とりとめもないこと

タルコフスキーの記事のこと

ふと読み返してみたら、タルコフスキーについて書いてnoteにアップした文章、あちこちおかしなところがありますね。すみません。
たぶんGoogle Driveの画面からそのままコピペしたのでルビのついた文字などが消えてしまっているのだと思います。PC内を探せばもとのWordファイルがあるはずなので、見付け次第修正します。(2021/05/23, 19:12注記:ルビの件修正しました。これでもとの原稿と同じものになっているはずです)

Twitterのこと

ツイッター、すっかりCOVID-19関連のニュースをひたすら紹介するアカウントになってしまっていて、それ以前は政治系のRTを大量にしつつ、その合間に希死念慮を垂れ流すアカウントだったし(今もそうといえばそうですが)、うた詠みのアカウントという感じではなくて申し訳なく思っています。
歌人としての公式?アカウントを別に作って、告知とか短歌関係で読んだ本の感想とかはそちらでつぶやくほうがいいのではないか……と最近ずっと悩んでいます。場合によっては研究者としてのアカウントも兼ねて、その方面で関心のあること(フランス文学・思想、京都学派はじめ日本近現代の哲学など)もそちらでつぶやいたほうが何かと問題も少なくなるのかなと……。もしご意見あればDMでもメールでも何でもいいので教えてください。

落合太郎の記事のこと

ものすごく広義でいえば「京都学派」といえなくもない(少なくとも京都学派の周辺にいたことは間違いない)仏文学者の落合太郎について、まえに簡単なメモ程度の記事を上げたことはありましたが、喫緊の懸案事項もひとつ片付いたので(まだまだたくさんやらねばならないことはあるのですが)そろそろちゃんといろいろな文献を引用した記事が書ければなーと思っています。孫引きも多くなるかと思いますが。興味のある人は少ないかと思いますが、いちおう予告しておきます。

アンチのこと

同姓同名の騎手がいることは、僕のことを知ってくださっている方にはかなり有名なことだと思います(他にも自転車選手、大学野球の選手、ベーシスト、ダンサー、江戸時代の武士など同姓同名はたくさんいる)。エゴサしていると圧倒的にその騎手の方の話題が多いのですが(今年は特に)、よく引っかかる中にひとりその騎手の方のアンチがいます。最初の頃は罵倒するにしても文章にセンスがないなぐらいのことしか思わなかったのですが、最近になって騎手の方に注目が集まることが増えたせいかつぶやきが過激になっていて、「落馬して死んでしまえ」とか「乗っている馬が予後不良を起こせ」とか「騎手生命を絶たれろ」とか、ちょっと洒落にならない状態になっていて、僕のことではないものの、かなり嫌な気分にさせられます。
僕自身にもひとり粘着質なアンチがいて、その人のことはこちらで特定できているのですが、ウィキペディアに体裁の整わない嫌がらせのような記事を作られたり、5chに誹謗中傷の書き込みをされたり、一時期とても悩まされました。特にウィキペディアは編集の方法がよくわからず、しかもいろいろ厳密なルールがあったりすることをsaebou先生のツイッターなど見て知っていたので下手に手を出すこともできず、しばらく泣き寝入り状態でした。しかし現在は誹謗中傷の書き込みもなくなり、ウィキペディアの記事は結果的に良心的な方々が体裁を整え、嫌がらせのような箇所は削除し、逆に必要な情報を追加するなどしてちゃんとしたものにしてくださったので災い転じて福となす形になったのですが。(ちなみにそのアンチの人のウィキペディアアカウントは無期限停止され、新しいアカウントを作ることも禁止されているため記事を荒らされる心配もないようです。)

名前のこと

いまの名前で不便なことは同姓同名が多いことと、字面や響きがかっこよすぎて(特撮やアニメの二枚目キャラクターに使われがちな名前なのもあって)名前負けの感が否めないこと、でしょうか。この一年ちょっとで2人いる妹にそれぞれ男の子と女の子が生まれ、名付けということに関していろいろと思うところがありました。
妹が出産するのに際して、母は娘(つまり妹のこと)が生まれたときに「杏絵」と書いて「アン」と読ませる名前を付けたかったという話をしていました。読まない「絵」の字が付くのは、『赤毛のアン』でアンが自分の名前のつづりを「Annではなくて最後にeがつくAnneだ」とこだわるところに由来するのだとか。
そういえばむかし聞かされた話で、どこまで本当かわかりませんが、僕が生まれたとき父は、なりゆき任せでも生きていけるようにと「成行」という名前を考えていたものの、結局付けなかったのだそうです。そのことを高校生のころ知って、さっそく私淑していた国語の先生に話したところ、『究極超人あ~る』にも成野成行というキャラクターが出てくると教えられ、父も確か『あ〜る』の読者だったはずなので、そこから来ている可能性も否定できないなと思ったりしました。何にせよ、なりゆき任せでも生きていけたらいいのですが、世の中なかなかそうはいかないのが現状のようで、まさか名付けのせいではないでしょうが、つらいことばかりです。
まあ、今の名前は画数がよく、姓名判断によると大器晩成型らしいので、こういう名前をつけられてしまった以上は、気長に待っていればいつかきっといいことがあると信じて生きていくしかないのでしょう。

有名人を見かけた日のこと

まだ大学の助手だった2019年6月のとある金曜日、当時とても忙しくて出勤日ではなかったその日も午後から自主的に出勤したのですが、助手室に行く前に今はなき早稲田駅前のカフェ・シャノアールに立ち寄ったところ、伊集院光さんを見かけたことがありました。早稲田短歌会の先輩である堂園昌彦さん(『やがて秋茄子へと到る』という素晴らしい歌集があります)に教えられて「深夜の馬鹿力」を聴くようになって以来のファンなので、お見かけしただけでもとても嬉しかったです。(※もっと言うと子供のころ、NHK教育テレビで小学生向けの歴史の番組をやっておられたときから好感はもっていたし、同時期にテレビ番組でのトークから「ラジオ業界のすごい人なんだ」ということも何となくわかってはいました。まして中高生になってからはコサキンを聴いていたので、同じTBSラジオ深夜帯の番組として人気があることは知ってはいました。「深夜の馬鹿力」では何度かメールが採用されてノベルティのカードをもらったことがあります。)
金曜日は「伊集院光とらじおと」もなく、その日はほかの収録などもないオフの日だったのでしょうか。ノートPCに向かって作業をしつつ(月曜の「深夜の馬鹿力」のネタ選び?ファミ通の原稿執筆?)下階の書店で購入されたらしいマンガ雑誌を読んでおられたのを覚えています。
店内には特に声をかける人もなく、「有名人がいても無反応……これが東京か!」と上京11年目(当時)にして思わせられました。それにご本人がラジオなどでたびたび、街なかで見かけてもあまり声をかけたりしてほしくないとおっしゃっていたので、特に声をかけたりサインを頼んだりすることもありませんでした。
先にお店を出られたのですが、会計の際に何度も店員さんに「ありがとうございます」と丁寧にお礼を言っておられたのが印象的でした。
僕が芸能にうとかったり、あまり周囲の人に関心を払わなかったりするから見逃しているだけで、東京で生活しているからにはそれなりに多くの有名人とすれ違ったりしているのだと思います。そういえば2016年の夏には渋谷のアップリンクへ行こうとして途中の東急百貨店のあたりでタクシーに乗り込む蓮實重彦氏らしき長身の人物を見かけたこともありました。早稲田界隈では、街ブラロケでこれも今はなき蕎麦屋の三朝庵を取材にきた品川庄司の庄司を見かけたこともあったし、さらにいえば僕が気付かなかっただけで同じ時期に同じキャンパスにいた朝井リョウとか寺嶋由芙とか東山奈央とか里咲りさとかいった人たちともすれ違っていた可能性もあります。むかし若手お笑い芸人にすごく詳しい女の子と渋谷を歩いていたとき、何度か「いま××の○○さんとすれ違いました」「いま目の前を通っていったの、△△の□□さんです」と言われて、渋谷の街なかを次々に通り過ぎていくすごい数の人々をちゃんと見ていてすごいなあと感じたのを思い出しました。

文体のこと

2020年からいろいろなこと(パンデミック・失業・鬱の悪化など)を経験したのもあり、文章に対する考え方が変わってしまいました。5月になってnoteに過去の自分の文章をたくさん投稿したわけですが、読んでみるともうこの文体では書けないと思わされるのです。もっとやわらかく、やさしい文体で書きたいと思っています。
評論やエッセイなどは文体を変えればいいだけの話ですが、もっと深刻なのが論文です。これまでは論文も熱量のこもった、凝った日本語で書いてきたのですが、あと3本ほど書いてまとめれば博士論文ができあがるというところまできて、上述のような文章に対する考え方の変化が訪れました。もうこれまでのような文体では書けそうになくなったため、たとえ残り3本の論文を何とか書き上げたとしても、ちぐはぐな文体の論文たちを無理に一個の博論にまとめることになってしまい、形になりそうにないのです。
ただでさえモチベーションの問題や鬱の悪化による集中力ややる気の低下、助手室が使えなくなったことによる執筆環境の悪化などのために博士論文の完成は難しそうなのに、ここにきて文体という新たな問題が浮上してきて、本当にくじけそうです。ずっと目標にしてきた博士号、ついに取れず仕舞いで終わってしまうのでしょうか。2020年3月満期退学なので、博士論文を「課程博士」として出せるのは2023年3月まで。実質2022年度中ということになり、あと1年ちょっとで書き上げられるとはとうてい思えない……。

頭がいい人のこと

鬱病が悪化して知的能力が衰えてしまってから、「頭がいい」ということについていろいろ考えるところがありました。
学部生のころ僕はある先輩ととても仲が良くて、その先輩がわざと偽悪的に学歴にこだわっていたのと、歌会の席や大学の演習などですぐに当意即妙の答えができる人が何より賢いという考え方をしていたのに影響されたところがありました。学歴はともかく(僕は教育制度マニアなので、偏差値至上主義というよりはその人がどういう経緯でできた学校で何を学んでいたのかが気になるという癖はあるものの)、すぐにパッと当意即妙の答えができることに縛られているところがあるんじゃないかな、と最近になって思うようになりました。
僕は歌会でもどちらかといえば、話を振られたらすぐにそれらしいことを言って評をするタイプだったし(もっとも歌会という場が苦手で、もう出なくなって10年近く経つので今はぜんぜん喋れなくなっていると思いますが)、学部生のころも大学院に進んでからも、演習などで他人の発表を聞いたあとにコメントする際には歌会での経験が役に立って、それなりに「当意即妙」といえる返しができていたと思います。
さらにいえば(ここ十数年でよく言われてきたことでもありますが)テレビなどの世界でもバラエティなど特に、時間をかけて練り上げられたおもしろさよりも、その場その場で反射神経よく返した言葉のほうがウケがよくなったような気もします。あるいはこれは個人的に思っていることなのですが、芸能人なんかは特に囲み取材(タイアップした新商品や出演した作品のPRイベントなど)の場でいかに即興で記者の質問にうまく返せるかが売れるかどうかの一つの基準になっているようにも感じていました。かつての壇蜜や指原莉乃なんかまさに当意即妙の権化のような感じでしたし、今だとあまり詳しくないのですがフワちゃんなんかが当てはまるのでしょうか。
しかし「当意即妙」至上主義みたいになってくるとそれはまた弊害を生むわけで、特にいま鬱病が悪化してそういう答えをできなくなってしまった視点から、むしろスピーディーでない、じっくり考えられたところから出てくる「頭のいい」言葉というものに目が向くようになりました。過去に経験した歌会の席などでも、記憶をたどって考えてみると、当意即妙の答えを出すタイプではなく、当てられても「時間をください」といって、しばらく他の人が話している間にじぶんの思考をまとめてから話すタイプの人にも、その人ならではの「頭のよさ」があったし、そこから出てくる意見に感服するということもあったなあと思い出されるのです。

歌会という場からは離れて長い年月が経ち、学生でなくなってからは演習というものとも縁遠くなり、また歌会にせよ演習にせよ対面でおこなうのはなかなか難しい情勢になったのに、なんでこんなに「頭がいい」ということにこだわって考えるようになったかというと、それは恐らくあるブログ記事を読んだからだと思います。
そのブログは海外ドラマや短歌関係の書籍を見たり読んだりした感想を少しずつアップしていくもので、エゴサーチしていて偶然見付けました。自分が採録されたアンソロジー『短歌タイムカプセル』『桜前線開架宣言』などが取り上げられていることもあり、自分の歌がどう読まれるのかという興味というか承認欲求というか、とにかくそういう理由から読み始めたのですが、ブログを書いている人のものの考え方や批判的思考とでもいうべきものに感心させられて、今でもよく読むようになっています。
そのブログで早稲田短歌会の先輩でもある平岡直子さんが取り上げられた回の、次のような評価にうなずかされたのでした。

 この人に関して個人的な意見を言えば、書肆侃侃房出版の『ねむらない樹 別冊 現代短歌のニューウェーブとは何か?』ってムック本に書いてた寄稿文がめちゃくちゃ面白くて、すごい頭のいい人なんだなって思いました。

平岡さん(最近、待望の第一歌集『みじかい髪も長い髪も炎』を出版されました)は確かに「すごい頭のいい人」です。僕がそれをひしひしと感じさせられたのは、砂子屋書房のWEBサイトに隔日で一年間連載される「日々のクオリア」を担当されていたのを読んだときだったと思います。当時は単純に「すごく頭がいい」と一言でいえなくて、
「原理的でともすればわかりにくい抽象論に陥りかねない話を、筋道立てて読者にわかるように書いていて、まるで柄谷行人みたいですね」
というような面倒くさい、変な褒め方をしたわけなのですが(まさかその数年後に同じ「日々のクオリア」を自分も担当することになり、パンデミックと失業による鬱病の悪化のために惨憺たる結果に終わり、各方面に多大なる迷惑をお掛けしてしまうとはつゆ知らず)、すごくシンプルに言えばそれは「頭がいい」ということだったのでした。そして個人的な印象からいえば、平岡さんはどちらかといえば当意即妙タイプというよりは、じっくり考えて答えを出す、たとえるなら棋士のような長考型の「頭がいい人」だと思います。そういう頭のよさについて、今いろいろと回らない頭で考えています。

現状、僕は鬱のせいもあって当意即妙型も長考型もどちらの「頭のよさ」も発揮できないし、ひょっとしたらこの病気は僕が「そもそも頭がよくなかった」ということを明らかにしてくれているのかも知れません。ですが頭がよくないならよくないなりに、何とかものを考えたり、話したり、書いたりできるようになれないかなと、いわば「思考のリハビリ」の一環としてこの「頭がいい」ということについて考えをめぐらしているのかなと思います。
中野重治は自伝的連作『歌のわかれ』「街あるき」『むらぎも』のうちのどれか(確か『むらぎも』だったと思う)で、主人公の片口安吉に「おれの頭はよくないが、強いよ」と言わせていて、それはここまで書いてきた「頭のよさ」とはまた少し位相の異なる言葉遣いなのですが、やはりこの「頭のよさ/強さ」についても考えていきたいところです。

散歩と入浴のこと

メンタルが落ち込んでいるときこそ、散歩して外の日光を浴びて、ゆっくり湯槽に浸かって疲れをとることが大事だといわれます。最近もいろんなところで(こことかこことか)散歩と入浴の重要性について読んだし、そういえばだいぶ前に読んだ『うつ病九段』でも、医師である兄から「うつ病の最大の薬は散歩だ」というようなことを言われるくだりがあったことが思い出されます。自分でものんびり散歩できたらいいな、ゆっくり湯槽に浸かれたらいいな、と頻繁に思います。
しかし尊敬するさる先生(鬱病ではないものの病気の影響で一時期うつ状態にあった)がいつかツイッターで言っておられたように、散歩できるぐらいだったら苦労しないので、散歩する気力体力すら奪われるからこその鬱なんだというのが、いまの偽らざる気持ちです。入浴もまたしかり。せめてシャワーを浴びれば気持ちよくなることを頭ではわかっていても、それを実行に移すだけの余裕がないのです。
たとえば散歩をしようと思い立ったとしましょう。しかし散歩するためには外に出なければならないけれど、もう何日もシャワーを浴びていないからまずシャワーを浴びなくてはならないし、散歩に出かけて帰ってきたら汗をかくからまたシャワーを浴びなくてはならないし、1個でさえしんどいことを「風呂・散歩・風呂」と立て続けに3個やる計算になるわけで、それはそれは大変な事業なのです。さらにいえば寝間着で出かけるわけにはいかないから着替えなくてはいけないし、着替えたり汗をかいたりしたら着ていた服を洗濯しなくてはいけないし、しんどいことは「風呂・着替え・散歩・風呂・着替え・洗濯……」というように際限なく増えていきます。
さらにいえば「散歩に行くついでに行った先でお茶しよう、外食しよう、買い物しよう」と思っていても、このご時世、なかなか気軽に外食も買い物もしづらくなってしまって、いわば散歩に出かけるためのインセンティブがなくなってしまっているのも大きな問題です。出かけるたびにマスクをしなくてはならないのもストレスです。そんなときに散歩などという「不要不急」の外出でマスクを余計につけるのはできれば避けたい。
そんなわけで僕はなにもできない自分を責めながら毎日暗い部屋で寝床に横たわって過ごしています。早く散歩に行けるぐらい元気になりたい。そして早くマスクなしでも散歩できるようパンデミックが収束してほしいと願うばかりです。


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