りのストーカーは地面にへたり込んだまま両手を上げている。やがてそのテクスチャーが六角タイルに揺らぎ剥がれはじめると、その下から制服を着た大柄な男が姿を現した。

「オーケー、そのままだ……武器は持ってないしこの通り……な、ノーカウントで頼むよ……」
男子生徒は膝立ちになり、両手を頭の後ろで組んだ。見上げた処刑人の瞳は蒼く、赤い光点がちらついて見える。一瞬の、しかし無限に思えるような間が過ぎる。
「……いい度胸ですね。それで?ご用件は?」

銃は握ったままだが、銃口は逸らしてくれた。彼はほっと息をつくと、すぐに土下座の姿勢を取り、恐るべき転校生に首を垂れた。

「あんた、ヤバい奴だろ。お願いだ。スミレを——クラスのみんなを、助けてほしい」

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